第10話

 当人が言う以上、信じるしかない。言及するのはやめておく。


「では。少し早いですけど、行きましょうか」

「はい」


 歩き始めた理人の隣に比奈が並び、二人は揃って会社を後にする。


「入るお店は決めているんですか?」

「実は決めていないんですよ」


 何しろ今日外食にしようと思ったのが、比奈の気を逸らすため――突発的なものだったので。


「リクエストはありますか? 系統だけでも」

「お肉! 食べたいです!」


 迷いのない、元気な要望が返ってきた。

 体力を使うことの多い仕事に従事している比奈だ。大きなエネルギーを体が欲していても不思議はない。

 今日の比奈は終日会社にいたので、有事の際のための待機と訓練が主な業務だったはず。つまり、適度に体力は消費している。

 そして比奈程とは言わないが、理人とて一日の仕事で十分疲れを感じていた。肉類摂取に異論はない。


「では、どこか肉料理が食べられるところに」

「はい!」


 今日行くことにしたのは突発だが、日頃から興味は持っている。その中から、肉料理をメインに扱っている店に行くことにした。

 そうして歩き始めてすぐ。


「――理人さん」


 比奈が声を鋭くして、理人の名前を呼ぶ。視線は別方向を向いたままだ。

 理人も比奈の視線の先を追って、すぐに気付いた。


(加波上社長と、秋庭さん……)


 彼らが共にいるのは同じ会社に所属しているという意味では自然だが、事情を知っている身としては警戒する。


「すみません、比奈さん。食事はまたの機会に」

「はい。二人を追いましょう」


 騎士の目に戻って、比奈は迷わず断言した。


「幸い、わたしも理人さんも二人に顔を覚えられるほどの接触はしていません」


 擦れ違っただけでも人の顔を記憶するような才能の持ち主ならば別だが、パーティー会場にいた警備員の一人や、ドリンクカウンターにいたスタッフのことなど気に留めていまい。

 男女の二人連れというのも折よく、警戒されにくい組み合わせだ。

 一定の距離を保ちつつ、二人の後をついていく。

 ややあって加波上たちが入ったのは、全国に手広く展開しているファミリーレストランだった。


「……高いお店の個室とかじゃなくて、こっちとしては助かったんですけど」

「秘密の話をするのに相応しい気はしませんね……」


 意外に、ただの慰労か接待かもしれない。そんな予感が二人に湧き上がる。


「ま、まあ確認は大事です」

「そうですね。予約必須の店ではなかったのを幸いだと思いましょう」

「はい」


 加波上と秋庭に続き、理人と比奈も店へと入る。


「いらっしゃいませー。二名様でいらっしゃいますかー?」

「はい、そうです」

「お席のご希望はございますかー?」

「あれば、窓側の席をお願いします」


 店内の混み具合はそこそこ。加波上たちも窓側の席に着いており、比奈が望んだ『窓側』は、彼らのすぐ手前にしか存在していない。


「かしこまりましたー。お席にご案内します」


 スタッフの女性はマニュアル通りの受け答えをして、比奈と理人を絶好の席へと案内してくれた。


「理人さん、何食べます?」

「そうですね……」


 席に着いた比奈がメニュー表を開きつつ、注文を選ぶようなことを言う。

 もちろん実際に頼むつもりもあるのだろうが、その意識の大部分が向けられているのは加波上たちだ。


「社長、お話というのは……?」

「分かっているだろう。深浦の件だ」

「!」


 尊大な口調で切り出された内容に、理人と比奈は思わず絶句してしまう。


(まさか、こんな所でその話をするとは……)


 危機感がないか、もしくは、自分だけは手を出していないか。


「……彼のことなら、心配ありません」


 比奈は素早くスマートフォンを出し、音声を録音し始めた。

 合意の元の録音ではないので物証としての能力はないが、事実は記録できる。


「ならばいいが……」

「社長。あの林という記者、パーティーで……」

「あぁ、まったく。迷惑な奴だったな!」


 加波上もニュースを見たのだろう。過去の人間として語るその口調には、喜色が現れていた。

 理人はボタンを押して店員を呼び、比奈と自分の分を適当に注文する。


「社長、まさか……」

「おいおい、何を極悪人を見るような目をしているんだ、ん? 安心しろ、私じゃあない。君と違ってな」

「……社長」

「ああすまん。冗談だよ、冗談。ははははは」


 誠意のない言葉だけの謝罪には、どれほどの意味があるだろうか。

 加波上の口調は、粘ついたいやらしさに満ちていた。自身が『冗談』だと言った『それ』が秋庭の弱所となったことに確信を持ち、己が優位に立っていることに酔っている。

 理人と比奈は上辺で雑談を交わしつつ、加波上たちの会話を拾う。


(『まさか』殺したのか、という問いに『君と違って』か)


 香澄に伝えるには、最悪の報告をしなくてはならなくなるかもしれない。運ばれてきたハンバーグを切り分けるためにナイフとフォークを持った比奈の手は、力が入りすぎて震えている。


「君は知らないかもしれないが、あの林という記者は結構な悪党でな。いつ誰に殺されても、おかしくないような奴だったんだ」

(掴んだネタを使って脅し、金銭をせしめていたというあの話か)


 後ろ暗いところのある人間たちの間では、特に有名だったのかもしれない。


「せいせいしたと思っている方々も多いだろうよ、ははは」

「社長、あまり、人の死をそのように言うのは……。誰が聞いているとも知れませんし……」

「ん? まあ、そうだな。気を付けよう」


 秋庭は本気で周囲を気にしているが、加波上の意識は低い。加波上に秋庭と同程度の警戒心があれば、そもそもファミリーレストランでこんな話はしていないだろう。


(自分の無実に、自信があるんだろうな)

「では、今日はその……深浦君の件だけですか?」

「まあ、うん。そうだ。近頃はどうにも騒がしいのが気になってな。ほら、第二、第三の記者のような奴が出てくると、いろいろ迷惑がかかるだろう」


 先方の機嫌を伺うような発言。これまでの加波上らしくはない。


(あるいはとても『らしい』のか)


 刑事二人が林の遺体発見現場で見せた表情が、理人の頭に過る。

 迷惑をかけることを加波上が恐れているのは、重要な物事の決定権を持つ人物かもしれない。

 要は、政治家だ。

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