第4話

「そうなの。割り込んで仕事を増やしてしまって、申し訳ないことをしたわね」


 自分が飛び込みの客である自覚をしているかすみは、理人の建前を素直に納得した。


「降りかかってくる災いは予期できる方が稀です。少なくない事例ですから、お気になさらず」

「ありがと」


 礼を口にすると、かすみは窓から見える庭を眺めつつコーラをゆっくりと飲む。数分後、内線が鳴った。


「はい、ディアレスト」

『準備できたって。部長、そっちに行くって言ってたからあとよろしく』

「分かった。ありがとうな」

『どういたしまして。じゃ』


 短く内容だけやり取りを交わすと、通話は切れた。


「かすみさん。今、係の者――というか責任者になるので、部長がこちらに向かっています」

「部長!? 重役なのに腰が軽いのね」

「タイプは色々ですかね……」


 本部で指揮を執ることに特化した隊長もいるし、現場で陣頭指揮を執る者もいる。


(だが、この腰の軽さは多分……)

「――失礼。込み入った事情があるとのことで、伺いに参りました」


 オーダーメイドのスーツをその引き締まった分厚い体でびしりと着こなした、四十半ばの男性が現れた。


多岐たき部長。お疲れ様です」

「ああ、香久山君もお疲れ様。そちらの女性が客人かな」

「あ、はい。深浦みうら香澄かすみと言います」

「ああ、本名だったんですね。香澄さん」

「聞き流すのが優しさだと思うわ……」


 少し気まずげに、香澄は頬を染めた。やはりとっさに偽名は思いつかなかったらしい。


「警備部部長、多岐たもつです。では、深浦様。改めてお話を伺わせていただきたい」


 香澄の着いたテーブルの反対側の椅子に座りつつ、保はそう切り出した。理人はどちらからも丁度九十度になる席に座る。


「わたしの兄――深浦清治せいじは、カナミガミ製薬に勤めている事務職員です。数日前、兄は上司である秋庭という人に会いに行き、以降、行方知れずになりました。わたしは秋庭さんに話を聞きたいと思っています。その手段と警護をお願いできませんか」


 続いて、失踪の理由に関わっていると思われる、清治が内部告発をしようとしていたことなども保に話していく。


「どうでしょうか、部長。パーティー中になら、他人の目を排除して二人を引き合わせることが可能だと思うのですが」


 部外者だと分かっていて引き入れるのだから、警備を請け負った会社としては問題だろう。しかし。


「分かった。その方法で接触を試みよう」


 保は十数秒考えた後、そう許可を出した。


「ありがとうございます!」

「ただし。ホテルでは常に、当社の人間と行動していただきます」


 香澄の身を護るためであり、秋庭の身を護るためだ。

 清治を救うことには同意しても、新たに傷つく人間を増やすことは保の考える騎士道において正しくない。


「分かりました」

「香久山君。どうだ、君もパーティーに同行してくれないか。もう一人、警備部からは久遠寺くおんじ君を付けよう。面識のある君も同じ場所にいた方が、深浦様としては気が楽ではと思うのだが」

「私が、ですか」


 保の提案に理人は少し迷った。

 警備部の所属ではない理人だ。現場での対応能力ははるかに劣る。


「もちろん、主な警備は久遠寺君が行う。君の役割はバックアップというところだな。いざ何か起こった時、君がホテル側の人間の振りをしておけば相手の意表も突ける」


 ナイツオブラウンドでも実際に喫茶店の店主をやっているので、理人は客商売に慣れた者としての対応ができる。まず疑われまい。


「分かりました。そういうことなら」

「久遠寺君には深浦様の友人を装ってもらう。深浦様の方でも、できる限りそのように振舞ってください」

「分かりました。担当してくださる方とは事前に会えますか?」

「勿論です。後程ご紹介します」


 保が名前を挙げた久遠寺さくらは、おそらくパーティーの警備に参加していないのだろう。カナミガミ製薬側に顔を知られていない人材として選ばれたのだ。


「では、こちらが当社の契約書草案となります。一度お持ち帰りいただき、ご検討ください」

「え、検討なんて……」


 すぐにでもサインをしたそうな香澄に、保はにこりと微笑んだ。


「契約書になど、軽々に署名するものではありません」

「そ、それはそうかもしれませんけど」

「内容を十二分に確認し、改めて話し合いましょう。互いに良き商談を結んだと思えなければ、その関係は上手くいかないものです」


 特に今、香澄は兄の手がかりを得ようとして前のめりだ。


「――分かりました」


 ストップをかけられたことで少し冷静さが戻ってきたのか、香澄はうなずいて書類を鞄に仕舞う。


「もう夜も遅いですから、駅まで送ります」

「えっ。いいですよ。そういう契約じゃないですし」

「仕事は関係ありません。顔見知りになった方の安全を、自分にできる範囲で高めたいだけです。もし道中に何かが起こって、あの日送っていればと後悔するのも嫌ですし。ついでに、向かう方向も同じです」

「……」


 つらつらと述べた理人に、香澄の方が断る言葉を紡げずに絶句する。


「私の今夜の心の安寧のために、是非」

「わ、分かりました。じゃあ、駅まで」


 理人が自分のためだといえばなおも突っぱねるのは気が引けたのか、香澄はためらいつつもうなずいた。

 二人のやり取りを黙ってみていた保が、不意に溜め息をつく。


「香久山君。夜道で刺されるような男にはなるなよ」

「なりませんよ。社訓にかけて」


 ナイツオブラウンドの社訓――社内では騎士道と呼ばれる掟である。

 とはいえ、難しいものではない。ただ人道に外れた行いをしないことという、それだけだ。

 理人は共感してナイツオブラウンドに所属している。誓いを破るつもりは毛頭ない。


「そぅかぁー」


 しかし保は遠い目をして、気のない同意を返すだけだった。


(分からなくはないんだが)


 少しばかり身を案じたぐらいで、男女としての仲が発展するはずもない。保は夢を見すぎだと苦笑する。


「では香澄さん、行きましょうか」

「……はい」

(……うん?)


 香澄が、先ほどよりも少しだけ不機嫌になった気がするのは――


(気のせいだろう、多分)


 自分も保に乗せられていると、理人は内心で肩を竦めた。

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