強欲の連鎖の果て

第1話

 木目の美しい木の床に、天井から床まで全面をガラス張りにした広い窓からの陽光が差し込み、店内を温かな印象に染め上げる。

 要所に飾られた観葉植物と、店の主が好みで流すアーティストの創作クラシックが、空間に更なる和みの雰囲気を与えていた。


「ああー、癒されますー」


 そしてカウンター席に陣取り、言葉の通り緩んだ表情で空間と味覚を満喫している女性客がいた。

 年は二十歳を少し超えたぐらいか。明るめの茶色の髪に、澄んだ青い瞳。ただしその顔立ちは日本人に親和性が高く、ハーフというよりもクォーター、という気配がする。

 理人がマスターを務める喫茶店『ディアレスト』の常連である木嶋きじま比奈ひなだ。


「光栄です」


 苦笑しつつ、彼女の惜しみない称賛は間違いなく嬉しいので、店の主こと香久山かぐやま理人りひとはそう応じる。

 理人の年齢は二十四。黒髪黒目で、日本人としての平均よりも若干、身長は高め。顔立ちはそこそこ整っているが、特別目を引くほどの美貌というわけではない。

 ただし小ざっぱりとした清潔感のある身形のため、飲食店経営者としては好ましく思われるタイプだろう。


「いえいえ、こちらこそ、です。もうこの一杯のために生きている、ですね!」


 言って掲げられた比奈のカップの中身は、紅茶だ。

 客の好みに応えるのはやぶさかではないが、理人としてはいずれコーヒーで同じ言葉を貰いたいものである。

 そんな胸の内に秘めている野望はともかく――


「今日は随分疲れていますよね、比奈さん。大変な仕事だったんですか?」

「そうなんですよ!」


 よくぞ聞いてくれた、とばかりに比奈は何度もうなずいて強調する。


「いえ、仕事はイベントの会場警備なのでそんなに問題ないんですけど、ここだけの話、相手がちょっと……」


 はあぁ、と億劫そうに長く大きなため息が出た。


「カナミガミ製薬の、創立五十周年記念パーティーでしたよね?」


 どこの薬局やスーパーでも製品を見ることができる大手企業だ。主力商品は防虫剤。

 ホテルを借りて社員全員を招いたパーティーを企画しているということで、その警備が依頼されたと聞いている。

 ホテルの警備だけでは満足しなかったというあたりで、やや怪しい気配は漂っていたわけだが、予感は的中したらしい。


「そうです。今日、会場を見ての打ち合わせだったんですよ」

「そこでため息の原因が?」

「社長さんが、ちょっと……」


 人のことを悪く言うのは気が咎めるのか、比奈は具体的なことは濁して口にしなかった。

 しかし言われて理人はああ、と納得してしまう。

 もちろん直接の面識はないのだが、大会社ゆえによくテレビでは取り上げられている。


(確かに、いつ見てもいい印象のない人だったな)


 テレビ出演用にいつもより繕っているはずなのに、だ。それでも尚、傲慢な人柄を感じさせる人物だった。

 従業員を労働力としか見なしていないところや、客から金銭をせしめることしか考えていなさそうな物言いが、酷く不快だったのを覚えている。


「よく引き受けましたね」


 比奈と理人が勤めているナイツオブラウンドは、仕事の仕方を選ぶ。

 世界規模で有名な騎士団を彷彿とさせるその会社名は、洒落や冗談でつけられたものではない。

 ナイツオブランウドでは、騎士道の順守が重要視されるのだ。


「社長はともかく、会社で働いている人に非はありませんからね。……ウチに断られたら、いよいよ依頼するところがなくなるって話でしたし」

「それは……相当ですね」

「そうでしょう」


 エピソードを聞くだけで、比奈のため息の理由にうなずけるというものだ。


「うちは上場企業でもないですから、その点でも軽んじられている感じですね。――そんなわけで、割と気の重い仕事です」

「お疲れ様です。では私も精いっぱい、騎士の皆様が心身を癒せるように努力します」

「ありがとうございますー」


 滂沱の涙さえ流しそうなぐったりとした声で、比奈は感謝を口にした。


「とんでもない。それが私の仕事で、やりがいですから」


 ほんの一時でも、心に安らぎを提供できる一杯を。それが理人の目標だ。

 理人が主を務める喫茶店『ディアレスト』は、ナイツオブラウンドの社内にある福利厚生施設だ。社員という名の騎士たちに、飲食を提供するのが仕事である。

 警備部の比奈とは所属こそ違うが、同じ会社の同僚だ。


「理人さんの作る料理は、みんな優しい味がしてほっとします」

「そう感じてもらえるのなら、嬉しいです」


 比奈が素直に浮かべる幸せそうな笑顔は、理人にも幸福感を与えてくれる。

 自分の仕事で人が喜ぶ姿というものは、間違いなく心に充足感を生む。自己肯定感を得るにも有効だ。

 だから理人も褒められて嬉しい気持ちを隠さないし、言ってくれた人にはそのまま伝える。それもまた、相手に褒め甲斐を与えるからだ。


(与えてもらってばかりでも、もらってばかりでも続かない。循環は大切だ。どんなことでも)


 しみじみとそんなことを思う。


「さて! 元気ももらいましたし、改めて気合を入れていきますよ。世の無辜の民のため、社会の安心・安全を守るのがわれら騎士の使命ですから!」

「頑張ってください」

「はい、頑張ってきます」


 明るい笑顔で応じた比奈に、理人も自然、唇に笑みを浮かべていた。

 周囲を明るく照らし、活力に満ち溢れて皆を引っ張っていくような比奈の笑顔が、理人は本当に好きだ。




 理人の仕事は通常、朝十時から午後四時までの六時間勤務となる。ナイツオブラウンドでは途中の休憩時間も実働時間として扱われるので、店を回しているのは四時間ほどだ。

 それでも待遇は社員である――というより、ナイツオブラウンドには社員しかいない。

 個人の都合に合わせた時間給を元に基礎給与が決められ、月給の形で支払われる。

 基本給も低くないので、前の職場よりも格段にのびのびと働けていた。


(さて。今日の夕飯はどうするか……)


 出来合いの総菜で済ませるのではなく、自分で作ろうと思えるぐらいには日々に余裕がある。

 なじみのスーパーに向かいながら、今の気分と擦り合わせてメニューを考えつつ歩く。

 駅前のスーパーで買い物をして駅中を通り、逆側の出口から抜けて帰宅するのが理人の通常ルートだ。

 今日も自然、同じ行動を取ろうとして――。


(ん……?)


 一人の女性の行動に引っ掛かりを覚えた。

 年齢は十代の半ばから後半に見える。黒髪のセミロングで、春物のブラウスに七分丈のパンツを穿いていた。足元はスニーカー。カジュアルにまとめた服装で、おかしな点はない。

 奇妙に感じたのは目線だ。食い入るように見つめるその先には、一人の男性の背中がある気がする。

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