第2話

(気のせい、かもしれないが……)


 理人は実働部隊である警備部の所属ではない。とはいえ、せっかく所属している会社だ。空き時間には訓練に参加させてもらうこともある。

 関係者というだけで、危険が降りかかる可能性が増すことを警戒してのことでもある。


 理人には実践のみで培われる、勘と呼ばれるようなものはない。あるのは人生二十四年を生きてきた経験と、少しだけの机上の学び。

 だから、自信がない。そのため女性を呼び止めることはせず、しばらく付けてみることにした。


(端から見たら、俺の方が不審者だな……)


 事情を知らない第三者に見られても怪しまれないよう、自然体でいる訓練も積んではいる。活かされていることを祈るしかない。

 男性と、彼を追っているらしい女性は駅に入り、ホームに進んだ。理人も同じようについて行く。


(電子マネー決済、便利にはなったが……。こういう時は危ないかもな)


 誰かが誰かを突発的に追いかけるときに、それを容易にしてしまう。

 男性は三十代の半ばから後半。整えられた短い頭髪に、既製品と思われるスーツ姿だ。

 女性は同じ車両に乗ってからは、男性から目を離す時間が増えた。行き先を知っているのかもしれない。


 彼女が男性を見る視線からは、相手への悪感情が見て取れた。逸る自分を抑えようとするかのように、両腕を組んで強く掴んでいる。

 やがて電車が停車し、待っていた人々が一斉に乗り込む。流れに乗って偶然を装い、理人は男性に近付いた。

 何かがあって止めに入るとき、男性の側にいた方が守りやすそうだと思ったからだ。


『間もなく、新泊しんはくに到着いたします。お乗り換えのお客様は――』


 そのアナウンスが流れると、男性は出口へと意識を向けた。降りるのだろう。

 そっと目を向ければ、当たり前のように女性も体の向きを変えていた。利用客の多い駅なので普段ならば気にかけるようなことではないのだが、今は別だ。

 やがて電車は止まり、空気の圧が抜ける音がして扉が開いた。一斉に、阿吽の呼吸で乗客たちが降りていく。理人もその中に混ざった。

 男性は迷いなく、出口に通じる下り階段へと向かう。乗っていた位置の関係上、少し先に女性の姿があった。


「っ……」


 女性は少しばかり流れに逆らう形で歩調を緩めている。おそらく、男性を待つために。


(ここでやる気か!)


 人ごみの中、女性に駆け寄って止めることはできない。代わりに男性のすぐ後ろで、女性に近付ける立ち位置を確保した。

 狙いはおそらく、交差する一瞬。

 階段に差し掛かり、男性の意識がより歩行へと占められたその時。女性の手が男性の鞄へと伸ばされる。そして――

 理人によって、腕を掴まれた。


「!」


 女性は驚愕と共に硬直し、理人を見上げる。


「事情は知りませんが、貴女が行おうとしていることは褒められたことではないはずですね?」

「……分かっています」


 自分が機会を逸したことはすぐに理解して、女性は冷静にそう返してきた。

 女性が腕から力を抜いたため、理人も彼女から手を放す。


「少し移動しませんか」

「はい」


 階段の近くでの立ち話は誰にとっても迷惑でしかない。提案した理人に女性も同意した。

 階段から適度に離れた場所で立ち止まり、改めて向き合う。


「事情を聞かせてもらえませんか」

「他人事ですよ。嫌だと言ったら?」

「このまま警察へ行きます」


 女性の手は、固く拳が握られたままだった。そこには明らかに何かが入っている。おそらく、男性の鞄に仕込もうとした何かだ。

 未遂だったとはいえ、他者に対して悪意を抱いた人間だ。放置はできない。


「わたしは何もしてないないですし、何かしようとした証拠もないですよね。言いがかりだって言います」

「昨今、監視カメラのない駅もないでしょう」


 証拠という話であれば、不利になるのは女性の方だ。遡れば男性を追って行動していたことも明らかになる。


「そんな面倒な検証にまで事が及ぶと思いますか? 被害者もいないのに」


 女性が言いがかりだと主張すれば、理人と揃って注意を受けて終わりだろう。


「一度目はそうなるでしょう。しかし次に貴女が同じことをして誰かに止められて、同じように警察に行けば気のせいや偶然では片付かなくなります。三度目、四度目となればなおさら」

「……」


 理人の言葉に、女性は腕を組んで眉を寄せた。記録が残ることそのものが抑止力になることを否定する表情ではない。


「では事情を話したら、黙っていてくれるんですか?」

「事情によります。そして事情如何にかかわらず、私は貴女を止めます」


 ナイツオブラウンドにおいて最も尊ばれるもの。それは騎士道だ。

 己の正義に背くことは、ナイツオブラウンドでは恥とされる。程度が酷ければ除隊――つまりは解雇となる。


「止められてもやめるつもりないですけど。人の命がかかっているんです」

「……命、ですか」


 女性の瞳に宿る光は強かった。質の悪い冗談で場を濁そうとしている様子ではない。


「立ち話に相応しい内容ではなさそうですね。時間が許すようであれば、私の職場で話を伺わせてください」

「職場って、どこです」

「警察ではないのでご安心を。こういう者です」


 言って理人は己の名刺を差し出す。

 そこには『ナイツオブラウンド株式会社 福利厚生課職員 香久山理人』とある。


「な、ナイツオブラウンド……!?」

「警備会社です。社名に関しては……何でも、会社を設立した先代社長が大変な騎士物語好きだったそうで」

「へ、へえ……」


 毒気を抜かれた様子で、女性はまじまじと名刺を見つめる。


「悪いけど、わたしは所在を言わないわよ。でも呼び名がないと面倒だから――そうね、かすみって呼んで」

「かすみさん、ですか」

「好きな花なの」

「成程」


 即興でつけた名前としては、無難だ。


「では、かすみさん。行きましょうか」

「ええ、いいわ」


 言葉通り、かすみは素直に理人についてきた。つまり彼女は、事情を話した方が止めるように説得はされても通報されるリスクが低いと判断したのだ。


(自分の正当性に自信があるんだろう)


 命がかかっていると言っていた。当然かもしれない。


(さて。どうしたものか。……ともかくまずは話を聞いてから、か)


 知らなければ、判断などしようもないのだから。

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