第177話 不穏なバーデン

「それで、被害者の男はどうなった? 犯人の女は捕まえたのか?」


「運がいいことに奥様が近くにいた。狂った女を一撃で失神させると、男に治癒魔法を施してくださったのだが……あれには驚いたぞ。胸や腹を空気弾で撃ち抜かれて、どう見たって完全に致命傷だったというのに、二十ばかり数える間に、傷の一つも残らぬくらいに治してしまった」


 バーデン領で「奥様」と呼ばれているのは、もちろんグレーテルだ。もともと彼女は王国最高の治癒魔法使いであるところに持ってきて、俺の「神の種」がめでたく付いたことでその魔力は、おそらくSSクラス相当になってしまっている……彼女なら、対象がまだ生きている限り、力任せに治してしまうだろうなあ。彼女に留守番をお願いしたのはお腹の子供が心配だったからだけど……お陰で若い生命が一つ救われたわけだ、後でたっぷり褒めてあげないと。


 しかし……これは参ったなあ。

 

 バーデン領にいる戦争奴隷約三万人のうち、マックスの直属となる一万人ちょっとの集団は、帝国民と公国民の混成だ。魔法使いの女性をここに集め、彼女たちが求めるであろう若い男たちを意図的に組み合わせた編成にすることで、日々の仕事のなかで徐々に気持ちを育んで、くっつけちゃおうっていう狙いがあったんだ。だから少なくないカネを投じて出会いイベントなんかも仕掛け、デートにぴったりのカフェなんかも他の街から誘致してきた。


 もちろんそれは、この地でつがいを得て子を儲けることで、魔法使いの女性たちがバーデンに定着してくれることを最終目的としている。実際ここ半年で数十組のカップルが成立していて、週末の至高神教会は毎週のように飛び込んでくる結婚式に対応するため、結構忙しいことになっているのだ。俺とマックスで企んだこの作戦は、順調に成果を上げているように見えた……この事件が起こるまでは。


 だが、帝国女性が公国の若者に瀕死の重傷を負わせたことで、俺たちの計画は大きく後退を強いられるだろう。合コンやダンパでゆるく培った両国民間の友愛は、生命の危機に臨んでは、もろくも崩れ去る。公国側の者たちの胸には、長らく自分たちを半属国扱いしてきた帝国への恨みが蘇り、帝国人たちはにわかに反抗的になった公国人に、いらだちを募らせるだろう。


 そして、お互いの反感がピークを迎えた先にあるのは、帝国人と公国人の組織的な衝突。一部にでもそれが起これば、動乱はあっという間に戦争捕虜全体に広がるだろう。三万近い彼らが本気で争いを始めれば、いくらグレーテルが一人で無双しようと抑えきれるものではない。そうなれば王都に国軍の出動を乞わねばならず……もちろん鎮圧はできるだろうが、捕虜の人権に配慮しつつその労働力に頼って進める、バーデン領「魔の森」開発プロジェクトは、大失敗の烙印を押されるだろう。


 ディスられること自体は仕方ないことだが、失敗の責任を領主の俺一人でかぶれるわけもない。俺の配偶者であり、名目上だが奴隷たちの主であるベアトに、貴族たちの非難が集中することは確実で……クラーラ支持派がここぞとばかりに巻き返しを図ってくるだろう。


「ルッツの心配はもっともだ。『六人組』の監視体制を強化して、暴発しないよう抑え込んでいるが……」


「うん、事件の原因をつかんで、根を断たないとね。犯人の女性が何でそんな行動に走ったのか……」


「そうだ。やらかした奴は、俺もちょっと知っている女なのだが……そんな大それたことをやらかすようには見えなかった。ただ周囲の者に聞くと、ここ二週間ほど落ち着かない様子だったというのだ」


「闇一族に調べてもらうしかないかな」


 その時、待ち構えていたように落ち着いたアルトボイスが響いた。


「はい、すでに動いております。経過のご報告を」


 もちろん俺の背後でひざまずいているのは、もうすっかりお腹が大きくなっているというのに、王都の族長に代わってバーデンの闇一族本拠を統べている、アヤカさんだ。


「うん、何かわかったの?」


「あの女性は、薬で狂わされております」


「クスリだって?」


「ええ、薬です。薬といっても、天然の生薬ではなく金属性の魔力を込めて変性させられたもので……感覚が鋭く研ぎ澄まされる効果があります。戦で夜通し戦う男性兵士たちに与えられたり……」


 むっ、アヤカさんが言いにくそうに口ごもっている。ああそうか、これって元世界でも似たようなクスリがあったよな。


「それって、子作りする時に使ったりする?」


「……ルッツ様はよくご存じです。はい、繁殖のためではなく、より深い快楽を得るために使われるとのこと。ですがこの薬は、良い効き目だけではなく……」


「習慣性があって、クスリなしじゃいられなくなる、とか?」


「その通りです」


 うはあ、それじゃまるっきり前世のアレみたいなもんじゃないか。


「だけど、そんなものをこんな辺境地に、誰が持ち込むって言うんだ。冒険者かな?」


「いえ。大変申し上げにくいのですが……」


「いいよ、言ってみて?」


「ルッツ様の、兄上様たちの模様です」


 え~っ、あいつらなの?

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