第24話

 その日涼やかなベルの音を鳴らして店内に入ってきたのは、比奈と櫻だった。


「ごきげんよう、香久山様」

「こんにちは、理人さん」


 櫻はいつも通りに品良く。比奈は――まだ若干ぎこちない。

 日にちが経ってうやむやになってしまった感はあるが、解決はしていないので無理はないだろう。


「こんにちは、久遠寺さん、比奈さん。休息、という雰囲気ではなさそうですね?」

「仰る通りです。粉末の調査結果が出たので、お知らせに参りました」

「足を運んでいただき、ありがとうございます。では……?」

「やはり、毒でした。極めて致死性の高い、危険な成分が検出されましたわ」

「ならば九割方、職員の方――佐々村さんは殺害されたと見ていいのでしょう」


 それ以外に毒入りコーヒー粉末を、加波上が大事に持っている理由がない。


「でも、どうして加波上社長はわざわざ毒を持ち出したんでしょう」

「自分が持って行ったからだと思いますよ」

「……えっと?」


 飲み込めない様子で、比奈は首を傾げる。櫻も同様だ。


「そうですね。たとえば、黒幕――仮にA氏としましょう。A氏から今後の対応のための言伝を加波上社長が預かるとします。その手土産として渡されたらどうでしょうか」


 A氏は佐々村よりも社会的地位の高い人物だろう。その相手から渡されたコーヒーだ。自然の流れで淹れたのではないか。

 なんなら、感想の一つも聞きたがっている素振りを見せれば完璧だ。地位の高さは、ときにそれだけで圧力を生じさせる。


「現場は佐々村様のご自宅。加波上様が台所を熟知するほど深い付き合いだとは思えませんし、家主である佐々村様がご用意したと考えられますね」


 状況を思い浮かべつつ言った櫻に、理人はうなずく。


「ええ。自分で毒を入れて、飲んだ。だから『自殺』なのではないでしょうか」

「んん? 待ってください。でも毒入りコーヒー本体は、加波上社長が持って帰ってしまったわけですよね? 飲んだ分しか検出されないことになりますけど」


 かなり不自然だ。


「そのあたりが、時間の妙だったようで。時系列だけで言えば、佐々村さんが殺害された後に加波上社長の身辺に捜索が入っていることになるんですよ」


 目的が異なる捜索の結果、元凶のコーヒー粉末は見逃されてしまった。


「後から気付いた人はいるでしょうが、気付いたからこそ、再捜査をためらっているのかもしれません」


 証拠が見付かり、加波上が罪を認めれば真実に辿り着けないまま事件が片付けられてしまう。もう一歩、奥に届く証拠を見付けてから加波上に再聴取したいのではと理人は予想している。


「確かに、難しそうです……」


 加波上が罪をある程度認める心積もりでいる以上、佐々村や、またはその上役と話していると言うだけでは不十分なのだ。

 かといって、毒入りコーヒーを手渡された瞬間など残っているはずもない。


「じゃあやっぱり、加波上社長の協力がいるんですね……」

「はい。ですので一つ、芝居を打ってみてはどうかと思っています」

「芝居、ですか?」

「そうです。社長が『黙っている方が損』だと思う、一芝居を」


 祈龍と話して考えた結果、理人にはそれ以上の案が浮かばなかった。


(褒められた行いじゃない。けど)


 真実が埋もれるよりはマシだと信じている。




 ここしばらくの加波上には、落ち着きがない。

 普段からして人好きのする性格とはとても言えないが、機嫌の悪いときは尚更だった。社員たちは皆、なるべく関わらないようにと避けて過ごしている。

 そもそも、それどころではないと言うのも実情だろう。

 不正が明るみに出て以来会社の信用は失墜し、先行きが不透明。倒産まで追い込まれれば、自らの生活が危うくなる。

 そんな加波上の元に、秋庭はある報告のために訪れた。


「社長、失礼いたします」


 ノックをして声をかけ、扉を開いて中へと入る。


「なんだ、この無能が」

「今朝方からずっと、会社の近くを不審な人間がうろついているようですので、念のためにご報告をと思いまして」

「不審な人間? それならいつもいるだろうが。見ろ」


 加波上が顎で示した窓からは、記者たちの姿が窺えた。

 動きがなく数日が経過したことで人数は減っているが、完全にいなくなった日はない。


「いえ、どうにも記者のようには見えなかったと」

「じゃあ何だと言うんだ」

「体格のいい男性だそうですよ。つばの内側が黄色い、黒のキャップと黒いシャツ、灰がかった赤のズボンを着ているそうです。目立つ風貌で、社員の間で話に上がっていまして」

「……何?」


 憤りを吐き出すだけだった加波上の反応が変化する。


「昼食を食べに出た社員もまだ見かけたということで、恐怖を感じている者もいます」

「まさか……まさかそんな。見間違いじゃないのか」


 本気でそう思っているというよりも、信じたくない気持ちだけで加波上は否定を求めた。それに対して、秋庭は困惑した様子で首を横に振る。


「どうでしょうか……。複数人から同じ話が出ていますから、ただの見間違い、気のせいということはないと思いますが」

「……」


 信じたくない方の理性的な思考を口に出されて、加波上の視線が泳ぐ。


「一応、警察に連絡をしてみますか? 向こうも思うところはあるかもしれませんが、一般の社員たちにはかかわりのないことですから」

「ああ……。そうだな……いや、待て。待て」


 一度秋庭にうなずきかけたものの、加波上は途中で止めた。


「警察は、よくない。また記者が喜ぶだろう」

「では、どうしますか?」

「放っておけ。別に害を与えられたわけでもないんだから、騒ぎすぎだ。ただの気のせいだろう」

「しかし、社長。万が一――」

「うるさい!」


 勤めている人々の安全を訴えようとした秋庭を、加波上は一喝する。


「気のせいだと言ったら気のせいだ! 根も葉もない噂を吹聴するんじゃない! 分かったか!」

「……分かりました」


 諦めた様子で、秋庭は社長室を後にする。


「……くそっ。くそっ」


 一人になった加波上は悪態をつき、そわそわと窓の外を見て、再び椅子に戻る、という動きを繰り返した。


「どういうつもりだ。俺は何も喋っていないだろうが。まさか俺まで……。くそっ。冗談じゃないぞ、異常者め。人殺しなんか、そんな簡単にするか?」


 自分に都合の悪かった清治の殺害は簡単に他人に求めておきながら、自分本位極まりない言葉を吐き散らす。

 それから何度も、コーヒー粉末の入った紙袋に目を向けた。


(どうしてこんなことに)


 自問する。

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