第3話 赤ちゃんは寝るのも仕事よ

わたしが赤ん坊を出産した病院は、基本的に母子同室で、夜間だけは預かりだった。

その間はミルクをあげてくれていて親が母乳をあげに行くことはない。

おかげで夜はぐっすり眠れ、体の回復も早かった。


退院日、我が家で赤ん坊との生活がはじまった。

わたしは夜が怖かった。

赤ちゃんは夜中のほうが起きる、とよく聞いていた。

ホルモンの関係で夜間の方が母乳の質が良いらしいのだがそれを本能的に知っているのだろうか?

入院中、夜間に爆睡をかましていたわたしは赤ん坊の夜中の姿を知らないのだ。


夜、その日の最後の授乳をして眠った赤ん坊を確認したあと自分も寝る準備をする。

「まぁ泣いて教えてくれるっしょ」

と呑気なわたしに夫が

「僕、泣き声で起きられるかわからないから一応目覚ましかけておくよ」

と、3時間後にセットしていた。

一ヶ月の育休をとった夫は新生児期の夜間の授乳時、一緒に起きてくれていた。


目を覚ましたのは3時間後。

目覚ましの音が鳴っている。

赤ん坊を見るとまだ寝ていた。

起こして授乳をしようということになった。


まだ体力もなく胃も小さい赤ちゃんは、一度に飲む量が少ない。

こまめに飲まないと脱水や、低血糖をおこしてしまう。

母乳は本人が欲しがるタイミングであげて大丈夫だけど、夜よく寝る親孝行の赤ちゃんでも途中起こして飲ませてあげてね、4時間はあけないでね、という指導だった。


赤ん坊に声をかけて起こす。

何も反応がない。

鼻に指を当てる。

呼吸をしていてホッとする。

抱き上げる。

起きない。

オムツを交換する。

起きない。

よほど深い眠りに入っているのか、吸啜反応もしないためおっぱいを飲ませることができない。

つまりは起こすしかないのだが、これが本当に、何をしても起きない。

大きな声も効かず、足こちょこちょも効かず、顔をクシャクシャしても、むにぃ〜っとしても、腕をあげてシェーってしても起きず、寝息だけ聞こえてくる。


最初は可愛くて、笑いながらちょっと遊んでいた。

しかし15分が過ぎたあたりで、いよいよ本当に起きてくれと思い始めた。


授乳は時間がかかる。

左右5分ずつを2クール。

しかもこの時は赤ん坊も初心者のため乳頭をきちんと咥えさせるまでに時間を要する。

母乳のあとはミルクを飲ませ、その後の煮沸やゲップ、寝かしつけまですると1時間ほどかかってしまう。

眠いのもあり夜間の授乳ほどスムーズにしたかった。


どうにかして頑張って起こして、少し目が覚めた瞬間におっぱいを押しつけた。

赤ん坊はすごく迷惑そうな顔をしていた。

なんとか飲ませて眠ったあと、自分たちも眠りにつきまた数時間後に目覚ましをかける、という生活を一ヶ月した。


うちの赤ん坊は、何がなんでも起きませんから!という意思すら感じるほど、頻回に起きるという噂を跳ね返す強者だった。


夜間の授乳時は、動画配信サイトにあるライブカメラの映像をよく見ていた。

夜は何故か孤独を感じやすい。

真っ暗な世界でひとりぼっちのような気持ちになる。

歌舞伎町で行き交う人々、空港で発着する飛行機などをぼーっと眺め、この時間にも活動している人がいることを確認できて、とても安心したものだ。


そんな生活を続けてどれくらい経った頃だろう。

夜の目覚ましをかけ忘れて、起きたら朝だったことがある。

最後の授乳から5時間は経過していた。

とても焦った。

赤ん坊を見ると、まだ寝ている。

オムツをチェックするとおしっこもしていない。

脱水かも!!!!と焦りまくるが例に漏れず赤ん坊は起きない。

いつものごとく頑張って起こして飲ませる。

こうしてあげないとこの子は死んでしまう、と本気で思うのだ。

わたしのおっぱいはパンパンに腫れ上がり岩のようにかたくなっていた。

こんなに時間が経っているのにお腹すかないのかよ…と、呆れると同時にこの子の生きる力に不安になったものだ。

今考えると、ただの個性だからそんなこと思うのはナンセンスなのだが、【よく聞く話】と違ったりあらゆる【平均】から少しでもズレると、初めての育児ではとても不安になる。

わたしが夜寝たいと思うのと同じように赤ん坊もまたそう思っていただろうに。


退院後1ヶ月半ほど経った頃、母子訪問があり市の保健師さんが家に来てくれた。

そこで夜間授乳のことを相談すると、体重も順調に増えてるし、本人の欲しがる時だけでいいですよと言ってもらえた。

自分でも薄々わかっていたが、こういう時にプロに後押ししてもらえると不安が吹き飛ぶ。

これでまとまって眠ることができ、無理やり起こす負のループから脱出できた。


この時は起こすことに全力だったが、4ヶ月経った今では起こさないことに命懸けだ。

寝ることが極端に下手になり、眠いのに寝られずブチギレて泣くことが増えた。

飲みながら寝落ちしていたあの頃とは違う。

やっと寝たとしても少しの音や光で覚醒してしまう。

睡眠退行と言われるものだ。

彼らは日々、ものすごいはやさで脳が発達していく。

これも成長のあかしとして受け止めつつ、わたしはくしゃみを無音でする技を習得した。

今は主に日中のおねんねタイムに顕著に出ているが、きっと夜泣きも秒読み段階に入っているだろう。


赤ちゃんは寝るのも仕事よ、と聞いたことがある。

きっと今わたしの赤ん坊はキャリアアップの転職活動中なのだ。

見守ろうではないか。

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