第15話 女王陛下
「ええ、普段は魔法実習を致しますので、汚れが気にならない服装が必要ですから」
精神的に大人の姉さんは、コンスタンツェ嬢の挑発をさらりと受け流す。彼女にとっては「いつものこと」なのだろう……内心はともかく、軽く微笑みながら答えている。
「そうですわね。アンネリーゼ様は来る日も来る日も井戸堀りや水路整備ばかりで……泥にまみれて農民と変わらない生活ですものね、仕方ありませんわ」
しかしこの女、姉さんが強く言い返さないことに甘えて、カサにかかって貶してくる。確かに水魔法使いの最も大切な仕事とされるのは、民のために水脈を見つけ、効果的に井戸を掘ったり、農業用水を確保したりすることだ。俺から見たらそれは戦で敵を焼き払うよりも国のためになる建設的な仕事だと思うのだが、貴族の魔法使いから見たら「農民並み」と言いたくなるのだろう。
「そう言えば、卒業後はご領地に帰られるのでしたわね。田舎にはきっとアンネリーゼ様にぴったりの、泥臭いお仕事がたくさんあるのでしょうねえ。私には、とても真似できませんわ」
そこまで令嬢が口にした時、隣に立っていた男が追従した。
「コンスタンツェ嬢、仕方ないではありませんか。戦闘最優と言われる火属性をお持ちの貴女様は、国軍に三顧の礼で迎えられる実力者。ひるがえってあちらの令嬢は残念ながら……軍だけでなく官庁にもこれといった仕事のない水属性、無理をなさらず田舎で静かな生活を送られるのが幸せと言うものでしょう」
おい、あのいけ好かない侯爵令嬢が姉さんをねたんであれこれ言うのはわかるが、何で連れてきた男までその尻馬に乗って姉さんに無礼な言葉を吐くんだ? 見れば四十過ぎのオヤジじゃないか、多分スタッドブックから抜き出してきた種馬なんだろうけど。
「そんなわけで、今日のこの場を終えれば、王都社交会に当分顔を出すことはできない……そう思えば、懸命に装うのも無理なき事でしょうなあ」
分別臭い顔でペラペラ不愉快な言葉を吐き出すこの種馬には、中身六十代の俺もキレた。
「そこのオッサン、自分の子供みたいな娘たちの争いに肩入れして火に油を注ぐって行為は、どうなんだ? まともな大人のすることなのか?」
近くで聞いていた人々のうち幾人かが、ぷっと吹き出す。さすがにこのオヤジのやり方はみっともないと思う人たちが、多いのだろう。
「オッサンだと? 無礼な、私を誰だと思っているのだ。血統協会がAランクに認定した、ヨハネス・ゴルセンであるぞ、スタッドブックに載っていない若造が何を……」
「あんたが何者であろうが、俺が誰であろうが、関係ない。あんたのやっていることが、美しくないって言ってるんだ。種付け相手の歓心を買おうとして、主席卒業の才媛に当てこすりを仕掛けるとは、大した度胸だな」
「き、貴様……」
この種馬男、令嬢にはヘコヘコしていたくせに、相手が男、それも格下とみるや途端に威圧的な態度で臨んでくる……こんな奴にはビビったら負けだ。俺が言い返すと、何だか顔面を真っ赤にして怒りでプルプル震えてやがる。種馬が俺の方に一歩を踏み出そうとした時、綺麗なメゾソプラノが耳を打った。
「さあ、将来有望な首席次席の皆さん、今後の抱負を聞かせてちょうだい」
そこには豪奢な金髪と翡翠の瞳を持つ……女王陛下がお見えになっていた。令嬢たちも、俺も種馬氏も、一斉に敬礼を施した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「そう……領地経営科首席のヨーナスは、ローテンブルク伯爵家に婿入りなのね」
「はい、有難いことに私の経理能力を見込まれ、望んで頂きました。ですが種馬としての能力は平凡のようですので、伯爵家の善き後継者を儲けることに対しては貢献できず……そこは他の種馬殿にお願いするしかないかと」
生真面目に答える十七歳の若者に、女王は少し気遣わし気な視線を向ける。優秀な学生や官僚を当主の婿に迎え、領地や事業の経営を任せる貴族は多いが、その「婿入り」は当主たる女性を独占できることを意味しない。貴族にとって魔法使いとして優秀な後継者を儲けることは神聖な義務であり、種馬としての評価が低い「婿」は、家門を守るために妻の身を優秀な種馬に委ねねばならないことが、ままあるのだ。
「初子でいい娘ができることを祈っているわ」
そう、種馬評価の低い婿でも、一回くらいはチャンスをくれる家が多いのだそうだ。最初に産まれた子が女子で、かつ魔力が標準以上であれば、当主の「唯一の連れ合い」という地位を維持できるのである。成功確率は、必ずしも高くないのだが。
しかしそれは、この国のシステムを考えれば致し方ないことだ。女王陛下は一瞬曇った顔に笑みを戻して、今度はリーゼ姉さんの方を向いた。
「さて、今年の魔法科首席は、英雄ヒルデガルドの娘ね。アンネリーゼ嬢、貴女は領地経営に専念すると聞いているけれど……」
公式の場だからよそ行きの言葉を使っているけれど、母さんと陛下はお年が近いこともあり、さきの戦で背中を守り合った親友だ。だから陛下は姉さんが幼いころから「リーゼちゃん」と呼んで可愛がってくれていて、今回の「田舎へ帰る」という決断を、かなり気にかけて下さっているそうなのだ。
「ええ、陛下。水属性魔法は農業と親和性が高いですから、領民の暮らしに寄り添って参りたいと思っておりますわ」
姉さんもここではきちんと主従の礼を守って答える。陛下は少し眉尻を下げて、我が子に言い聞かせるような口調で語りかける。
「ねえ、アンネリーゼ嬢。領地に帰るのはいつでもできるわ、貴女の類まれな魔力を、国のために活かすことは……」
「陛下! 水魔法使いにそんなものを求めても無駄ですわ!」
食い気味にかぶさった声に、周囲の者たちが一斉に凍り付いた。
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