第2話

 結論から言えば、ナイツオブラウンド株式会社は実在していた。

 ネットで軽く検索してみた所、評判もいい。業種に興味のある者なら、おそらく知らない人間はいないのではと思えるほど、頻繁に名前を見ることができた。

 そして理人は、新規オープンした社内カフェに再就職が決まった。


「これからは理人さんのコーヒーがいつでも飲めるんですね。幸せです。――改めまして、木嶋比奈です。よろしくお願いします」

香久山かぐやま理人です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 出勤一日目。様子を見に来た比奈へと、そう挨拶をする。

 にこにこと笑う比奈が身にまとうのは、ファンタジー感の強い西洋の騎士服。しかし決して、勤務中にコスプレをして遊んでいるわけではない。ナイツオブラウンドにおける、内勤の時の第一制服である。


 冗談ではない証拠に、比奈の着こなしは実に自然だ。しっくりと馴染み切っている。

 そして彼女に関して、驚いたことがもう一つ。


「……それにしても。比奈さん、社長令嬢だったんですね」


 道理で社内の人事に口を出せるはずだ。

 そうして身の上が明らかになり、理人がナイツオブラウンドに就職した今も、比奈の態度はこれまでと変わりない。そのことに、理人は内心安堵の息をついていた。


 客と店員の関係はイーブンだと理人は考えている。金銭を介してサービスを提供する側と受ける側、それだけだ。そしてそれは、雇用主と従業員でも同じである。

 なので、彼女の態度が横柄になったり高圧的にならなかったことにほっとしたのだ。


「あ! 駄目ですよ、理人さん。この騎士団領の中では、わたしは社長令嬢ではありません。それと、団長との血縁は確かに存在しますが、わたし自身はただの一騎士なのです」

「……そう、でしたね」


 胸に手を当て、ピシリと背筋を伸ばして言い切った比奈に、理人は諸々の思いを飲み込んで同意する。


 ナイツオブラウンド株式会社は、企業成績・顧客満足度・従業員幸福度すべてが高い優良企業ある。しかし、名前に感じた違和感もまた、正しかった。

 外部の人間と接するときは世間に迎合する言動をするが、社内――もとい、騎士団領内においては社員全員が『騎士』として振る舞う。

 先程比奈が社長を『団長』と言い換えたのも、その一つである。


「それと、今回の件に関して疑っていらっしゃるかもしれませんが、それは誤解です。理人さんの名前を団長と副団長に上奏したのはわたしですが、血縁者の推薦だから採用されたわけではありません」


 理人が考えていたことを、そのまま言葉にして比奈は否定する。


「組織の風通しを良くするのは、団長の意思です。誰であっても推薦可能ですよ。そして採用に足る実力を示したのは理人さん自身。それだけです」


 その堂々とした物言いには、心の底から組織の清廉さを信じているゆえの説得力があった。

 だったらいい、と理人が思えてしまうぐらいには。


(何にしても、それを真実にするかどうかはこれからの俺次第。任された以上、俺の全力でこのカフェを憩いの空間にしてみせる)


 自分が先代のコーヒーに癒されていたように。

 気合いを入れ直した理人の耳に、再度扉が開く音が届く。


「失礼する。――どうでしょうか、香久山君。店に不備はありませんか?」


 店内に入ってそう訊ねてきた、理人と同年代の青年。彼にはどことなく比奈と似た面影があった。それも当然。


「副団長。お疲れ様です」

「ああ、ご苦労、比奈。休憩中か?」

「はい」


 会話の最中に敬礼と答礼を、ごく自然に二人は交わす。

 副騎士団長――ようは副社長の地位にあるこの男性の名は、木嶋あきら。比奈の兄だ。彼らに己の呼称を恥ずかしがる素振りは一切ない。


(俺も、ここで働いていたらそのうち馴染むんだろうか……)


 今は社内別棟のリフレッシュゾーン、その名も妖精郷ティル・ナ・ノグ所属というだけで、悶絶したい気恥ずかしさを感じるのだが。


「店は、大丈夫です。至れり尽くせりでありがたいぐらいですから。ただその、一つ窺ってもいいでしょうか」


 職務とは別に、どうしても気になる。


「何でしょう?」


 応じる暁に面倒がる様子は見られない。新人の疑問に真摯に向かい合う物腰は穏やかで、人好きがする。

 だからこそ、理人もタブーかもしれないという質問を訊ねることができた。


「なぜ武士じゃなくて騎士なんでしょうか」


 確かに、二人には西洋人の血が入っているだろう。だが同時に『日本』という、同じ枠の中で過ごしてきた者特有の親近感が彼らにはとある。おそらく二人は、生まれも育ちも日本だ。

 理人の質問に暁はきょとんとして――笑い出した。


「その聞かれ方は初めてです。うん、安心しました。貴方には適性がある」

「はあ……」

「我が騎士団の風潮に馴染めないという意見も、否定はしません。ですがその場合は辞めていただいた方がいいと思っています。お互いのために」

「そうですね」


 一般的な普通とはかけ離れているかもしれないが、社風が合わなくて辞めるのは立派に理由だと理人は思っている。


「武士ではなく騎士なのは――。単純に、創業者である父が、幼い頃に祖母から聞いた騎士物語が大好きだからですね」

「趣味の産物ですか……」


 それを仕事にここまで持ち込むことができるのは、見事な度胸と言うべきなのだろうか。


「仕事だって、楽しくやったほうがやりがいもありますし」

「それは確かに」


 先程ナイツオブラウンドの社風を『趣味の産物』と評した理人だが、暁に言われて自分がバリスタを目指したのも同じことだと思い直す。

 それは人口的に多いか少ないかの差でしかなく、根本的には同じものだと。


「ですが、冗談で騎士を名乗っているわけでもないんですよ?」

「と、仰いますと?」

「我が騎士団において、騎士道は最も重要視されます。それは籍を置く者すべてに適用される。どうぞ、お忘れなきよう」


 暁の瞳に、冷徹な光が宿る。そうすると今まで彼が人当たりの良い好青年に見えていたのは表情の力で、実際には近寄りがたさを感じるほどに整った、怜悧な顔立ちをしていることに気付かされた。


(騎士道……。つまり社訓や社是か)


 目を通しておこうと、心に決める。


「もう、副団長。大袈裟ですよ。理人さん、要は人間らしい行い以外はするなってだけです。特別なことじゃありません」

「ええ、大まかに言うとそれだけです」


 比奈の明るい声音に、少し冷えた空気が瓦解する。暁も人好きのする穏やかな笑みへと戻った。

 ――が、それも妹への愛情が現れただけの一瞬だったようだ。


「ですが、悲しいかな。近頃は物事の本質が忘れ去られているような気がしてならないのです」

「本質、ですか」

「はい。そう、たとえば、なぜ人を殺してはいけないのか」


 たとえに持ち出すのには、物騒な事柄だった。思わず理人は一拍分言葉に詰まってしまう。

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