第3話

「取り返しのつかない、大切なことだからでしょう」


 一度喪ってしまえば、もう何をどうしても取り戻せない。

 その結果、喪われた人を大切に想っていた誰かの心を傷付け、恨みと憎しみを生む。そのような感情を抱く必要のなかった人々が、怒りや悲しみによって。

 あまりに無情な、負の連鎖だ。


「そうです。少なくとも私はそう思っている。一時の感情で喪わされるには、あまりにも大きい犠牲であると」


 想像をするだけで、ぞっとするほどに。やや伏せがちになった暁の睫毛が影を落とす。

 しかし次に瞳を開いたときには、強く、そして冷酷な光を取り戻したものへと切り替わっていた。


「たとえ愛された実感がなく、他者への愛を覚えなかったとしても。自分自身までもを愛していない者は少ない。ですから命の尊さを理解できない人は、決して多くはないはずです」


 自分以外がどうでもよいというのも想像力の欠如だと、暁は冷徹に、傲慢に言い切る。


「しかし理解していて尚、考えた末の行いならば否定はしません。相応の覚悟があるでしょうから。止めるか止めないかは、私の物差しで決めます。私は法の番人ではなく、私人ですから。その判断が騎士道に悖るのであれば、私は除名されるでしょう」


 それは実に、迷いのない発言だった。さして人柄も知らない相手に対して言えるぐらいに、彼の中で芯となっているのだろう。


(……危うい人だな)


 主義を聞いた理人は、そんな感想を暁に抱く。

 暁はおそらく、本気で言っている。その思想は現代の法では異質だ。ことによっては許されない。

 だがこの場所で副騎士団長をやっているのだから、幸いにしてこれまでは彼の異質さが発揮される状況にはなかったということだ。

 この先もそうあってほしいものだと、理人は思う。

 彼自身のためにも、比奈のためにも、社会のためにも。


「更に話にならない者もいます。『法律で決まっているからだ』と、恥ずかしげもなくのたまう輩です」


 秀麗な顔をしかめ、暁は吐き捨てる。心からの嫌悪を示して。


「あまりに愚かしい」


 法律で決まっているから悪いことなのではない。悪いことだから法律が定めたのだ。

 そして価値観とは時勢によって移ろい、新たなものも生まれ続ける。法の整備が間に合わないことも少なくない。

 だが法が決めていなかろうとも、悪行は悪行だ。


「我々が是とする騎士道とは、そういうものです。細かく規則を定められねば善悪の境を護れぬ者は――」

「……クビですか?」

「まさか。求める者の手を放り出すのもまた、騎士道に反します。誠心誠意、指導を行いますよ。まあ、大概の方は合わないと判断されて辞めますが」

「な、なるほど……」


 爽やかに笑って言い切る暁に、理人は得も知れぬ迫力を感じて身震いする。


「とりあえず、そのような感じです。いかがでしょうか?」

「大変参考になりました」

(まあ、何とかやっていけそうな気分にはなるぐらいには)


 言葉にして他人に訴えられる暁は過激な部類に入ると思うので苦手だが、思想自体には理人も否はない。


「それは何よりです。では、いつ頃からオープンできそうですか?」

「そうですね……。二週間後ぐらいには」


 店自体に問題はない。あとは細かな内装を整え、食材を揃えればすぐにも始められる。


「分かりました。では、区切りもいいですし来月頭からということでお願いします」

「はい」


 豆の仕入れ先は、以前働いていた店と同じ業者に頼んだ。軽食のメニューも、まずは店と同じ品揃えで始める予定だ。

 後は社内の雰囲気やニーズに合わせて――と行きたいところだが、こればかりは始めてみなければ分からない。


「開業したら、一番に来ますね!」

「きちんと時間と相談するように。戻るぞ、比奈」

「はい、副団長」


 去っていく二人を見送ってから、理人は再びカフェ開店の準備へと戻る。

 一人だけになった店内は、広さが強調されて少しばかりの寂しさを感じた。だからこそ、やる気も湧き出そうというものだ。

 瞼の裏に描くのは、埋まった席と各々の時を楽しむ客の姿。


(よし、やるか!)


 理人の目指す空間のイメージは、すでに完成している。


(ほっとする一時を提供できる、そんな場所になれるように)




 新規オープンしたカフェ『ディアレスト』は、上々の賑わいを見せていた。比奈以外にも常連客が付いてくれて、心の底から安堵している。


(利用されない社内カフェとか、悲しすぎるからな……!)

「ああ。この一杯のために生きている……」

「ありがとうございます」


 比奈の大袈裟な褒め言葉に苦笑しつつ、理人は礼を言う。


「わりと本気ですよ? どうしてでしょう。理人さんのコーヒーって、中毒性がある気がします。美味しいものって罪ですね……」

「まあ、比奈様。その様なことを仰って。もし美味しいもの禁止令などが出てしまったら、どれだけ嘆いても足りないではありませんか」


 カウンター席に座って比奈と談笑するのは、同期で同僚だという社員――もとい、騎士の久遠路くおんじさくら

 綺麗に切り揃えられた黒髪に、白いリボンが飾られている。その立ち居振る舞いは実に嫋やかで、上品と称するのに相応しい。

 大和撫子といった雰囲気の彼女が身に付けているのも、勿論西洋の騎士服である。


「罪があるのは美味しいものではございません。己の自制心のなさではありませんか?」

「ごもっとも!」


 全面的に同意する形で、比奈はくすくすと笑う。

 仲睦まじい二人の様子は心を和ませてくれるが、どうにも和み切れない部分もある。折角なので、理人は訊ねてみることにした。


「ところで、ここしばらく忙しい方が増えているように見受けられるのですが、何かあるのですか?」

「分かるんですか?」


 気になったことを訊ねてみれば、比奈は驚いた顔をする。隣の櫻も同様だ。


「寛いでいても、寛ぎきっていない雰囲気とか。あと、糖分を取りたがる方も増えたかなと」


 何度か顔を合わせている相手ならば、常と挙動が違えば理人には違和感としてすぐに察せられる。


「よく見てますね……」

「接客スキル研鑽の賜物、といったところでしょうか」


 微笑して答えるが、正直、意識して鍛えたわけではないので少々不可思議な気持ちになる。理人からしてみれば、なぜ人が気付かないかの方が謎なのだ。

 ただ、それを口にしないだけの処世術は身に付けている。


「お察しの通り、実は少し大掛かりなイベントの警備を我が騎士団が任されることになりました」

「それは、おめでとうございます」


 仕事が舞い込んでくれば、会社としてはめでたいだろう。ましてそれが大きなものなら尚のこと、誇りにも繋がる。


「ありがとうございます」


 比奈と櫻も、心なしか嬉しそうである。


「概要をお聞きしても大丈夫ですか?」

「もちろんです。というか、理人さんも団員じゃないですか。普通に関係者です」

「そうでした」


 妖精郷から動かないせいだろうか。どうにも本棟と別に考えてしまう。

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2024年12月3日 02:00
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ナイツオブラウンド株式会社 長月遥 @nagatukiharuka

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