死なない俺が助けてしまったのは、死ぬほど病んでる同級生だった件
天江龍
第1話
「はあ……」
高校生活も早二ヶ月が経過して、梅雨の時期になった。
今日も外は雨。
ここ数日続いている雨のせいか、もうすぐ夏だというのに朝夕は肌寒く、衣替えの時期なのに冬用の上着やカーデガンを羽織ってくる生徒もいる。
そんなジメジメした空気にあてられるように俺は、放課後の静まり返った教室で一人、雨空のように気分を暗くしていた。
何も病んでいるわけではない。
ただ、憂いてはいた。
昨日、知られたくない秘密を一つ、他人に知られたかもしれないからだ。
そして、とんでもないやつに目をつけられたのである。
「……何も言ってこなかったな」
今日一日中、ずっと。
俺はある人物に怯えていた。
入学早々から学校中の話題をかっさらった超絶美人なクラスメイトの姿を俺は一日中ずっと、目で追っていた。
惚れているからではない。
さっきも言ったが、怯えているのだ。
長い黒髪が風で揺れる度に俺の心は揺さぶられ、切れ長の長い目がこっちの方を見るだけで身を裂かれる思いになり、彼女が立ち上がってすらっとした抜群のスタイルが露わになると俺の背筋はゾッと伸びた。
つまり怖いのである。
その理由については昨日彼女と色々あったせいだというのは言うまでもなく。
これまた都合良くというか都合悪くというべきか、席は俺の隣だから嫌でも視界に入ってくるし、俺のこともきっと視界に入っているはず。
にもかかわらず何も話しかけてこないどころか、一度も目すら合わないこともまた、俺の恐怖心を煽る。
何を考えているのか。
何も考えていないのか。
昨日のことは夢幻だったのか。
それともこの静けさはここから続く無限地獄の序章に過ぎないのか。
凛とした彼女の横顔を横目で見ながらずっとそんなことばかり考えて一日が終わった。
しかし放課後になると、そんな俺の気持ちを嘲笑うかのように彼女は颯爽と教室から出て行ってしまった。
そして一息つきながらも、俺はまた強くなる雨の音を聞きながら気を引き締める。
このまま、何事もなく無事に家まで帰りたい。
今日一日悩んでいたことも全て杞憂に終わってほしい。
しかしまあ、酷い雨だ。
「はあ……しばらく止みそうにないな」
止まないどころか強まる雨足にため息をつきながら昨日のことを少し思い出してしまう。
◇
昨日も、土砂降りの雨だった。
幸いなことにその日は朝の天気予報を偶然見ていたおかげで折り畳み傘を持っていたので放課後になっても止まない雨を気にすることなく下校することができたのだけど。
思えばそれが不幸の始まりだったのである。
少し小さな傘で頭上を守りながらも、激しい雨のせいで肩や足元が少しずつ濡れていくので小走りで家を目指していた。
その道中でのこと。
家のすぐ近くのコンビニの駐車場で、見覚えのある女子の姿を発見した。
それが雨宮千尋だった。
コンビニの軒下で雨を避けるようにして、空を見上げて困った顔をしていた。
よく見ると肩や髪がずぶ濡れだ。
きっと傘を忘れてここまで走ってきたものの、限界を迎えて雨宿りといったところだろう、と。
何気なく彼女を見ながら、しかしいくらクラスメイトとはいえ話したこともない異性に対して、急に傘を差し出すような気持ち悪い真似を俺は考えもしない。
そんなのは優しさではなくただの下心だ。
悪いが、雨が止むまで待つか傘を買うか迎えを依頼するか、とにかく自分でなんとかしてくれと。
俺はその場を離れようとした。
その時だった。
「おい姉ちゃん、金だしな!」
雨音をかき消すほど大きな声が駐車場に響いた。
再び顔を上げると、雨宮の目の前に黄色いレインコート姿の男が、刃物を持って立っていた。
「い、いや……た、助けて」
「なんだ金ねえのか? だったらこっち来い! お前を人質にして店から金せしめてやる」
「や、やめて! だ、誰か!」
後退りしながら雨宮が叫ぶと、すぐに外の異変に気づいた店員が飛び出してきた。
「や、やめなさい! は、刃物を置いて」
「うるさいんだよ! 誰でもいいからさっさと金持ってこいってんだ!」
男は雨宮の背後に回り込んで刃物を向ける。
店員たちも皆、恐怖で足がすくんで動けない。
雨宮は、ガタガタを肩を震わせながら何かを覚悟するように目を閉じていた。
そして、誰もが緊迫するこの状況で、一人だけ雨に打たれながら走り出していたのが俺だった。
当然、刃物なんて怖いに決まってる。
でも、目の前で知っている人間が襲われているのに見て見ぬふりなんて、できなかった。
こういう場面に遭遇したら自分なら絶対こうするだろうとわかっていた。
自分のことは自分が一番よく知っている。
だから今まで特に仲のいい友達とかを作ってこなかったのに。
自分という人間を認知されることがどれだけ自分にとってリスクしかないか、わかっていたはずなのに。
「やめろー!」
「な、なんだお前!? く、くるな!」
「ぐえっ」
犯人に飛びかかった俺を振り払おうと向けられた刃に、俺はぐさりと刺された。
腹を深々と。
そして辺りには真っ赤な鮮血が飛び散った。
「きゃー! 人殺しー!」
騒ぎにかけつけた女性店員の一人が大きな悲鳴をあげながら尻餅をつく。
そして、刃物ごと濡れた地面に俺が転がると同時に男性の店員が男に飛びかかり羽交締めにした。
「大人しくしろ! おい、警察と救急車を!」
住宅街のコンビニで起こった強盗殺傷事件に、すぐさま多くの人がかけつけ辺りは騒然となった。
もちろん普通であれば俺はこのまま救急車で運ばれて、運良く生きていれば英雄、運悪く死んだとしても棺桶に賞状くらいは入れてくれただろう。
でも、そうはならない。
普通ではないから。
俺は周囲の混乱に紛れながら走ってその場を離れた。
逃げた。
腹を包丁で思い切り刺されたのに、だ。
「……あー、痛かった」
ずぶ濡れになりながら人目につかないところまで逃げた俺は、自宅が見えたところでようやく一息。
そして腹の傷を見ると。
何事もなかったかのように綺麗に塞がっていた。
制服のシャツだけがスパッと切れたまま。
一緒に貫かれたはずの俺の肉は、皮膚は、綺麗さっぱり元通り。
それを見て、気分が下がる。
やっぱり俺の体は化け物のままだと。
そう。
俺は不死身の化け物である。
先天的なものか、後天的にそうなったのかについては定かではないし、見た目も人間のそれだが、俺はとにかく不死身なのだ。
刺されても、撃たれても、毒を盛られても死なない。
理屈も理由も、何もわからない。
しかし、死なない体だということだけはどうしようもなく事実なのである。
まあ、思い出したくもないが紆余曲折あって何度か死にかけた、というより普通なら即死案件なほどの被害を何度も受けたことがあるのだがそんなこんなを経ても俺はこの通り五体満足でピンピンしているわけで。
嫌でも自分が人間とかけ離れた存在であると実感させられる。
まあ、普通に腹は減るし身長も伸びて大人になったし、血が欲しくもならないし太陽の光を浴びても灰にはならないので、その辺は普通の人間と何も変わらないのだけど。
こんな力、誰かにバレたら絶対いじめられる。
いや、いじめられるどころかどこかの研究機関にさらわれて死ぬまで実験体にされるに違いない。死なないけど。
そう、死にたくても死ねないのだからそんなことになったら一層絶望的である。
だから俺は小学校も中学校も、高校に入学してからもずっと、誰ともかかわらず生きてきた。
優しい両親のおかげで人並みに思いやりのある性格に育ったことも自覚している。
昔飼っていた猫が亡くなった時に死ぬほど辛い気持ちになったし、祖父が病気になった時も誰よりも動揺していたっけ。
結局、関わった人たちの不幸を見過ごせない性分なのだ。
だから、友達なんか作ったらそいつの身に危険が迫った時には自分のこの力を使って全力で助けるに違いないと。
でも、そんなことしたら自分が化け物だとバレてしまう。
わかっていて、ずっと人を避けて生きてきたというのに。
やってしまった。
大勢の人の前で刺されてしまった。
そして元気に走って逃げてきてしまった。
今頃、救急隊員や警察が俺のことを探しているかもしれない。
監視カメラに写っていたらどうしよう。
そんな不安を抱えながら、俺はこの春から借りた一人暮らしのアパートへ足を向けたのだが。
その時だった。
「あの」
雨の音の中に混ざって、女性の澄んだ声が聞こえた。
振り返るとそこには、傘もささずにずぶ濡れになりながら俺の方をじっと見る制服姿の女子が一人。
雨宮千尋だ。
「……な、なんですか?」
平然を装いながらも、当然俺は動揺していた。
追いかけてきたのか?
なぜ?
やっぱり、見られた?
どうしよう、言い訳を考えないと。
「あの、さっきは助けてくれてありがとう。あなた、同じクラスの近江君、だよね?」
「そ、そうだけど。ええと、わざわざお礼を言いに追いかけてきたの? だったらもう大丈夫だから、風邪引くしもう帰りなよ」
「もちろんお礼は言いたかったんだけど。ええと、怪我、してたよね?」
「……」
やっぱり。
不審がっている。
刺された人間がすぐにピンピンしているなんてにわかには信じ難いだろうから、半信半疑な様子ではあるが、でも明らかに俺のことを疑いの目で見ている。
なんで刺されたのに平気なんだと、そう顔に書いてある。
誤魔化さないと。
「……服を切られただけだよ。ほら、傷はないんだ」
「……刺されてなかった?」
「は、はは。刺されてたらなんで今こうしてピンピンしてるんだよ。それに傷どころか血もついてないだろ?」
ちなみに、俺の再生力は結構すごくて、飛び散った血や服に滲んだ血も、傷口が治る時に全部体の中に戻っていくのである。
これが圧巻、気持ち悪いったらありゃしない。
今日は雨で視界が悪かったのでそんなところまでは彼女に見られてないようだけど、生で見たらドン引きされるどころじゃない。
「……ほんとだ。でも、あんなにひどく転んでどこも怪我してないの?」
「ま、まあね。昔柔術をしてたから受け身がとれたのかな、あはは」
苦しい言い訳をしながら、彼女が諦めるのを待つ。
しかしどうも腑に落ちない様子の雨宮は、首を傾げながらずっと雨に打たれている。
それが気になって仕方ない。
「……傘、よかったら」
折り畳むまもなく持ち帰った折り畳み傘を彼女に渡す。
「あ、ありがとう。優しいんだね」
「べ、別に普通だって。それよりほら、傘は持って帰っていいから早く帰りなよ。体、濡れてるだろ」
「……あの、近江君」
「ん?」
顔を赤くしながら、俺の渡した傘に縋るように体をもじもじさせる雨宮が上目遣いで俺をじっと見つめる。
なんだろう、まるで告白でもされるような空気だ。
いや、これはほんとに告白されるんじゃないか?
人生で一度も告白なんてされた経験のない俺でも、確信を持って言えるレベルに彼女は照れていた。
この時俺の脳裏に浮かんだのは、どうやって彼女を傷つけずにフるかだった。
いくら相手が学校のマドンナであろうと、俺は誰かと関わり合って生きていっていい人間ではない。
必ず、迷惑をかける。
だから、助けてくれた同級生にうっかり惚れてしまった君には気の毒だけど丁重にお断りしようと。
彼女の目を見ると。
目尻を下げながら雨宮はこう言った。
「ねえ。私にも、斬らせてくれない?」
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