第14話
翌朝、ゲストルームで起床した理人は、建物の周辺を囲う庭へと散歩に出た。
(会社で寝起きするっていうのも、奇妙な感じだ)
昼間の勤務である理人は、夕方以降社内に残ることがあまりない。
設えられたベンチに腰掛け、整然と整えられた庭をぼんやりと見て穏やかに過ごす。と、人の足音が近付いてきた。
「おはようございます」
「おはようございます。昨夜は眠れましたか?」
声をかけてきたのは、香澄だった。
「なんとか。少なくとも兄の無事が確認できたので、ほっとはしましたし」
「そうですよね。ご無事でよかった」
「ありがとうございます。……でも、兄を襲った人は、きっと偶然なんかじゃないんですよね」
「はい。明確に、清治さんを狙ったかと」
嘘をついたところで意味はない。
香澄も分かっているし、そもそも清治本人に心当たりがある素振りだった。気休めにさえならない。
「内部告発が怖いからって……。普通、人を襲うことまでします? 信じられない……」
「同感です」
己の罪を隠すために人の口を封じようなどとは、とんでもない悪行だ。
だが誠に腹立たしいことながら、それを実行している何者かはいる。
「清治さんは、昨夜戻られましたか?」
「はい。聴取が終わって、刑事さんにここまで送ってもらったそうです」
「それならよかった」
夜も遅かっただろうし、徒歩の選択肢はあるまい。送ってもらえずともタクシーなりを拾うつもりだっただろうが、善意の警察官に送ってもらえるのが一番安心には違いない。
「話はしましたか?」
「いえ。疲れているみたいだったので、そのまま休みました。同じ話をどうせ今日するんだから、二度手間で時間を潰すことはないかなって」
合理的である。しかし気持ちの上では落ち着くまい。
香澄が合理性を取ったのが、理人には少し意外だった。もっと感情に素直な人だという認識だったからだ。
「今、意外だって思ったでしょう」
「失礼ながら」
見抜かれてしまったようなので、大人しく認める。
「別に失礼でもないわよ。ただわたしにとっては、兄さんが無事に帰ってきた時点でほぼ終わったというか」
「ああ、成程」
失踪の理由はもちろん重要だが、香澄にとっては焦る類のものではないということだ。
「だから、改めて。ありがとう。あの日貴方に会って止められていなければ、きっとわたしはまだ兄さんに会えていないでしょう」
「お力になれたのなら、何よりです」
「……」
にこりと笑って理人が言うと、香澄は眉を寄せて沈黙してしまった。
「あの?」
「それ、素じゃないわよね」
「まあ、そうですね」
香澄と理人は腹を割って話すような付き合いをしていない。香澄が敬語を使わないのも、初対面の際のやり取りのせいで、今更感が強くむしろ気まずいからだろう。
「わたしはただの客だし、今は仕方ないんだろうけど。凄く『この距離から先には入ってくるな』感があるわ」
「そ、そんなつもりはありませんが」
否定しながらも、若干嘘かもしれないと理人自身も思ってしまった。
比奈や櫻――ナイツオブラウンドの多くの騎士たちに対して、『ディアレストの主人』として相応しい顔を崩さないように接しているのは確かだ。
(だってそれが、俺の理想の姿だから)
『こう在りたい』という理想像を演じての結果である。
つまりは理人自身、理想とは違う自分自身を自覚している。
ここから先には踏み込んでくるなと香澄が感じたのも、本来の自分を奥に隠しているのを感じ取られているからだろう。
その時点で、理人としては少々失敗している、と言える。
「ふーん?」
「気分は悪いかもしれませんし、私の未熟さは謝罪します。が、不都合と言えるほどのものはないはずです。互いに」
「あるって言ったら?」
「どのような、と伺わせていただきましょう」
理人は理人で、自分の描く理想像に夢があった。だからこそ否定は簡単には受け入れられずに、やや強い口調で聞き返す。
「わたしが、貴方にちょっと好意を持ってるから」
「……はッ!?」
あまりにストレートな物言いに、唖然とした声が出た。
「別に驚くことじゃなくない? 貴方のおかげで助かったって感謝してるし、そうなったのは貴方が見て見ぬ振りをしないでわたしを止めた、勇敢で正義感の強い人だったから。人として好意が持てるし、恋愛的な意味でも興味があるわ」
堂々と説明されてしまった。多少の照れはあるのか香澄の口調はやや早口だが、互いに逃げ道を残さない明快さで伝えられる。
「だから、私人である貴方のことも知りたい。ダメ?」
恋人となることを見据えた、個人の付き合いを香澄とするか、否か。
理人と香澄の年齢なら、その先に結婚も視野に入ってくる。勿論、双方の意思確認が必要だが。
(俺は……)
香澄のことは嫌いではない。ならば互いを知るために、個人として付き合ってみるのも悪くないはずだ。
だが、ためらった。
なぜならずでに、続きを描きたい相手が理人の心の中には居る。
「友人としてなら。けれど、私は――俺は、貴女と恋愛関係を前提とした付き合い方はできない」
「……そっか」
理人が断りの言葉を入れて答えると、香澄は短く受け止めた。その声には押し殺した悲しみがある。
「でも、友人ならいいのね」
「俺の方は。でも、もし貴女が俺のことが好きなら、あまり楽しい時間は過ごせないんじゃないか」
香澄の方でも踏ん切りがついて、友人として付き合えればまた別だが。
「んー。分かんない。だから、ちょっと友達やってみない? 苦しかったら離れるし。もしかしたら普通に友達になるだけかも」
人として好ましく思っているのも、香澄の中では本当なのだ。
「ひょっとしたら、貴方の気の方が変わるかもしれないし」
「それは、まあ」
比奈に対して好意を持っている自覚はあるが、だからこそ身動きを取るのを恐れているのが現状だ。
自分にとって優しい香澄とのやりとりに、心が動く可能性は充分にある。
「かもしれないんだ!」
(しまった)
表情を明るくした香澄に、理人は手拍子で受けてしまった答えを後悔した。
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