第148話 【第三部終了】クラーラの評判

 バーデン領にようやく春が来た頃になっても、グレーテルに懐妊の気配はない。今月も肩を落として手洗いから出てきた彼女の背中を撫でてあげることくらいしか、俺に出来ることがないのが辛い。


 そんな日々の中で、森に挑む冒険者たちが、たった今王都で持ちきりになっているという噂を運んできた。第一王女クラーラが、めでたく懐妊したというのだが……不思議なことに父親の名は、公表されていないのだという。


 そうか、そろそろ彼女に種付けしてから半年……お腹が目立ってきて、いよいよ懐妊を公表することにしたんだな。


 だが、この事態は異例中の異例だ。もちろん女王陛下がベアトを産んだ時のように、王族であっても優れた子供を儲けるためだけの目的で種馬を用い、種馬氏の名が公開されないケースはある。だが、正式な婚姻を一度もせず未婚のままで、いきなり名前も知らぬ男との子を孕んだ王族は、ここ数代で一人だけだ。そしてその一人は「ふしだらな行状」を当時の女王から厳しくけん責され、王女から一代男爵に大幅格下げされる憂き目にあっているのだ。


 まあそんな事態も、クラーラとベアトにとっては織り込み済みなのだろう。彼女たちにとってはクラーラが平和裏に次期女王レースから降りられさえすればいいのだから。


 臣籍降下させられたとて、彼女は超一流の薬師として十分に身を立て、俺の子を育ててゆけるだろう。魔法制御力抜群の彼女がこさえる薬は最高級品だし……唯一の泣き所だった魔力の低さも、俺の種で出来た子の恩恵を受けて、おそらくAクラス相当くらいにはなっているはずだろうしな。


「それで? 第一王女派貴族たちの反応はどうなの?」


「いまのところ『だんまり』のようですね。おそらく不意打ちの発表に、かなり混乱しているのかと」


 グレーテルの問いに、配下から情報を集めてきたアヤカさんがちょっと自信なげに答える。彼女も反ベアト側の行動が読み切れていないのだろう。


「王都の民たちの反応はどんな感じ?」


「さまざまですが、やっぱり『どこの男のものかわからぬ種を……』という声が多く、クラーラ殿下の評判は悪くなっているようです」


「女王陛下は何と仰っているの?」


「まだ何も発言されておられません。もうすでにベアトリクス殿下を後継者に指名されておられる以上、あえてアクションを起こすのは不適切であるとお考えになっておられるのではないでしょうか」


 まあ、ここまではベアトたちの思惑通りということか。


 反ベアト派唯一の主張根拠であった「血の正統性」を崩す行為を自ら行ったクラーラに対する風当たりは、今後ますます強まるだろう。すでに王太女となっているベアトの立場はいよいよ盤石になり、クラーラは多少評判が落ちるとしても、望まぬ王位争いをしなくて済むのだから。


 だが……宰相を頂点とし高位貴族の過半を占める反ベアト派が、そんなに簡単にあきらめてくれるだろうか。


「たぶん無理ね」


「じゃあグレーテル、連中はどんな理屈を付けてくると思う?」


「まあ多分適当な種馬さんの名前を借りて『王女が子供を熱望され、最高の種馬を用いて妊娠された』とか言って誤魔化すのでしょうね……いずれにしろ、王族が『未婚の母』っていうのは、国民には支持されないわね。お二人の立てた戦術は、実のところ有効だわ」


 グレーテルはさすが高位貴族の令嬢、こういう時の貴族的反応予測がすぱっと出てくる。そして彼女の視点から見ても、クラーラは王位から大きく後退したという読みなのだ。あんなピュアなクラーラの名誉が損なわれるという意味では少しもやもやするけれど、これはあの姉妹が望んだ展開なのだ、まずは納得するしかないのかなあ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 結局のところ、反ベアト派の貴族は、グレーテルの予想と寸分たがわぬ行動をした。スタッドブック三ページ目のブルーノ卿が真の父親ということにされたのだが……後付けかつ、とってつけたような発表に、市井の納得感はさっぱり得られていないのだという。


 そして、配偶者のない女性から生まれた子は、種馬の名が判明していようといなかろうと私生児扱いであることは変えられない。貴族が重視する血統の「正統性」は、ほんの数ケ月後に生まれるであろう、「王太女ベアトリクス殿下」と「次期王配ルートヴィヒ殿下」が儲けた娘に、圧倒的軍配を上げるだろう。


「これで、後継者問題は片付くのかな……」


「いえ。私たち裏社会に住まう者から見れば、これからが危ないと思います」


 まだお腹が目立たないアヤカさんがひざまずき、黒い瞳に真剣な光をたたえて俺を見上げる。


「どうして?」


「これまでは彼らにも、真っ向勝負の論戦で勝てる可能性がありましたから、リスクのある手段は取ってきませんでした。それが失われたわけですから……権力を何としても得るために、非公式かつ危険な、直接的手段に頼ってくるでしょう」


「それって……」


「ええ。暗殺、誘拐、脅迫とか……族長カナコに、十分注意させておきます」


 アヤカさんのアルトが、もう一段低くなった。怖っ!


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