第23話

 夜の時間が予定外に短くなったので、食事は外食にすることにした。何となく目に留まった和系の小料理屋の中へと入る。

 店はあまり大きくない。カウンターに五席と、四人掛けのテーブルが二脚置いてあるだけだ。

 席は半分ほど埋まっていて、理人で過半数を超えた。

 そんな、決して多いとは言えない人数の中に。


「おっ!?」

「あ」


 知り合いがいたというのは、なかなか珍しい偶然だろう。


「祈龍……さん。お疲れ様です。プライベートですか?」

「おー」


『刑事』と呼び掛けては無用に人の耳目を集めてしまう気がしたので、直前で変えた。

 そのせいで妙な間が生まれてしまったが、この場の誰も気にした様子はない。

 少なくとも、職業を口にするよりは無難だっただろう。

 仕事中ならば大抵二人組で行動しているが、祈龍の近くに人はいない。ゆえに仕事外だろうと判断したのだが、正解だったようだ。


「ありがとな。まあ座れよ。一人でテーブル席を独占してんのも悪いなって思ってたところだ」


 理人の気遣いに礼を言い、祈龍は同席を進めてきた。


「では、遠慮なく」


 断る理由もないので、理人は祈龍の正面に腰掛けた。水を運んできた店員に礼を言って口を付け、メニューを見る。

 なんとなくの気分で選んだのは、サバの味噌煮定食。


「――少し、お疲れですか?」


 メニュー表を戻しながら、会った瞬間から気になっていた質問を投げかけてみた。

 普段の祈龍と比べて、覇気というか鋭気というか、そういうものが陰っている気がしたのだ。


「んー、まあ、少しな」

「お仕事で上手くいっていないとか」


 祈龍の仕事の進捗が芳しくないのは、理人にとって――というか日本国民全員にとって喜ばしくない。つい、突っ込んで訊ねてしまう。


「ちょっと行き詰ってる感じだ」

「……厚生労働省の職員の方の、自殺の件ですか」


 声を抑えて配慮しつつも、ついに口にした。


「当たり」


 そしてため息をつきつつ、祈龍は認める。


「本当に自殺なんですか?」

「目茶苦茶怪しいが、そうなってる」

「いいんですか、怪しいとか言ってしまって」


 訊ねた理人が言うことではないかもしれないが、自殺は現状の公式見解だ。それに否定的な文言で返すのは大丈夫なのか。


「まだ決定じゃねーから。可能性は消さずに捜査するべきだ。な?」

「成程」


 そういう言い方をすれば、警察官として正しい姿勢と言えた。


「ちなみに、そっちはどーよ。その後不審なこととかが起こってたりはしねーの?」

「幸い、ないようですね」

「だよなあ」


 祈龍の声には安堵と落胆が、同じぐらいの割合で含まれているように感じられた。


「さすがに不謹慎かと」

「あー、悪い。本当にな」


 いっそ動いて、尻尾を掴む機会にできれば――というのは少し前に理人も考えたことである。

 しかし危険を伴う発想なのですぐに思い直したし、自分以外の別の人間に望むと言うなら褒められるものではない。

 まして警察官である祈龍となれば、許されないとまで言ってしまってもいいかもしれない。


(それはそれとして)


 危険ではないが、変化はあったのだ。


「ただ、社長の様子が普段と違うそうですよ。なんでも、とても落ち着きがないのだとか」

「警察に話したいことがあるとか、そーゆーのはないのかー?」

「ないですねえ」


 自責の念から自白するタイプではないし、現状は自白よりも沈黙が得だと判断しているのだ。


「私が聞いたのは態度に落ち着きがないことと、これまでそんな趣味など伺わせなかった社長が、なぜか会社に私物のコーヒーを持ち込んだ、というぐらいです」

「あ? コーヒー?」

「はい」


 会社はもちろん、加波上の自宅も捜索を受けているはずなので当然知っているだろうと理人は考えていた。

 なので、頬杖を付きながら話していた祈龍が顔をしゃんと正面に向けてきたのを意外に思う。


「それ、いつだ」

「五月十一日。社長が連行されていった日ですね」

「んん……? だったら何で……。ああ、そん時はまだ新薬認可のネタだけだったからか」


 時系列を頭の中で整理したらしい祈龍は、納得した様子でうなずく。その呟きで理人にも察せられた。


(書類やデータの回収はともかく、新薬認可の不正でコーヒー粉末は調べないよな……)


 まして会社という場所にあっても不自然ではない代物だ。

 それでも祈龍が反応したのは、そのあとに発生した厚生労働省の職員の死に加波上と粉末が関係していた証だと言える。

 祈龍に聞いて彼が口を滑らせてしまうと、情報漏洩になるだろうからあえて訊ねないが。


「それはちょっと貴重な情報だったぜ。ありがとさん。明日早速、もう一回捜索に入るとするわ」

「いえ。それは早計かと」

「あ?」


 無論、警察がやると決めたのなら理人に止める権限などない。祈龍とて、組織が決めたのなら止められないだろう。

 だが思い直すように、理由を話すことはできる。


「今何かしらの証拠が挙がっても、加波上社長は口を噤んでしまうと思いますよ」

「テメーが殺人犯になってもか? そんな義理堅いタイプにゃ見えなかったぜ」


 祈龍の見解には理人も同意する。理由は別だ。


「保身からです」

「保身?」


 殺人犯に仕立てられかねない、つまりは人生の破滅だ。理人の言う保身の意味を、祈龍は数秒眉をしかめて考えた。

 それからはっとした表情になる。


「人生の破滅どころか、命そのものを取られることを怯えてるってか」

「脅されているかもしれませんし、そうでなくても想像はするでしょう」


 何しろ相手は、既に実行しているのだ。

 余程都合のいい思考回路をしていない限り、自分だけは大丈夫などと安心していたりはしないだろう。

 そして幸い、加波上はそこまでおめでたくはない。だからコーヒー粉末を未だに持ち続けている。


「口を噤んで、殺人者として刑務所に入った方がまし、か」

「はい」


 加波上がそう思っている限り、証拠を突き付けようが尋問しようが無駄だ。その背後までは届かない。


「けどなあー。そこにあるって分かってて野放しはナシだ。やっぱとっ捕まえて吐かせるしかねーだろ」

「正攻法はそうですね」

「ふーん? んじゃ、正攻法じゃないやつは?」


 理人がした含みのある言い回しを、祈龍は聞き逃さなかった。即座にそう訊ねてくる。


「一芝居打ってもいいのでは、と考えています」


 市民を陥れるなど、警察がやるのは許されない。しかし。


(俺たちは一般人なんでね)


 人として悪辣な行為であるのは同じ。だが相手の疑心暗鬼に付け込んだ芝居ぐらいは、時と場合によってはナイツオブラウンドはやる。

 己の正義が示すままに。

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