第23話

 比奈が呼んだ地点へ行ってみると、そこはやはり、一見周囲と何ら変わりない庭の一部だった。しかしよく見ると、一ヶ所だけ草の高さが微妙に合っていない。


「よく気が付きましたね」

「間違い探しは得意です」


 自分では気付かなかっただろうと、理人は素直に称賛する。それに対して比奈は、こちらも素直に胸を張った。


「では、早速掘り返してみましょう」

「はい」


 それほど深くに埋まっているはずもなく、目的の物はすぐにその全容を三人の前に表す。やや大振りなそのナイフは、乾いた血によって全体が汚れていた。


「……ありましたね」

「ええ」


 時間が経ってなお当時の凄惨さを語る凶器に、比奈の声は僅かに震えている。それでも視線は凶器から外れない。

 あるいは、外せないのか。


「しかし、今更だが――妙だな? 相原桂華を殺したのは河西だろう。なぜその凶器が谷坂の手に渡っている?」

「盗られたんでしょう、谷坂さんに。人を殺して動揺している状態なら、不可能ではないと思います」


 ここにあるということは、そうとしか考えられない。


「谷坂さんよりも、河西社長の方がまだしも人間らしい感覚で人の死を見詰めたのかもしれませんね。まあ、五十歩百歩ですが」


 河西とて、加担したことに変わりはないのだから。


「遺体を荷物に偽装して運んだのは、谷坂さんです。その彼らしき人物にぶつかった女性がディアレストに来ていました」


 平然とそんなことができるぐらいに、谷坂には動揺がない――人殺しに何ら感情を動かさなかったのだと推測できる。


「河西さんは、凶器を持ち帰って処分するつもりだったはずです。おそらく無防備な指紋が取れると思いますよ」


 むしろ残っていなければ、脅しの材料として成立しない。


「計画的に殺害しようというのに、そんな迂闊な真似をするか?」

「すると思いますよ。相原さんを油断させるために」


 相原もおそらく、別件で河西を脅していた真っ最中。そんな相手がいつもはしていない手袋なんかをはめて人気のない場所へと自分を呼び出して来たら、間違いなく警戒する。

 しかし相原は刺されるその直前まで、警戒などしていなかった。


「河西社長の計画では、凶器はしっかり回収して、痕跡を消してから破棄する予定だったと思われます。それだけの時間は取れたはずですから。実際、靴は処分しましたしね」

「ふむ……」

「じゃあ早速、警察に届けましょう」


 この行為も民間の人間がやってはいけない捜査に値するかもしれないが、言い様は幾らでもある。問題ない。

 そう、問題なのはそこではないのだ。


「それなのですが、届ける前に――副団長。これを久遠路さんに見ていただくわけにはいきませんか?」

「理由は?」

「谷坂さんが弘瀬さんを襲った凶器と同じ型であれば、ほぼ心配ないかと思います。ですがもし違っていた場合は、弘瀬さんにお話しすべき内容が増えるかと。主に、警備の継続について」

「継続、ですか?」


 終わりさえ見えていない現在、継続の話を不思議に思うのは無理もない。首を傾げた比奈に、理人はうなずく。


「はい。先日祈龍刑事から聞いた話ですが、相原さんの胸には二度刺された形跡があるそうです」


 ニュースなどでは報道されていない情報だ。比奈も暁も初耳そのままの顔をしている。


「一度目は、河西社長がこのナイフで刺したのに違いないでしょう。ですが、致命傷となったのは二度目の刺し傷とのこと。そして祈龍刑事は、『ほぼ』凶器と傷跡が一致した、と言っていました」


 傷跡が重なり、検証のしにくさが曖昧さを許した。谷坂の自供がそれを後押しもした。

 だがもし、同じ型の、しかし違う凶器であったら。


「この凶器を提出して差別化できれば、谷坂さんの自供は河西社長を庇ったものではなく、彼自身を殺人犯だと証明できるかもしれません。同時にこちらが完全に一致すれば、谷坂さんの罪状はその時点で殺人未遂と死体遺棄だと確定する」


 つまり真に弘瀬を狙っている人間の罪が軽くなるということだ。彼女は短期間で再び、命を脅かされる生活を強いられることになる。


「そうか……」


 ゆっくり瞬きをして、暁は思考をする間を空けてから。


「私としては、それならばこの凶器をこのまま隠蔽するのもやぶさかではない」


 暁の発言は、実行すれば完璧な犯罪行為である。だが理人もまた、考えなかったわけではない。自身の物差しで決めるなら、心は傾く。

 真実よりも、弘瀬の身の安全の方が大切ではないのか? と。


(だがここは、法治国家だ)

「副団長、お言葉ですがそれは気が早いかと。手っ取り早い解決法かもしれませんが、正しくはない。それは弘瀬さんの安全を笠に着た、己の楽を取った逃げでもあると思います」

「――」


 はっとしたように暁は息を飲み、固まった。

 それからとてもゆっくりと、一呼吸をして。


「ああ、そうだな。香久山君の言う通りだ。今のは安易な楽を取った、愚かな発言だった。正してくれたこと、感謝する」


 そう。ナイツオブラウンドが目指すものは、そんなことではないはずだ。


「たとえ自分たちにとって都合が悪かろうと、それが真実なのだ。ならば真実と向き合い、その上で彼女を護ればいい。それだけのことだな」

「はい。そうするべきだと思います。日本という法治国家の枠組みで生きる、我らだからこそ」


 弘瀬にも負担を強いることになるだろう。心苦しさがないとは言わない。

 それでも、己のための都合のいい捏造は、いずれ己を追い詰める。信念を捻じ曲げ、穢していくだろう。

 そんな自分は望まない。だからこそ、選ぶべきではないのだ。


「ではまず、これを久遠路に見せて確認を取るとしよう。それぐらいの余裕はもらって構わないはずだ」

「お願いします」


 提案した側の理人からすれば、もちろん否などない。


「その後は然るべく、警察に委ねる」

「はい」

「……願わくば。罪なき者の平穏が、これ以上脅かされぬよう」


 もどかしげに口にされた暁の言葉だけは、この場にいる全員の、心から共通した思いだった。

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