どこか の だれか

そこには街があった。子供たちが駆けてゆく。商人が野菜を売っている。何の変哲もない日常があった。しかし私は、その光景が嬉しくてたまらなかった。街の住民は武装した彼らに驚くことはなかった。

「ここは、良い街のようだ」

「ペロポニソス王国、コリンティア領にあるベロボハという街だ。小さい街だが活気はある。これからピュトン討伐の報告のためギルドに顔を出さないといけない。お前の報告も、だ」

「当然だな。私も皮を剥ぐか?」

「それはギルドマスター次第、と言ったところだな」

私たちが《不可侵クナブ》から出てきたのは、扉だけが目立つ寂れた小屋だった。私がひずみから離れると、扉を閉め『立入禁止』の札がついた鎖を掛けた。時々忍び込んで迷子になる子供や乞食がいるらしい。

「ギルドというのは、君たちのような武装した集団が集う場所か?」

「俺たちは冒険者ギルドのクランだからな、武装してて当然だろう。他にも商人や工業系のギルドもある。ほら、あれとか」

プラントの指した先には、靴やハンマーの描かれた看板が道なりに並んでいる。ステンドグラスで作られたものもある。

「ギルドというのはこの街だけのシステムなのか?‎ かなり大規模なものに思うのだが」

「その通り。様々なギルドがあるが、それらは全て国を越えた組織だ。ま、詳しい話はギルドの受付の嬢ちゃんにでも聞いてくれ」

剣と盾が描かれた看板が飾られた建物に着いた。なるほどこれが『冒険者』を示すらしい。建物の周り、そして室内にも、プラントたちと似たように武装した者たちが集まっている。ボーナムから受付はあっち、と目配せをされた。



この世界は7つの大陸と、4つの海、そしてひずみの中にある《不可侵クナブ》で構成されている。私が来たこの街は、最も大きな大陸であるギーリンシア大陸にあるという。どの大陸も君主制で、度々ヒト同士の戦争が起こっているという。領土の奪い合い、思想のもつれ、過激な差別。かつての世と変わらない。違うのは、『魔物』と呼ばれる存在が跋扈していること。ヒトや野生動植物とはまた違う存在。冒険者は主にその魔物の討伐をギルドから依頼されるそうだ。

「それだけでは御座いませんよ。薬草採取や要人の護衛等、その活動は多岐に渡ります。普段は一般人からの依頼が多いのですが、街や領土の危機となると、今回のようにギルドマスターから直々に依頼されることも御座います」

「なら、プラントたちは相当強いのか」

「左様に御座います。クラン【ワレモコウ】は冒険者ギルドにおいてBランクの位置に属します。たまたまベロボハに滞在中でいらしたので幸運でございますわね」

「ああ、手際も良かった。──時に、魔物というのはこの世界の人間に深く関わるほどの存在の様だが、いつから現れるようになったんだ」

「それはもう、人類の歩んだ歴史と共に、で御座いますわ。正確には、大厄災のもたらした人類への罰と恩恵、といったところで御座いましょうか」

「大厄災?」

「古い伝承に御座います。かつて怠惰を貪るヒトを憐れんだ《大いなる風》は、世界に7つの罰を齎しました。それを大厄災、と」

「7つの罰とは?」

「嫉妬、性、言語、知識、死、病、夜。ヒトは此れ等に抗うことが出来ず苦しむばかりで御座いましたが、ある時一人の男が現れ出て、これら7つの罰を緩和する術を説いて世界を巡ったのです」

「それが恩恵か」

「左様に御座います。厄災は人類に与えられた試練。消えねども苦ばかりが残るだけでは無いと、我々は古来より教えられ、今日こんにちに至るのです。ただ、厄災は最初の7つだけでは御座いませんでした。数年に一度、新たな厄災が訪れては、同じようにまた救世主メサイアも現れるのです」

救世主メサイア?」

「最初の男を含め、恩恵へ導く者の総称に御座います。異国の世から現れ出でる彼らは、新しき文化や知恵をこの世界に授けてくださいました。営みは勿論のこと、世を飽きさせぬ娯楽も同様に御座います」

なるほど。イリーナ嬢の話からすると、おそらく私はこの世界の救世主メサイアという役割ロールで生まれた存在なのだろう。しかしどうにもむず痒い。

「ところで君。私が救世主メサイアに見えるかね?」

「そうですわね……。救世主メサイアというより、神の使いに見えますわ」


□■


「どうにも、救世主メサイアというには疑わしい」

正面に座ったギルドマスター──カサベテスは苦い顔をしていた。無理もない。彼が言ったように、言い伝えられている救世主メサイアの出現と異なって『彼』はここに現れた。

救世主メサイアとは、厄災が訪れた後にやって来る。ところが向こう数年、ここらでそれらしい厄災なんて起こってはいないんだ」

「ピュトンの件は」

「被害は出たものの、かつて起こった厄災に比べれば小規模にも程がある」

「では……奴こそが厄災である可能性は?」

「無きにしも非ず、といったところだな。人型の厄災もあったと聞く。彼に関しては、我々ではどうにも判断が難しい。専門家に聞くしかあるまいよ」

カサベテスはそう言って、机上に積まれた書類の中から一枚の依頼書を抜き取った。

「《不可侵クナブ》の赤子の護衛任務だ。丁度コリントにメサイアリネージの奴が来ているようでな、どこで聞きつけたか、すぐに依頼書を送ってきた」

「珍しいな、奴らが外に出てるなんて」

「それこそ《不可侵クナブ》の調査にでも来てたんだろう。先に返事は送ってある、数日あれば着くだろう」

カサベテスから依頼書を受け取る。果たして奴は俺たちにとっての恩恵となるのか、はたまた厄災となるのか。


□□■


次の日、隣街のコリントへ向け早朝に出発した。赤子は何故か腹も空かず眠ることもしなかった。一番不思議がっていたのは当の本人だったのだが。多少時間が掛かるが、「この世界を見て周りたい」とのご要望により、街までの移動は徒歩となった。

「なんだ、あの飛んでいるのは」

「アキヅノリュウっつー虫っすよ、あんま指出してると噛まれるっすよー」

「こんなにも小さいのに竜なのか」

「あー、もーあんまりはしゃぐとすぐ疲れるっすよー。街まで長いんだから」

歳が近いせいか、ボーナムが奴の世話係の立場に自然となっていた。街を出てから、視界に入ったもの全てに近寄ってはボーナムを呼びつける。

「そーえばさぁ、アンタはなんで名乗らないんすか?」

「私の名か?」

「そーっす。『赤子』とか、『お前』とか、適当に呼ばれてるっすけど、いんすか?‎ 自分の名前は覚えてないっすか?」

「覚えているとも。ただ、その名のものはかつての世でもう死んだ。私には新しい名が必要なんだ」

「ええー。その名前でいーじゃないすか」

「良くないさ。私は、今この世界で、生きているんだ。死人の名なんて使いたくもない」

「なんすか、そのこだわりは」

「ともかく、私に名が必要なのは分かっているさ。ただ、自分の正体をはっきりさせてからが良いと思うわけだよ」

「正体?」

「例えばだ。私のかつての世で使われていた『天使アンジュ』の意味を持つ名を私に付けたとしよう。ところがこの世界では忌み嫌う者の意味で、私には名を語るだけで呪われてしまう能力があるかもしれない、そうだろう?」

「考えすぎじゃないっすか?」

「考えることは悪では無いよ。君たちの命も救えたのだと喜びたまえ」

「ありがたいっすねー」

赤子は独特の価値観を持っているようだ。それが天性のものなのか、異世界における齟齬なのかはわからないが。

「それに、大雑把に呼ばれるのは慣れている」

「名を明かせぬ生き方でもしてたんすか?」

「そうじゃないよ。私はオペラ歌手をしていてね、」

「へえ!‎ そんなに幼いのに舞台に立っていたんすか?」

「幼いは余計だよ。ともかく私は色んな役割ロールを演じていたのさ。乞食の少年、天に使う者、知恵なき娼夫」

なるほど、彼の芝居がかった物言いはそのせいか。

「たくさんの名を以て、たくさんの人生を成した。でもそれらは全て役割ロールであって私では無い。私を最も正確に表した名は、最後に自分で付けた名だけだったと思うよ」

「どんな名前だったんすか」

「空も飛べず、ダミ声で鳴くしかない鳥の名さ。歌うことも出来なくなった私にピッタリな名だ。でも『奴』は死んだ。それなら、別の名で生きたい。それに、私はまだ経験していない役割ロールがある」

「なんすか?」

「旅人。ドリフター。冒険者。舞台に立ち、幾多の人生を描けども、見える景色は眠気を堪えた観客の海だけだった。世界を知れどもただの知識のみだった。旅がしたい。自分で見て、自分で触れて、この世界を知りたい。私は旅人になりたいんだ」

自分に言い聞かせるように彼は語る。仲間たちの前に躍り出て、遥か先に続く旅路へと駆け出した。そのまま背に翼が生えて、飛んでいってしまいそうだった。振り返り、笑った彼の髪が風に揺れる。

「素晴らしい。ここには私の知らない全てがある。素晴らしい。私はこれから、生きていくんだ」

「なーんか、このままオレらのクランに入っちゃいそうっすね」

「それもいいな。どうだ、プラント?」

「厄災だったらお断りだな」

それも悪くない、と思っていた。戦闘経験は無いようだが、彼が語り、彼が謳う時間は心地が良かった。2人はまた目に付いたものを物色し始めた。

やれやれとため息をついて、ほんの少しだけ、歩幅を狭くした。

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NEMO 伊倉甍 @irakkk3

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