第2話

「あ。雷か」


 窓の外の不穏な天気にあてられて昨日の悪夢を思い出してしまっていたが、雷の強い音で再び我にかえった。


 ほんと、あの女は狂気だ。

 文字通り気が狂ってるとしか思えない。


 告白めいた雰囲気から、いきなりとんでもないことを言い出して。


 当たり前だが、斬られるなんて御免だから断ったのだけど。

 その後の食い下がり方がすごかった。

 もう、怖かった。

 必死すぎて。


 改めて学校で見ても、普段は大人しくて清楚な女子にしか見えないんだけど。


 あの変貌ぶりはなんなんだ?


 急に目に涙を浮かべながら、「やっと出会えたのに! 私の運命の人に!」と、大声で喚き出したかと思えば、「お願い、一回でいいから」と、俺に傘の先端を向けながら迫ってきたり。

 

 それでも断り続けると、最後にはなぜか鞄に入っていた包丁を取り出してきて、巻いていた布を解きながら「死なない程度にするから、いいよね?」なんて言い出す始末。


 あまりの恐怖に俺は思わず「そんなことしたら警察に突き出すぞ!」と、大声をあげてしまった。


 まあ、結果的に昨日は彼女に斬られることも刺されることもなかったのだけど。


 俺の傘を持ったまま、去り際に捨て台詞を吐いていったのだった。


「私、あなたがうんと言ってくれるまで諦めないから」


 聞きようによっては重い女の台詞。

 しかしこれが単純な好意であればまだマシだが、明確な殺意であれば話は別。

 ただのホラーだ。


 あいつのせいで俺は昨晩ずっと眠れなかったし、学校を休むかどうかも散々悩んだ。

 結論としては、家がバレているので一人で部屋に篭っているより大勢がいる学校に行く方が安全と考えて登校したんだけど。


 どうやら、その読みは当たっていた。

 教室にはいつも誰かいるので迂闊に手出しできないのだろう。


 しかし気になるのは雨宮の態度だ。

 あれほどまでにしつこく、執拗に、怖いほど迫ってきていた彼女が、翌日俺の姿を学校で見かけても眉ひとつ動かさないのだから不気味でしかない。

 もちろん俺も一人にならないように極力教室から出なかったし、隙は見せてないつもりだけど。


 だとしても、まるで俺のことなんか見えてもいないようなあの態度はなんだ?

 一体何考えてるんだあいつは。


「……雨、止んだな」


 さっきの雷が合図だったかのように、雨は小降りになっていってそのまま止んだ。


 まだ雲は暗く、いつ降り出してもおかしくはないのでかえるなら今のうちだ。

 それに、考え事をしていたせいでうっかりしていたが教室は今、俺一人。

 雨宮が引き返してきたらたまったもんじゃない。

 誰もいない学校はセーフティゾーンでもなんでもない。

 さっさと退散するか。


「……そういや、鍵って閉めなくてよかったんだっけ?」


 一番最後に教室を出ることなんて、小学校から考えても一度もなかった。

 だから最後に教室を出る人がどうしているかなんて俺は知らない。

 でもまあ、なんの説明も受けていないんだからきっとこのままでいいんだろう。

 そのうち見回りの用務員さんとかが鍵を閉めて回るはず。


「……静かだな」


 教室を出ると、薄暗い廊下には誰もいなかった。

 もちろん雨宮もいない。

 ここは大丈夫そうだ。

 あとは帰り道だけだな。


「さて、走って帰るか」

「ダメだよ、ちゃんと施錠して帰らないと」

「ん、やっぱりそうなの? じゃあ職員室に……うわあっ!」


 振り返ると、奴がいた。

 雨宮千尋。


「もう、女の子の顔見て驚くなんて失礼よ? ほら、鍵は預かってきてるから」

「ど、どうも……じゃなくてどこに隠れてた?」

「え、ずっと君の後ろにいたよ?」

「こわっ!」


 え、もしかして俺が考え事をしている間ずっと、俺の背後に立っていたのか?

 いやいや、ありえない。

 普通、気配の一つくらいするはずだし、物音の一つくらいたつはずだ。

 なんだこいつ、お化けなのか?


「近江君ったら、いくら廊下が薄暗いからってそんなに怖そうにしなくてもいいでしょ。私が一緒なんだし」

「お前がいるから怖いんだよ」

「私が? ふふっ、冗談が下手なのね」

「本気で自覚ないのか?」

「何の話? もしかして、これのこと?」


 彼女は、学校の鞄から布に包まれた包丁のようなものを取り出して俺に見せてくる。

 嬉しそうに。

 照れくさそうに。


「な、なんでそんなもの持ってるんだよ」

「だって、いつどこにチャンスが落ちてるかわからないもの。常に準備は怠らないのが私の主義よ」

「……なんのチャンスだよ」

「えー、そんなの決まってるでしょ」


 包丁を鞄に戻しながら、雨宮はまた頬を赤く染めながら。

 当然のことのように言った。


「君を斬るチャンスしかないでしょ」

「……サイコパスなのか?」

「もー、失礼ね。別に誰でもいいとか、理由もなく衝動に駆られてるとかじゃないわ」

「……じゃあ、なんで敢えて俺を斬りたいのか、説明できるというのか?」

「もちろん。納得したら、考えてくれるかしら?」

「……」


 正直な話、人を斬ることに納得のいく理由なんてあるわけがない。

 しかし、こうも自信満々に言われると話くらいは聞いてみたくもなるのが人の好奇心というものか。

 それに、ここで下手に逃げようとして無理矢理襲われてもややこしいことになるかもしれない。

 こいつはまだ、俺の不死に関して確信を持っているというわけではなさそうだし。

 適当に話を聞いて、無難に断る方法を模索する方が賢明だ。


「じゃあ、場所を移そう」

「人のいない静かなところがいいかな」

「この辺で一番流行ってるカフェにしよう」


 兎にも角にもまずはこの女と二人っきりの状況を回避するところからだ。

 俺の背後を歩く刃物女に警戒しながら、学校を後にする。


 そして向かったのは、学校から少し西に歩いた先にある駅前。


 そこになら通勤通学で電車を利用する人がたくさんいるし、駅前のカフェはいつも客がいっぱいだと、クラスの誰かが会話してるのを聞いたことがある。

 とにかく人がいるところへ。

 

「近江君って、意外と背中大きいんだね。男らしくて素敵」

「……どうも」

「それに勇敢だし。ねえ、彼女とかいないの?」

「いない。友達すらいないよ」


 まるで俺にベタ惚れな女のように話しかけてくる雨宮に対しても俺は一貫して塩対応。 

 冷たいやつだと思われるかもしれないが、この女はサイコパスだ。

 甘い誘惑に負けて隙を見せたらそれこそグサリ。

 こいつの興味は俺を切り刻むことだけだ。


「そっか、彼女いないんだ」

「それがなにか?」

「んーん。いたら嫌だなって」

「……なんで?」

「だって、私だけが君を好きにしたいんだもの。私だけが君を好きに斬り刻むことができたらどんなに素敵かなって……そう思うのって、普通だよね?」

「……」


 ほら。

 はっきり言って異常でしかない。

 私だけが斬り刻む権利?

 なんだその権利は? 俺の人権ってのないのか!


「ねえ、駅の方に向かってる? あっちは人が多いよ?」

「だからなんだけど」

「あー、もしかして私と一緒なとこをいろんな人に自慢したいとか? ふふっ、嬉しい。ようやくその気になってくれたんだ」

「どの気だよ」

「斬られる気以外ある?」

「……ない」


 どうもこいつの頭の中は人を切り刻むこと一色らしい。

 ほんと、変なやつを助けてしまったもんだ。

 こんなことになるならあの時見過ごしておけば……いや、そうしたらしたで、俺は後悔の念に押しつぶされていたに違いない。


 結局、こんなのと関わったこと自体が運の尽きということか。

 

 さて、もうすぐ駅が見えてくる。

 こいつの話を聞くフリをしながら俺も雨宮に確認したいことがある。


 雨宮が、俺の不死身の体についてどこまで気づいているか。


 まずはそれを確かめないと。


 


 


 

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