第42話 もう一回はお約束
オイルランプが一つ灯るだけの寝室で、俺とスザンナさんはベッドに腰かけている。
「それではルッツ様、お願いいたします」
「あの……失礼ですけど、御夫君を亡くされたばかりで、お気持ちは複雑なのでは。それほど急がなくても、心の整理がついてからで……」
「お気遣いいただいて、ありがとうございます。確かにまだ私の心は癒えておりません。ですが、今月、悪くても来月に懐妊せねば、間に合いませんの」
「事情をよく承知していないのですが『間に合わない』とは?」
薄茶の視線を床に落とし、ぽつぽつとスザンナさんが話した事情は、こうだ。
二代前……お姑さんのお婆さんが当主だったころは、アルトナー商会はまだ地方の雑貨屋にしかすぎず、家族と使用人一人で切りまわしていた。だが当主が亡くなった後、二人いた娘のいずれが店を継ぐかで、さんざんもめたのだそうだ。
田舎のちっちゃい店と言っても、本人たちにとっては生まれてからずっとそこで暮らしてきた「人生のすべて」なのだ、執着もあったのだろう……争いはエスカレートし、ついに使用人がそれを止めるために大けがを負ったところで、見かねた領主が仲裁に入ったという。そして領主の裁定で契約書が作られ、種々の約束事が決められた。姉が店を継ぐ代わり、妹に謝金として二千金貨を支払うこと。もし将来姉の家で後継ぎが途絶えた時は、妹の家に店を渡すこと、などなど。
経営権を得た姉は思い切って店を王都にも構え、市民への食品や生活用品の販売から、王都と地方都市間の流通卸に業態転換した。最初は廃業寸前まで追い込まれたものの、持って生まれた才覚と、スポンサーにも恵まれて十数年かけて成功し、今や王国で三指に入る豪商となった……これがお姑さんのお母さんになる。
時は流れお姑さんが当主になる頃になって、店を譲った妹一族の子孫から、カネの無心がたびたびされるようになった。彼らの言い分は「うちの先祖がお前らの先祖に店を譲ったから今の繁栄がある、だから我々にはカネをもらう権利がある」という随分図々しくも居丈高なもので、最初は鷹揚に金貨を渡していたお姑さんも、回を重ねるごとにエスカレートする要求についに耐え切れず、彼らに出禁を申し渡したのだとか。まあ、そうなるだろうな。
そうしたところに今回の襲撃で、後継ぎたるスザンナさんの夫とその子が殺された。後継ぎの葬儀で悲しみに暮れる商会にふらっと訪ねてきた妹の末裔が突き付けたのが、はるか昔に結ばれた契約書……そこには「後継者なきときは、妹の家に店を譲り渡せ」と記されているのだ。
「しかし、養子でも何でも取ればいいのでは……何ならスザンナさんに婿を迎えて……」
「法律の専門家にも相談したけれど、こういう契約の場合『後継者』は直系……つまり夫の子供に限られるようなのです」
「そ、それは……」
確かに、それじゃあ詰んでいる。俺は思わず、眉間に皺を寄せた。
「しかし専門家は同時に、最後の希望を与えてくれました。夫が死んでから十ケ月以内に妻が産んだ子供は、たとえ真の父親が誰であろうと、法律上は夫の子として認められると」
あ、なるほどな。確かにこの国では「種馬」を使って当主の女性が産んだ子を、公式には当主とその夫の子として扱っている。DNA鑑定なんか存在しないこの世界だ、死後の期間で法律上区切ることは、決して間違っていない。
「ですから最悪でも来月までに、私のお腹に子を宿して頂きたいのです。そうしないとお義母様の生き甲斐である商会が……どうか、どうか……」
必死でかき口説くスザンナさんの肩を、思わず抱き寄せてしまう俺。震える唇に口づけて、その背中に腕をゆっくり回して、ベッドに横たえる。
ヤバい、惚れっぽい俺、もうほだされちゃってる。スザンナさん、今晩だけはご夫君を、忘れさせてあげたい……俺、頑張るよ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
心地よい疲労を感じながら、ブルネットの髪を何度も撫でる俺。俺の左腕を枕にしていたその髪の持ち主が、ようやく気だるそうに目を開けて、つぶやいた。
「ありがとう……すごく素敵だった。クルトには申し訳ないけど、その間は彼のことを忘れてしまったかも」
「そう言ってくれて嬉しい、俺も良かったです」
まあ俺も、ここんとこアヤカさん相手にいろいろその道を研究したからな、少しはそういうところも上達したんだろう。スザンナさんが少しでも元気になってくれればいいんだけど。
しかし、何か気になるんだ。さっきはスザンナさんの健気さに思わず理性を吹っ飛ばして猿になってしまった俺だけど、こうして賢者モードになってみると、彼女から聞いたご夫君と娘さんに降りかかった災難の話、なんだかタイミングが良すぎるような気がする。
だいたい出禁になっていたはずの妹一族が、葬儀のことを素早く嗅ぎつけるのも変じゃないか。もしやこれが最初から仕組まれていたものだとしたら……そう思った俺の指に力が入ったのに気付いたのだろう、スザンナさんが驚いたような目を向ける。
「ああ、すみませんスザンナさん。辛いでしょうけど、さっきの話をもう一度聞かせてもらえませんか? もう一回、する前に」
彼女の顔が、見る間に真紅に染まる。しまった、最後に一言、余計なことを付け加えてしまったみたいだ。
結局、もう一回したのは、事実なんだけどさ。
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