第3話
「へえ。雰囲気のいい店ね」
「お褒めいただき光栄です。ただ、本日はすでに閉店しているので出せるものは限られていますが」
「何でもいいわ。寛ぎに来たんじゃないもの」
「では」
かすみの言葉に甘えて理人がカップに注いで提供したのは、コーラである。店で唯一、外注で仕入れている商品だ。
「早速ですが、事情を聞かせていただけますか。貴女が狙っていた男性が何者なのか、何をしようとしていたのか」
「彼はカナミガミ製薬の部長よ。名前は
「カナミガミ製薬、ですか」
縁がなくもない相手の名前に少し驚く。
「失踪事件なら、警察にも話したのでしょう?」
「死体が出てない失踪なんて、ただの家出よ。しかも成人男性。扱いは軽いわね」
そこに事件性が見つからなければ、警察としても動きようがないのだろう。どれだけ家人が『そんなことはあり得ない』と確信していても。
「なぜ秋庭さんが兄君の失踪に関わっていると分かったんです? 確信する話があるのなら、警察に話せばまた事情が変わるかもしれません」
「……証拠はないのよ。内部告発のための共闘相手だって、兄から名前を聞いただけだから。互いに、なるべく近づかないようにしているとも言っていた。わたしにも口頭で教えてくれただけ。記録はない」
口惜しそうにかすみは唇を嚙む。
「兄は大詰めだって言ってた。その直後よ。秋庭さんのところに行くって言って、それから、帰ってこない」
「……」
「知らないと言われれば、それで終わり。でもわたしは秋庭さんよりも兄を信じてる。きっと兄は騙されたんだわ。内部告発をする厄介者として、会社が兄さんの口を封じたのよ」
殺されているとは限らないが、かすみの話が事実ならば相当危うい状況であるのは間違いあるまい。
何事もなければ帰ってくる。
何事かがあるのなら――最悪の状況も考えなくてはなるまい。
人間一人を監禁するのは容易ではない。まして加害者が週五勤務の勤め人で、被害者が成人男性となればなおさらだ。
人手を増やして監禁を確実に続けるよりも、多くの者が殺害を選ぶだろう。――ただし。
「説得の余地がある振りをされていれば、可能性はまだあるかと。世の中、殺人に踏み切れる人間ばかりではありません」
無難に済ませる道が残っていれば、後戻りできない犯罪を犯すことをためらう者も少なくないはずだ。
そうであってほしい、という個人の願望を含めた見解ではあるが。
「だったら尚更、早く助けに行かなきゃいけないわ」
「……それは、異論ありません」
今まさに一人の人間が危機に陥っているというのなら。急いで助ける手段を講じるべきだ。
「内部告発の協力者として名前が挙がっていた秋庭さんに話を聞くのは賛成です。しかし、先ほどは秋庭さんの鞄に何を仕込もうとしていたのですか?」
「発信機よ。親が子どもに持たせる、スマホと連携してるやつ。もしかしたら彼の家に兄がいるかもしれないでしょ」
「まあ、そうかもしれません」
ホテルを借り続けるとか、別荘に監禁するといった、金銭のかかる手段を講じられるほどの財力はあるまい。余計に人手も必要になるし、人目も多くなる。
「しかしまずは、話を聞いてみてもよいのでは? 秋庭さんが真実協力者である可能性もあります」
「それは、そうだけど。……そうなのかな?」
失踪に秋庭が関与したという証拠はない。かすみはようやくそのことに気が付いた顔をした。
唯一の手がかりだったからこそ、結論を焦ったのだろう。
普通に会話しているので気が付くのに遅れたが、理人は確信した。
かすみは今、冷静に思考できる状態にはない。焦燥と恐怖で追い詰められている。
(無理もない)
親しい家族が奪われたのだ。本来犯罪に対処して国民を救うべき警察には、証拠がないため頼れない。
一人で思い悩み、焦った末に出した結論が駅での暴挙だ。
「秋庭さんと話ができる機会を作れるかもしれません」
「どうやって? 道端で捕まえるの?」
「いえ。今当社はカナミガミ製薬の創立記念パーティーの警備を請け負っているんです」
「そうなの!? そんな偶然あるものなのね」
かすみの驚きにはただ同意なので、理人は黙って苦笑する。
「密かに接触して、話を聞くことは可能でしょう」
内容が内容なので、事実であれば秋庭もその話を口にするときは用心するだろう。被害者の親類であるかすみには慎重な対応になるはずだ。
不用意に接触して問い詰めても、秋庭は知らぬふりをする。真実、彼がどちらに立っていたとしてもだ。
だが彼が安心して話せる状況と相手ならば、可能性はある。告発者側に立っているのであればかすみに対して同情もしているだろう。
「わたしも会場に入れて! あ、えっと、他人を入れるのがまずいなら、わたしここの会社に就職するわ! それならいいでしょう!?」
身を乗り出してかすみは訴えてくる。
「社会平和への貢献へ興味がないのなら、ナイツオブラウンドの試験に通るのは難しいかと」
「兄さんの件が片付いたら真剣に頑張るけど……」
「片付いてから来てくださいと言われるでしょうね」
私事で手いっぱいの状態の人間を入れることはまずないだろう。他者に手を差し伸べるには、余裕と力の両方が必要となる。
「じゃあッ……」
「正式に依頼人として、係の者に話してみるというのはどうでしょう?」
「するわ、依頼! ……あれ? でもわたしは狙っている方で、誰かに害されようとしているわけじゃないし、この場合警備会社の名目としてはどうなるの?」
「貴女が人の道を踏み外さないようにするための護衛でしょうか」
「はっきり言ってくれるわね……。でもまあ、いいわ。何でも」
かすみにとって重要なのは、兄の件を解決することなのだ。名目などどうであっても気にはしない。
「ではまず、部長に話をしてみますか。少々お待ちください」
かすみに断りを入れてから理人は立ち上がり、内線を掛けに行った。
ナイツオブラウンドは内向きの制服が特殊なので、外部の客人を通すときは専用の部署での応対が基本となる。
(部長まで話が回ることは少ないから、多分今は第一制服だと思うんだよな)
そんなことを考えながら短縮番号を押す。相手は応対のプロ、受付職員の三枝真示だ。
『はい、こちら正面受付――って、ディアレストから内線って珍しいな。どうした?』
「実は客人を一人招待したんだが、少し判断が難しいんで部長と相談したいんだ。部長、第一制服だよな?」
『間違いなく第一だ。じゃあ連絡入れてみる。準備ができたら折り返すな』
「分かった」
通話を切り、理人はかすみの元へと戻る。
「少々立て込んでいるので、少し時間をいただけますか?」
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