第15話
「今のところ、予定はない」
「分かってる分かってる」
軽い口調だが、香澄も本当に分かっているのだろう。
その上で期待をした。させる言い方を理人がしてしまったというべきか。
「早朝の散歩もたまにはしてみるものね。早起きは三文の得って、よく言ったものだわ」
「……」
喜ぶ香澄にどういう反応を返すべきか迷って、理人は答えあぐねていた。その間に香澄はうんっと伸びをして、意識を別のところへ向けてしまう。
「じゃあ、わたしはそろそろ戻るわ。また後でね」
「ええ」
反射的に営業用で返してしまった。
香澄は一瞬、もの言いたげな顔をする。しかし『後で』する話は正しく仕事だと納得したらしく、うなずくだけに留まった。
「それじゃ」
締めの挨拶をして、庭を立ち去る。
(本当に、行動力のある人だな)
これまではどちらかというと、マイナス方面に発揮されてきた部分と言えよう。
向ける方向を間違えると厄介なのはどんな性質でも同じで、場面にとっては美徳なのだ。
(怖くなかったわけがない)
自分の心、気持ちを伝えるのは、怖い。否定されれば悲しいし痛い。大切な想いならば尚更だ。
実際それで、理人は二の足を踏んでいるわけで。
(完璧に負けてる)
香澄の勇敢さを見習わなくてはと、一人ひっそりと落ち込んだ。
「――では改めまして、事情を聞かせてもらえませんか」
午前十時。朝食を採って身支度を整え、一息つくには充分な時間だろう。
清治と香澄が揃ってディアレストを訪れ、比奈と櫻が迎え入れたあと、そう切り出す。
「はい。こうなった以上、お話しなくてはならないと思います。……けれど、その、応接室などではないんですね」
完璧に、喫茶店以外の何物でもないディアレストで事情を語ることになるとは、ここに来るまで思っていなかったらしい。
「お望みでしたら、場所を移しましょうか」
「こっちでいいじゃない。いかにもな部屋だと息苦しいし。何回かお世話になったからかもだけど、ディアレストは落ち着くし」
「機密の面も、ご安心ください。ディアレストはあくまで、我がナイツオブラウンドの一部ですので」
「分かりました」
香澄と比奈に続けて説明され、清治はうなずく。特に香澄の意向は大きなウエイトを占めていたことだろう。
「まず。どうして急に行方不明になったのよ。凄く心配したんだからね」
「何も知らない方が安全だと思ったんだ。俺が名前を挙げていた以上、お前が真っ先に突撃するのは秋庭さんになるだろうから、いっそその方がいい目くらましにもなるかと思って」
「秋庭さんと清治さんは、間違いなく共謀関係にあるんですね?」
「はい」
理人の確認に、清治ははっきりとうなずいた。
つまり、香澄が派手に清治を探すことで彼女は無関係だと主張することが一つ。その香澄が秋庭を疑った行動を起こすことで、秋庭の共謀も隠す。
どちらかと言えば、後者が主目的だろうか。
「わたしのことまで利用したの!?」
「すまない。だが、その方がお前にとっても安全だと思ったのは本当なんだ」
「そうですね。過剰ではなかったと思います」
事実林記者は殺されているし、清治自身も襲われたばかりだ。
「理由はやはり、内部告発の妨害ですか? 一体どのような不正なんです?」
「新薬認可の試験短縮です。認可されて市場に出回れば、現在市販されている解熱剤より平均一割ほど安く提供される商品となります」
「一割! 随分大幅に下げられましたね」
「いえ。してはならないから、どこもやらなかった。それだけの物です。正しく精査すれば認可など下りません」
驚愕の声を上げた比奈に、清治は腹立たしげな表情で首を横に振る。
「薬とは、毒でもあるんです。審査に手抜かりなどあってはならない。まして重大な副作用を生じる可能性を予測していてなお、その薬を出回らせるなど……見過ごすことはできません」
「酷いですね」
「ええ、間違いなく。断じて、許されざる行いですわ」
顔を歪めて短く、しかし明確に嫌悪を表して呟いた比奈に、櫻も強く同意した。
「そう仰るということは、清治さんは薬の認可が下りてしまうと考えているんですね?」
「はい」
迷わずうなずいた清治に、皆が何とも言えない顔をする。
「無論、厚生労働省の職員全員が、そのように命を軽視した行いをするわけではないでしょう。しかし社長は認可に自信を持っていた。きっと、担当者の誰かを買収したんです」
担当する仕事がもたらす影響力ゆえに、決してあってはならないことだ。しかし残念ながら起こり得ることでもあると、その場の全員が否定をしなかった。
「では、わたしたちのやるべきことは増えましたね!」
怒りと諦めの入り混じった清治の告発を受け、比奈は一つ大きくうなずき、言い放つ。
「えっと、告発まで兄さんの身も護ってもらえるよう正式に契約を更新しようってこと?」
「それも勿論ですが。そのような不正に手を染める企業家しかり。お金のために本来守るべき規定を無視するような悪徳政治家しかり。そんな人物には国政に携わる場所から去ってもらうべきです!」
私利私欲に走り、金のために自分たちを害することを許容するような政治家を、国民は誰も望んでいない。
民主主義国家たるこの日本においては、比奈の言は尤もである。
「そ、それは……」
しかし可能か不可能かの話になれば、ほぼ不可能だと言えた。一人二人の声では、国民の総意を付託された政治家を降ろすことはできない。それが民意というものの重大さである。
だが権力を前に為すべきを諦めて剣を折るのは、ナイツオブラウンドの騎士道に反する。
「ええ、仰る通りですわ、比奈様!」
「となると、金銭のやり取りがすでにあったかどうかも調べたいところですね」
櫻と理人も、当然とばかりに比奈の提案を叶えるための思索を始める。
「ほ――、本気ですか!?」
それにうろたえたのは清治だ。香澄も腰が引けている表情をしている。
「勿論です。というか、清治さんだって同じ目的でしょう?」
「いえ、私は薬が認可されるべきではないと公表され、周知されればそれでよいと……」
権力者に喧嘩を売るところまでは考えていない。何なら、見識が浅く研究が足りなかっただけ、故意ではないとも言い訳できる範囲だ。
だからといって許される訳ではないが、印象は変わる。
「真実であるのなら、それでいいと思います」
比奈たちとて、別に職員を破滅させるのが目的なわけではない。
「けれど行ったことの責任は明かされるべきです。真実以上の誠実さなど、この世に存在しないのですから」
明るみに出されると都合が悪いからと、こちらを身勝手に敵にしているのが相手というだけの話。
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