第179話 酒場にて

 俺は、シュトゥットガルト一番の酒場で、ヴルストをつまみにぬるいエールをちびちびと口に運んでいた。夕方になるとここにマテウス兄とニクラウス兄が現れ、飲み食いとともに目ぼしい女を漁っていくのがルーティンだからだ。もちろん、冒険者風のローブを着てフードを目深にかぶり、身バレには十分注意している。


 その日の狩りや探索を終えた冒険者たちが訪れ、次々に席を埋めていく中、中央にある装飾過剰のテーブルにだけは、誰も近づかない。毎晩そこにあの二人が陣取ることが知れわたっており、そんなところに先に座っていたら、因縁をつけられることが確実だと思われているからだろう。


 一時間ほど待っていると、入り口の扉をドカンと蹴り開けるようにして、バカ兄たちが現れた。そんな力を入れなくても開くのになあ……何をするにも、自己顕示をしないと気が済まないのがこの兄たちなのだ。胡散臭い男を三人ほどお供に引き連れてのご到着……ああ、こんな金魚の糞が使うカネも、マックスに出させていたんだろうなあ。


「いつもの! あとは今日一番美味いモノを寄こせ!」


 マテウス兄が横柄に注文の声を上げると、間髪入れず赤ワインとヴルストの大盛皿、そしてオーク肉のステーキが供される。ヴルストにはエールのほうが合うと思うのだが……ワインのほうがひとケタお値段が高い、味うんぬんよりも「俺ってカネ持ってるぜ」アピールの意味が大きいのだろう。奴らより先に注文を入れていた客が、しこたまいたと思うのだが……順番抜かされても、誰も文句を言う客はいない。もはやこの兄たちの傍若無人ぶりは「触ってはいけない人」として、この酒場では知れ渡っているようだ。


 そしてワイングラスを舐めつつ、バカ兄たちが周囲のテーブルをじっくりとねめまわす。当然それは、今晩持ち帰る女を物色するためだ。この世界の力関係では女が男をお持ち帰りするのが一般的だが、男がカネや権力を持っている場合には、逆転することもある。この兄たちは田舎には珍しい「貴族」という身分、マックスから支給されている「過剰な小遣い」、そして「領主の兄」という看板を武器にして、かなりの戦果を挙げているらしい。


 しかしよく考えてみたらこの売り文句、何一つとして本人の能力や努力と関係ないじゃないか。こんなんでアピールするのって、恥ずかしくないのかなあ……いや、生まれついてのドラ息子である彼らには、それが当たり前なのか。


 彼らは、二つほど離れたテーブルに座り、明るいアニメ声でさえずっている若い女の子二人組に目を止めたようだ。言葉巧みに誘い出し、自分たちのテーブルに招く。女たちも満更ではないようだ……まあこんな酒場で高価なワインなんか飲める奴はカネ持ちに違いない、付き合えば良い思いができるんじゃないかという打算が働くのも、無理のないことだ。


 女の子たちは随分ノリが良いみたいで、兄や取り巻きたちの下卑た冗談も明るく笑って流している。自分たちの家で飲みなおそうと盛んに誘いをかけているようだが、なかなかうんとは言わないようだ。そりゃそうだよなあ、この中世的な世界の常識では、のこのこ異性の家にくっついていくって行為は、つまりそういうことだからなあ。


 思い通りに行かない攻略に、バカ兄たちがイラ立ち始めるのが、遠目でもわかる。ストレスがピークに達したあたりで、女の子たちが手洗いに立つ。


 酔客で込み合う通路を曲がる時にほんの一瞬だけ振り向いて、俺ににこっと笑みを送ってくれた女性は……鑑定お姉さんのニコル嬢だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「うん、たった今、何か仕込みましたね」


 俺の向かいでフライドポテトをつまんでいた冒険者風の黒髪女性が、俺にしか聞こえない程度の音量でつぶやく。俺の方に向き直ったそのひとは……先日も一緒に戦った、闇一族の女性、ホタルさん。すでに俺の子を一人産んでくれているのだが、まだリーゼ姉さんと同年のピチピチ娘だ。


 おっと、そんなことを考えている時ではない。ニコルさんたち二人が用を足しに行っている間に、奴らは飲み物に仕掛けを……おそらくクスリを混ぜている。


「大丈夫です、これから館に連れ込んで遊ぶのですから、毒になるものは使わないでしょう。催眠性のものと、おそらく媚薬を組み合わせるはずです」


 ついニコルさんたちの身体への悪影響を考えて身を固くしてしまう俺を落ち着かせるように、穏やかな口調でホタルさんが諭してくれる。うん、そうだよな……闇一族のみんなが慎重に下調べして準備してくれたのに、ここで俺が慌てちゃあ台無しだ。


 やがて戻ってきたニコルさんたちは、相変わらず男たちの攻勢を朗らかにいなしている。だけど手元のワインには時折口をつけていて……やがてその杯が空く頃、彼女たちの様子が徐々に変わった。これまで盛んに回転していた舌が途切れがちになり、そのたれ目が時々眠気に負けて閉じる。


 やがてくたりとテーブルに突っ伏した二人の女性に、あたかも送っていくかのように肩を貸し、兄たちと取り巻きが席を立つ。いよいよ、奴らの悪事を暴く時だ。


「よし、追うぞ」


 俺の低いつぶやきに、ホタルさんが大きくうなずいた。

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