第9話
「余罪がありすぎて、カナミガミ製薬関連で殺されたのかどうかも判断しにくいです」
「そうなんですよ。ただ、社長を脅すネタを掴んだのは間違いないと思います」
わざわざ足を運んできたことからしても、かなりの確信を持っていたと思われる。加波上の態度も身に覚えのない難癖をつけられた者のそれではなかった。
「いくつかパターンは考えられます。一つは、香澄さんとまったく無関係な件で殺されていた場合」
この場合は、香澄たちの状況への影響は薄いだろう。せいぜい加波上が胸をなでおろすだけだ。
「二つ目は、清治さんと同じ件で殺害された場合。こちらだと、行方不明になっている清治さんの身が気がかりです」
人を殺害することを実行できてしまうような輩が関わっているということになるからだ。
「香澄さんが林記者のことを知らないだろうことが、幸いです」
「確かに。でも、わたしたちだって放置はできません」
「それでも、他人である私たちの方が冷静に動けますから」
香澄が知ったら、今すぐに秋庭の元へ直撃する。間違いない。
「どうしたらいいと思いますか?」
「……秋庭さんの行動を見張るのが、取り得る唯一の方法かと」
まだ清治が生きているのなら、必ず接触する瞬間が来る。人間は水や食料がないと生きられないのだから、届けなくてはなるまい。
だから、もしその様子がないようであれば――
(すでに最悪の状態であることも、覚悟しておくべきだろう)
「じゃあ、尾行ですね」
「そうなるかと。けれどそれは、情報部の仕事ですよ?」
相手は間違いなく警戒している。余計な刺激を与えないためにも、プロに任せた方がいい。
比奈はあくまで警備員である。情報収集のための技術はさほど高くない。もちろん、それでも理人よりは余程高い技術を持っているだろうが。
「まあ、ここで焦っても仕方ありませんから、ご注文をどうぞ」
「あ! すみません。ええとでは、ミルクティーを一つ」
「承りました」
茶葉を蒸らし始めた理人を見ながら、比奈はやはり、落ち着かない様子で指を何度も組み替えている。
この分では仕事を終えた後もずっと思考から離れないに違いない。
(一日中仕事ばかりに思考が持っていかれている、というのもなあ)
息切れしてしまいそうで心配である。
最も比奈の場合、息切れをしていても必要なときが来たら根性で踏み留まりそうではあるが。
とはいえそれは無理をしているということなので、見ている理人の方も落ち着かない。
――なので。
「そうだ、比奈さん。今日仕事が終わった後、時間はありますか?」
「え!?」
思いがけないことを言われたそのままのリアクションで、比奈は動きを凍らせてうろたえた声を上げた。
「今日は外食をしようと思っているんです。良ければ付き合ってもらえませんか?」
「がいしょ……食事!? え、わたしですか!?」
「はい。自分の作る味ばかりに浸っていると、感性が鈍ってしまう気がするので。他の方の味を楽しんで、刺激をもらおうかと」
今回は比奈の気を逸らすことが一番の目的だが、言っていること自体は嘘ではない。事実、理人は外でもよく食べる。
「とはいえ食事ですから。比奈さんと一緒であれば、より楽しい時間が過ごせると思うので。どうでしょう?」
「もちろん、ご一緒します!」
話を飲み込んでからは、一瞬の迷いもなく比奈はうなずいた。
「ありがとうございます」
「いえ、とんでもない! 理人さんの上りはいつも通りですか?」
「いつも通りですね」
つまりは午後四時。少しのんびり時間を使っても、外聞が悪くなるような時間まではかからないだろう。
「比奈さんはいかがです?」
「わたしは三時で上がりです」
「ああ、では少し待たせてしまいますね」
「大丈夫です。休憩室でのんびりしてますから」
食事処に限らず、ナイツオブラウンドでは福利厚生に力を入れている。一時間ぐらいであれば、然程使い方に困ることなく消化できるだろう。
(まあ、もしかしたら支度とかもあるかもしれないし……)
そんなことを考えるあたり、理人も期待していないとは言えない。
「では、待ち合わせは五時に。職員出入り口で落ち合いましょう」
着替えるだけの理人に終業後一時間もの余裕はいらないが、念のためだ。
「分かりました。楽しみにしていますねっ」
「こちらこそ」
嘘ではない。
比奈とプライベートで過ごすのを楽しみにしている気持ちは、理人の中で相応に大きい。
先程までとは少し変わった意味合いで、比奈ややや落ち着かない様子だ。提供されたミルクティーを口にする間も、心は現実ではないどこかを見ている。
(これはこれで考えさせてしまっている気もするが……。疲れるような内容じゃあないはず、うん)
少なくとも、命の問題よりは大したことではない。
店の片付けを含めて、四時に終了、退社。従業員準備室へと戻り、制服から私服へと着替える。
初めは袖を通すのも違和感のあった制服だが、すっかり慣れた。人間の順応性というものは偉大である。
姿見の前に立ち、身だしなみを確認する。
同じ会社の社員相手とはいえ、飲食を提供する仕事だ。実際の衛生面はもちろん、外観の清潔感にも注力している。
(……よし)
異性と食事に行くとは言っても、互いの関係は同僚に過ぎない。誘うときの文句も、あくまで親しみを感じている同僚に対してという域は出ていない。
やたらと気合を入れる方が、比奈とて居心地が悪いだろう。
普段通り――よりやや入念に身形を整え、理人はディアレストを閉めて待ち合わせの職員用出入り口付近、ホールへと向かった。
時刻は四時半。約束の時間よりも大分早い。
しかしすでに、比奈はそこにいた。
「――比奈さん」
「あ、理人さん。お疲れ様です」
「待ちましたか?」
「いいえ。多分これぐらいかなー、って思ったので、来たばかりです」
にこりと笑って比奈は否定するが、残念ながら理人には嘘か本当かは分からなかった。
「今はいいですけど。夏や冬はやめてくださいね。特に外では」
「わ、分かりました。というかでも、理人さんもですよね?」
待ち合わせした時間よりも早く来ているのは、理人も同じである。一瞬言葉に詰まってから、微笑しつつ反論する。
「私は、外では待ちませんから」
「わたしだって待ちません!」
ここぞとばかりに、胸を張って比奈も断言する。
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