であい と いきる

これは異常事態だ。

本来ピュトンはヒトをおそれ街に近づくことは無い。例え人前だったとしても、こちらから危害を加えなければ襲ってくるような事も無い。であるからして、郊外での被害報告が届いた時、誰もが耳を疑った。

近くで別の依頼を受けていたEランクのクラン3組が消息不明。

彼らを探すための依頼を請け負った2組のDランククランは重体で帰還。異常事態だ。

「ピュトンは今何処に?」

「ひとしきり暴れたあと、《不可侵クナブ》のひずみに飲まれたと」

「なんだと?」

《不可侵の海》は奴の生息地ではない──そもそも、ピュトンは山岳地に巣を作るため、郊外や平地では滅多に見ることは無い──そのため、《不可侵クナブ》に入り込めば最後、次にどの場所へ現れるか予測がつかなくなる。

「まだ入口付近にいるだろう。討つなら今だ」

「ですが、倒しても帰れる保証は……」

「【アドネート】を出せ。街にいるBランク以上のクランに声を掛けるんだ」

希少道具を惜しんでいる余裕も無い。覚悟を決め、討伐を請け負ったクランは目的地へと歩みを進めた。



そうしてしばらく歩いていると、遠方より土煙が上がっているのが見えた。次第にそれは近づいてくる。こっちへ来る。そう思い身構えると、それは獣に似た──それにしてはけたたましい──咆哮をあげた。土煙が少し薄れた部分からその姿が見えた。

蛇。

かつて、教会の前を通り過ぎていったアオダイショウに似ている。違うのは、目の前でとぐろを巻いて立ち塞がったそれが、かつての教会の聖堂ほどに大きいということ。ちろちろと樹木のような太さの舌を揺らし、自らの体を擦り合わせてざりざりと音を立てる。威嚇しているのだろうか。しかし襲ってくる様子はない。おそるおそる観察していると、奴の腹に血が付いていた。奴のだろうか。

「いたぞ!」

声がした。私とは違う、人の声。それは大蛇のやって来た方角から。

ダチョウのような爬虫類──物語の中に出てくる、まさに竜のような──に乗った、武装したヒトが数人。大蛇と私を囲う。

「人がいる」

「襲われてないか!?」

「大丈夫か!?」

自分と似たような風貌。言葉も理解できる。どうやらこの大蛇に襲われていると思われたようだ。ひとまず手を振って無事を知らせた。

「ゆっくり、後ずさるんだ。背を向けるな。目を合わせながら、ゆっくりとだ」

ひとりの男に指示され、そのように従う。ある程度大蛇から離れると、件の男が私を引っ張り上げてダチョウ竜の背に乗せた。

「怪我は?」

「ない。私の前で立ち止まっただけだ」

「……あんた、一人でここに?」

「ああ、歩いていた」

「こんな所で?」

「今は目の前のそれをどうにかするんだろう」

大蛇は私から目を離さなかった。男に担ぎ上げられた様を見るや、奴はまた咆哮した。さっきとは違う。怒りを感じる。

「殺すのか」

「ああ」

「不要な殺生は好まない」

「あんた聖職か?‎ 悪いがこっちは10人以上やられてる。奴らに祈りを捧げちゃくれないか」

大蛇に付いた血はそれか。男は私を庇う為か、ダチョウ竜を一歩下げた。周りの仲間は自らの武器を構えた。

「私のことは襲わなかった」

「それでも誰かを襲う。俺らの罪を見逃してくれ、シスター」

彼らの焦りを感じた。私は好きにしろとサインを送ると、文字通り目を閉じた。


□■


大蛇の体が大地へ沈むのを確認すると、彼らは大蛇を解体し始めた。皮を剥ぎ、肉を削ぎ、腹を割く。いつか見た、魚屋の所作を思い出す。彼らの慣れた手捌きを見るに、彼らにとってはこれは日常の所作なのだろう。皮と肉塊と骨になったそれに、私は手を合わせた。

「殺生を嫌うのに、コレは見ても平気なのか?」

男──彼はプラントと名乗った──が一連の作業の合間に話しかけてきた。銀の鈍く光る鎧を着た、少し厳つい男。彼の指示で仲間が動くのを見るに、彼はこの集団のリーダーのようなものなのだろう。

「命あるものの最期は見届けてやるべきだと思う。無駄にはしないでほしい」

「ああ。皮と骨は世を渡る金になり、肉は命を繋ぐ糧となる。我々を生かしてくれてありがとうよ、シスター」

「私じゃない。感謝ならあの蛇に」

「ところで、だ」

プラントが隣へ座る。他の数人からも、作業の合間に視線を感じた。

「あんたについて聞いても?」

「ああ……当然だな。と言っても、私を語るにはもう少し、知らないといけない」

「何を?」

「私を。私が」

はあ?‎ と言いたげな顔をされた。もっともだ。しかし私はこの世界では何者で、どんな意味を持つのかが、私自身わからない。プラントにこの世界の地図はないかと尋ねると、荷物の中から茶色の紙のようなものを取り出した。手触りは紙ではない。羊皮紙だろうか。

「この場所は?」

「《不可侵クナブ》だ。知らずに入ったのか?」

「くな……?‎ なんだ、それは」

「至るところにある、ひずみの先の世界だ。入るのは簡単だが、抜け出すのは難しい。《不可侵クナブ》のものは誰のものにもなり、誰のものにもならない。国家間の掟だ」

「それで、不可侵か。君らの帰るアテは?」

「一応。あんたも一度俺らの元へ来るか?」

「その方が良いな。おそらく私は、今回の君たちの報酬のひとつだ」

「報酬?」

「ああ。私はここでたった今、産まれたんだ」


□□■


真夜中を思わせる黒髪が、第一印象だった。ピュトンの傍らに立つ彼女はあまりにも小さく、そして無力だった。しかしなぜだか、その眼差しは誰にも敵わない強さを感じた。

‎ ──私はここでたった今、産まれたんだ。

彼女はそう言った。だから自分はまだ、この世界も、自分の意味も知らない、と。やけに達者な赤子は語る。

「大蛇の胎から出てきたとでも思ってくれてもいい。そっちの方が分かりやすいだろう」

「おいおい、本当に出てきたのかと思っちまうだろうが」

「続きは道中で語ろう」

ピュトンの処理は終わり、ギルドマスターに渡された【アドネート】を頼りに帰路に着く。彼女はステレイスに跨り、興味深そうに背を撫でる。

「それで。あんたは誰の胎から産まれたんだ」

「強いて言えば、この大地から」

「馬鹿にしてんのか?」

「していないさ。この先の、崖下にあった地下で起きたんだ」

「崖?‎ この平野にか?」

「穴が空いたように窪んでいるんだよ。遠目では気付かない」

彼女の言葉は疑わしがったが、嘘をついているようにも思えなかった。彼女を産んだという地下も気にはなったが、自分たちの帰路を心配しなくてはならない。【アドネート】の示す方向を確認する。

「それが君たちの帰りのアテか」

ひとしきりステレイスを堪能したのか、手に持っていた【アドネート】をまじまじと見つめる。落とさないようにな、と彼女に手渡した。

「蜘蛛の巣か、これは?」

「そうだ。ララクネという種の糸は、空気に触れると赤く変色するんだ。元いた場所の空気を一部分に触れさせ、戻る場所を示すように魔術が編んである」

「へえ、魔術!‎ そんなのもあるのか」

「魔術自体は珍しくもないだろう」

「私のかつて生きていた世界には無かった」

「かつて?‎ 前世を覚えているとでも?」

「ぼんやりとだがね。世界の法則や文化が違っているように感じるよ」

慈しむようにステレイスの背を撫でた。【アドネート】を返すと、彼女は遠く続く地平線を眺めた。

「元の世界が恋しいか?」

「さてね。不満もあった気もするが、この状況を楽しみたい方が強いかな。ああ、でも」

彼女は口をつぐんだ。ほんの少し、さみしい顔をした。

「大事な何かを忘れた気がして。それが、心残りだ」

ボーナムが声を上げた。ひずみに着いた合図だった。前方には、ところどころ苔の生えた石レンガの壁に、両開きの扉がついている。

「あれがひずみ?」

「分かりやすいように扉を付けたんだ」

扉を開け、我先にと仲間たちがひずみを通っていく。最後に俺と彼女の手番になって、足元に気を付けるよう彼女に手を差し出すと、いたずらっぽく笑ってみせた。

「すまない。憶えていることで、君に伝えていない重要なことがあった」

「何だって?」

「悪いね。私は男なんだよ、ミスター」

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