第22話
「それで、殺人を?」
「いいえ。むしろ殺されそうになった側かと。もしくは発覚しそうになったときの犯人役にされているかもしれません」
職員は、今は『自殺とみられる』ことになっている。だがもしその死が、良心の呵責に耐えかねて本人が選んだものではないのなら。
「殺人となれば、犯人がいなくてはおかしいですから」
「だったら原因になるだろう毒入りコーヒーなんか捨てて……。あっ。それが証拠でもあるんですね!?」
自分を陥れるかもしれない、しかし自分の冤罪を晴らして真犯人にまで繋がるかもしれない証拠。だから手放せなかったのではないか。
「うーん。だとすると、どこから攻め込めばいいでしょうか」
「加波上社長を説得は……難しいのでしょうね」
正攻法だが、職員が『自殺』の間は口を噤むだろう。そのまま事件が終息すればよいと考えているのだ。
「警察が『自殺』にしたのも腑に落ちませんわね。もし死亡の時間帯の近くに加波上様が来訪したのなら、調べは簡単につくはずですもの」
人間が行動すれば、必ず痕跡が残る。
「下手に罪を問えば致命的な報復を受けるような、強権を持つ相手だから恐れた……とか?」
「だとしたら、許されませんね!」
日本は憲法によって人権が守られた法治国家だ。自分の持つ権限を使って他者の権利を侵害するなどあってはならない。
しかし残念ながら、現代においても身分制度があった頃のような時代錯誤な事例が後を絶たないのは事実。だからこそ、一件一件にしっかりと向き合い、本当の意味で時代を進める必要があるだろう。
ひと一人一人は弱いものだ。己の生活を、人生を脅かす可能性のある相手に、どうして立ち向かうことができようか。
しかしそのような無体がまかり通ってはならない。止めなければ、社会は暴力を肯定するようになってしまう。
「いや、落ち着いてください。そうと決まったわけではありませんから。そもそも今までの話はすべて、推理とも呼べない妄想ですよ」
波紋を呼んだ理人自身がそう言って、場の空気を宥めた。
「そ、それはそうですよね。すみません」
過去にどのような事例があろうとも、今回とは別件だ。混同した物言いをした自分を恥じて、比奈は謝罪をする。
「でも、あり得そうではあるわよね」
「それであればやはり、まずはこの粉の正体を突き止めてみませんか?」
ただのコーヒー粉末なら問題ない。なぜ持て余す私物を加波上が手にしたのかは謎だが、違法でない限り個人が何を所有しようと自由である。
だがもし毒物ならば、その時点で問題だと言えよう。
「よろしいかと存じますわ。……本当に、ただのコーヒー粉末の方がよいのでしょうし」
すでに失われた命がある以上、何がどうだろうと取り返しはつかない。
だがそれでも。誰かが悪意によって命を奪ったというよりは、己の罪に怯えて自ら命を絶ったという方が、誰にとっても救いがあろう。
「本当に」
櫻に同意を返しつつ、理人は思う。
――望み薄だろう、と。
勿論、口に出したりはしないが。
「ともかく、皆さんに話せて少し楽になりました。一人で悩んでいたら、どうするべきなのか分からなくなってしまいまして」
重すぎる秘密は、共有する者がいるだけでも心を慰めてくれる。背負った肩の荷も多少は軽くなっただろう。秋庭は言葉通りにほっとした表情を見せた。
それでけで、この場の話し合いには価値があったと言える。
「これからも、何かありましたらお気軽にご相談ください」
「わあ。凄く警察とかが言いそうなセリフね、それ。実はともかく」
清治の捜索に動いてくれなかった件が影響しているのか、香澄の物言いには棘がある。
一市民の立場で言えば、己の手ではどうにもできない事態にはあまねく対応して手を貸してもらいたいところだ。しかし彼らは公僕である。法に定められていないことはできない。
「懸命に務めてくださっている方はいますよ。残念ながら、そうではない人がいることも否定できませんが」
「できれば、前者が多いことを願いたいですけど。うーん」
「善行は広まりにくく、悪評は目立ちやすい。世の中はきっともっと、善性を称賛するべきなのでしょうね」
社会が社会として維持されているということは、人々の善性が勝っているはずなのだから。
「――ごちそうさまでした。そろそろ、お暇させていただきましょう。ええと、代金は……」
「結構ですよ。というか、この流れで料金を取ったらかなり悪質です」
ほぼ断れないだろう流れだった。
「では、ご厚意に甘えさせていただきます」
「美味しかったわ」
「ありがとうございます」
律儀に誉め言葉を述べた香澄へと、理人も礼を返す。
三人を見送って、騎士三人はディアレストへと戻った。
「えっと、後片付け、手伝えることはありますか?」
プロの職場において素人ができる手助けなどほとんど存在しない。そうと分かっている比奈の申し出は控えめだ。
なので、理人も気持ちだけ受け取っておく。
「ありがとうございます。しかしそれは私の仕事ですから。比奈さんと久遠寺さんは、ご依頼の手配をお願いします」
預かった謎の粉末に視線を向けてから、比奈はこくりとうなずいた。
「分かりました。お任せください」
「では、わたくしたちもこれにて失礼いたします。ごちそうさまでした」
二人は軽く頭を下げ、ディアレストを後にする。
自分一人だけになった店内を見回し、理人は何とはなしに寂しい気持ちになった。
(やっぱり、人がいない店は寂しいな。それとも、夜だから余計にそう感じるのか?)
どちらにしろ、次に胸に宿る気持ちは同じだ。
(明日来てくれる人のために、万全に整えよう。次にまた、訪れてもらえるように)
気持ちを新たにしてくれたこの集まりは、意外に理人の本業においても有益だった。
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