第11話

「社長、その相手というのは、やはり……」

「そんなことはどうでもいい」


 保身には敏感だ。ここで録音されていると知っているはずもないだろうが、加波上は秋庭の問いを途中で遮る。続きを口に出させることさえしなかった。


「私が言っているのは、ただの一般論だよ。他人を脅して金をせびるような屑が湧いて出てきては、どの方面にも迷惑だという話だ」

(あんたの件に限って言えば、脅されるような真似をしているのも問題な気がするが)


 しかもそれを正そうとした人物を殺めたというなら、最早救いようがない。


「ともかく、間違いのないようにしろ。まったく、どこから嗅ぎ付けてくるんだか……」


 苛立たしげに息をつき、加波上はジョッキを煽った。音を立ててテーブルに置くと、鞄と上着を掴んで立ち上がる。


「これ以上、私を煩わせる厄介ごとは近付けるな。いいな!」

「努力します」

「ふん」


 結局のところ、加波上が秋庭に言いたかったのは自身の安寧の要求らしい。鼻を鳴らして立ち去っていく。

 残った秋庭はふうと張っていた息を吐き、途中で止まっていた食事を再開する。それから気が付いたように上着のポケットに手を入れて、スマートフォンを操作してから食事に戻った。


(ここからだとさすがに、何をしたのかは分からないな)


 ほぼ同時に、比奈も録音を止めてスマートフォンを仕舞う。

 黙々と食事を終えた秋庭は、加波上から遅れること十数分で店を出て行った。会計はどうやら彼持ちだ。


「まったく、どういう神経をしているんでしょうね。自分が食べた分ぐらい、自分で支払っていくべきでしょう」

「そうですね。現代は基本、その方がいいかと」


 収入に明確に差のある上司、部下という立場上、上役が奢るのも一つの平等ではある。

 だがそれは同時に、相手の誇りを傷つけかねない行いであるのも確か。純粋に気が引ける者もいるだろう。

 ようは、関係性の見極めが重要だということだ。


(では、俺と比奈さんの場合は……)


 同じことを考えたのだろう。ばちりと比奈と目が合った。それから彼女はにこりと笑う。


「大丈夫です! 自分の食べた分ぐらい、支払えますよっ」

「では、会計は各々ということで」


 実に健全な解決方法だと言えるだろう。


(少し甘えてほしかったような、それでこそ比奈さんだと安心したような)


 複雑なのは理人の胸中だけだ。


「……けど。冗談では済まない話をしていましたね」

「はい」


 表情を真剣なものへと戻した比奈に、理人もうなずく。

 場所が場所だからさすがに決定的な単語は言わなかったが、事情を知る者からすれば言ったも同然だ。


「もし、手を下しているのなら。秋庭さんを徹底的に調べれば、証拠も出てくると思うんです」

「はい」

「警察に動いてもらうわけにはいきませんか。これはもう、完璧に事件ですよ」


 比奈はテーブルの、先ほどまでスマートフォンを置いていた場所を人差し指で軽く叩きながら言う。

 裁判所に提出する証拠とはならなくとも、事実は記録されているのだ。


「祈龍刑事に話してみましょう」


 祈龍は林の件を調べていた。その繋がりで、カナミガミ製薬にも興味を示している。動いてくれる公算は低くない。


「あとは、香澄さんに知られないようにしないと、ですね」

「そうですね。知ったら胸倉掴みに行っちゃいますもん」

「胸倉は……どうでしょう」


 心得のない一般女性には難しい気がした。

 ただ、訓練を積んだ比奈にはできる。そしてやる。その宣言でもあった。


(胸倉はともかく。おそらく、香澄さんも突撃してしまうタイプでははある)


 そういう意味で、比奈は正しい。


「えー。必死だったらそれぐらいしちゃ……あ、ちょっとすみません」


 理人に断りを入れてから、比奈は一度仕舞ったスマートフォンを再度取り出す。


「はい。わたしです」


 どうやら、誰かから連絡が入ったようだ。


『比奈様! 久遠寺です。今、どちらにいらっしゃいますか?』

「栄門町近くのファミレスだけど。どうしたの?」

『今、深浦様と一緒にいるのですが、お兄様らしき方を見かけたと仰って、追いかけているのです。不測の事態故、合流願えませんか』

「え!?」


 比奈は思わず、といった声を上げ、片手で持っていたスマートフォンに空いていた左手を添えてしっかりと位置を固定する。


「すぐ行くわ」

『お待ちしております』


 櫻も香澄を追っている様子で、余裕がない。比奈の返事を聞くとすぐに通話は切れた。


「どうしたんですか」


 当然、理人には櫻の声は聞こえなかった。しかしすでに席を立つ支度をしている。


「深浦様が、お兄様に似た人を見かけたそうです。それで、櫻と一緒に追っていると。今から合流します。理人さんは……」

「なるべく早く追いかけます。比奈さんは先に向かってください」

「お願いします!」


 ぺこりと頭を下げ、比奈は席を立って足早に店を出た。――直後、走る。速度も持久力も、間違いなく理人よりも上だ。

 一方の理人は、明細をもって会計に向かう。


「清算をお願いします」

「お会計ですね。占めて三千六百円となります」


 昨今はアプリでの電子支払いも浸透してきたが、理人は現金主義である。どこの誰に覗かれるかもしれないサービスで、履歴を残すのは抵抗がある。たとえ、大量の中の目立たない一つであったとしても。

 そういった買い物情報からだって、詐欺、強盗の標的として選ばれる危険が含まれている。


(会社側がハッカーに負けてデータを抜かれるのはもちろん、不手際による個人情報流出さえ後を絶たない。事故でも事件でもうっかりミスでも、被害者には関係ない)


 重要なものは別々に管理しておくことが、被害を抑える手段の一つだろう。


「ご利用ありがとうございましたー。またのご来店をお待ちしておりますー」

「ありがとうございました」


 提供されたサービスへと礼を述べ、理人は店を後にする。


(さて。久遠寺さんがどこにいるのか……)


 ナイツオブラウンドの騎士同士は、互いの端末で団員の位置情報を捕捉できる。

 終業後のプライベートでは情報提供の拒否を許されているが、仕事中は基本、発信を許可しなくてはならない。

 これは安全のためでもある。


(さっき久遠寺さんが使ったのは、緊急救援要請だろう)


 不測の事態が起こって、応援の手が欲しくなったときに使う機能だ。発信者の近くにいる、就業中の団員と本社へ送信される。

 すでに比奈は勤務を終えていたが、加波上の会話を拾うにあたり設定を切り替えたのかもしれない。

 これは騎士としての行動だ、と。

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