であい と いきる
これは異常事態だ。
本来ピュトンはヒトをおそれ街に近づくことは無い。例え人前だったとしても、こちらから危害を加えなければ襲ってくるような事も無い。であるからして、郊外での被害報告が届いた時、誰もが耳を疑った。
近くで別の依頼を受けていたEランクのクラン3組が消息不明。
彼らを探すための依頼を請け負った2組のDランククランは重体で帰還。異常事態だ。
「ピュトンは今何処に?」
「ひとしきり暴れたあと、《
「なんだと?」
《不可侵の海》は奴の生息地ではない──そもそも、ピュトンは山岳地に巣を作るため、郊外や平地では滅多に見ることは無い──そのため、《
「まだ入口付近にいるだろう。討つなら今だ」
「ですが、倒しても帰れる保証は……」
「【アドネート】を出せ。街にいるBランク以上のクランに声を掛けるんだ」
希少道具を惜しんでいる余裕も無い。覚悟を決め、討伐を請け負ったクランは目的地へと歩みを進めた。
■
そうしてしばらく歩いていると、遠方より土煙が上がっているのが見えた。次第にそれは近づいてくる。こっちへ来る。そう思い身構えると、それは獣に似た──それにしてはけたたましい──咆哮をあげた。土煙が少し薄れた部分からその姿が見えた。
蛇。
かつて、教会の前を通り過ぎていったアオダイショウに似ている。違うのは、目の前でとぐろを巻いて立ち塞がったそれが、かつての教会の聖堂ほどに大きいということ。ちろちろと樹木のような太さの舌を揺らし、自らの体を擦り合わせてざりざりと音を立てる。威嚇しているのだろうか。しかし襲ってくる様子はない。おそるおそる観察していると、奴の腹に血が付いていた。奴のだろうか。
「いたぞ!」
声がした。私とは違う、人の声。それは大蛇のやって来た方角から。
ダチョウのような爬虫類──物語の中に出てくる、まさに竜のような──に乗った、武装したヒトが数人。大蛇と私を囲う。
「人がいる」
「襲われてないか!?」
「大丈夫か!?」
自分と似たような風貌。言葉も理解できる。どうやらこの大蛇に襲われていると思われたようだ。ひとまず手を振って無事を知らせた。
「ゆっくり、後ずさるんだ。背を向けるな。目を合わせながら、ゆっくりとだ」
ひとりの男に指示され、そのように従う。ある程度大蛇から離れると、件の男が私を引っ張り上げてダチョウ竜の背に乗せた。
「怪我は?」
「ない。私の前で立ち止まっただけだ」
「……あんた、一人でここに?」
「ああ、歩いていた」
「こんな所で?」
「今は目の前のそれをどうにかするんだろう」
大蛇は私から目を離さなかった。男に担ぎ上げられた様を見るや、奴はまた咆哮した。さっきとは違う。怒りを感じる。
「殺すのか」
「ああ」
「不要な殺生は好まない」
「あんた聖職か? 悪いがこっちは10人以上やられてる。奴らに祈りを捧げちゃくれないか」
大蛇に付いた血はそれか。男は私を庇う為か、ダチョウ竜を一歩下げた。周りの仲間は自らの武器を構えた。
「私のことは襲わなかった」
「それでも誰かを襲う。俺らの罪を見逃してくれ、シスター」
彼らの焦りを感じた。私は好きにしろとサインを送ると、文字通り目を閉じた。
□■
大蛇の体が大地へ沈むのを確認すると、彼らは大蛇を解体し始めた。皮を剥ぎ、肉を削ぎ、腹を割く。いつか見た、魚屋の所作を思い出す。彼らの慣れた手捌きを見るに、彼らにとってはこれは日常の所作なのだろう。皮と肉塊と骨になったそれに、私は手を合わせた。
「殺生を嫌うのに、コレは見ても平気なのか?」
男──彼はプラントと名乗った──が一連の作業の合間に話しかけてきた。銀の鈍く光る鎧を着た、少し厳つい男。彼の指示で仲間が動くのを見るに、彼はこの集団のリーダーのようなものなのだろう。
「命あるものの最期は見届けてやるべきだと思う。無駄にはしないでほしい」
「ああ。皮と骨は世を渡る金になり、肉は命を繋ぐ糧となる。我々を生かしてくれてありがとうよ、シスター」
「私じゃない。感謝ならあの蛇に」
「ところで、だ」
プラントが隣へ座る。他の数人からも、作業の合間に視線を感じた。
「あんたについて聞いても?」
「ああ……当然だな。と言っても、私を語るにはもう少し、知らないといけない」
「何を?」
「私を。私が」
はあ? と言いたげな顔をされた。もっともだ。しかし私はこの世界では何者で、どんな意味を持つのかが、私自身わからない。プラントにこの世界の地図はないかと尋ねると、荷物の中から茶色の紙のようなものを取り出した。手触りは紙ではない。羊皮紙だろうか。
「この場所は?」
「《
「くな……? なんだ、それは」
「至るところにある、ひずみの先の世界だ。入るのは簡単だが、抜け出すのは難しい。《
「それで、不可侵か。君らの帰るアテは?」
「一応。あんたも一度俺らの元へ来るか?」
「その方が良いな。おそらく私は、今回の君たちの報酬のひとつだ」
「報酬?」
「ああ。私はここでたった今、産まれたんだ」
□□■
真夜中を思わせる黒髪が、第一印象だった。ピュトンの傍らに立つ彼女はあまりにも小さく、そして無力だった。しかしなぜだか、その眼差しは誰にも敵わない強さを感じた。
──私はここでたった今、産まれたんだ。
彼女はそう言った。だから自分はまだ、この世界も、自分の意味も知らない、と。やけに達者な赤子は語る。
「大蛇の胎から出てきたとでも思ってくれてもいい。そっちの方が分かりやすいだろう」
「おいおい、本当に出てきたのかと思っちまうだろうが」
「続きは道中で語ろう」
ピュトンの処理は終わり、ギルドマスターに渡された【アドネート】を頼りに帰路に着く。彼女はステレイスに跨り、興味深そうに背を撫でる。
「それで。あんたは誰の胎から産まれたんだ」
「強いて言えば、この大地から」
「馬鹿にしてんのか?」
「していないさ。この先の、崖下にあった地下で起きたんだ」
「崖? この平野にか?」
「穴が空いたように窪んでいるんだよ。遠目では気付かない」
彼女の言葉は疑わしがったが、嘘をついているようにも思えなかった。彼女を産んだという地下も気にはなったが、自分たちの帰路を心配しなくてはならない。【アドネート】の示す方向を確認する。
「それが君たちの帰りのアテか」
ひとしきりステレイスを堪能したのか、手に持っていた【アドネート】をまじまじと見つめる。落とさないようにな、と彼女に手渡した。
「蜘蛛の巣か、これは?」
「そうだ。ララクネという種の糸は、空気に触れると赤く変色するんだ。元いた場所の空気を一部分に触れさせ、戻る場所を示すように魔術が編んである」
「へえ、魔術! そんなのもあるのか」
「魔術自体は珍しくもないだろう」
「私のかつて生きていた世界には無かった」
「かつて? 前世を覚えているとでも?」
「ぼんやりとだがね。世界の法則や文化が違っているように感じるよ」
慈しむようにステレイスの背を撫でた。【アドネート】を返すと、彼女は遠く続く地平線を眺めた。
「元の世界が恋しいか?」
「さてね。不満もあった気もするが、この状況を楽しみたい方が強いかな。ああ、でも」
彼女は口をつぐんだ。ほんの少し、さみしい顔をした。
「大事な何かを忘れた気がして。それが、心残りだ」
ボーナムが声を上げた。ひずみに着いた合図だった。前方には、ところどころ苔の生えた石レンガの壁に、両開きの扉がついている。
「あれがひずみ?」
「分かりやすいように扉を付けたんだ」
扉を開け、我先にと仲間たちがひずみを通っていく。最後に俺と彼女の手番になって、足元に気を付けるよう彼女に手を差し出すと、いたずらっぽく笑ってみせた。
「すまない。憶えていることで、君に伝えていない重要なことがあった」
「何だって?」
「悪いね。私は男なんだよ、ミスター」
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