誕生日だぞ、早那

 蝉の声が聞こえ始めた時頃、何かが欠けたような毎日だった一学期が終わった。

 明日から夏休みに入り周りの生徒が解放感に凱歌を上げている中、俺は一人浮かない気分で教室から昇降口まで歩いてきた。


 今日の日付は七月二十二日。

 奇しくも一学期の最終日と早那の誕生日が重なった。


 早那は十六歳になる瞬間を迎えられず、いま俺がこうして帰路に就いている間も病院のベッドで眠っているのだろう。

 両親も昨夜から誕生日会を催す準備をしていたし、俺もプレゼントを用意していたのだが、渡せないまま早那の誕生日は過ぎてしまうかもしれない。

 心苦しい思いで昇降口を抜けようとしたところで、同じクラスのシューズロッカーから慌ただしい足音が近づいてきた。

 誰なのかは振り返るまでもないのだが、俺はあえて足を止めて振り返ることにした。

 案の定、追いかけてきていたのは恭子だった。

 足を止めた俺に追いつくと、整わない息遣いのまま口を開く。


「急いで支度したのに、はあ、早すぎ、はあ」

「そんなに急いで追いかけてくることないだろ」


 俺の行き先なんてわかってるんだから、とまでは言わなくても理解しているだろう。

 恭子は呼吸を整えてから俺を見る瞳に心配を浮かべる。


「最近、表情が死んでるわよ輝樹」

「……そうかもな」


 確かに、近頃は感情が動いた記憶がない。

 早那が目覚めないことを思うと、何事も面白いとは感じなくなってしまった。


「早那ちゃんが目覚めたら、また前みたいな輝樹に戻るよね?」

「たぶん。自分でも断定的なことは言えないけどな」


 受け答えする俺の顔を恭子が指さす。


「ほら、今も暗い顔してる。これから早那ちゃんに会いに行くんでしょ、そんな顔してたら早那ちゃんに心配されるわよ」

「そうだな」


 何しろ受け答えするので精一杯だ。

 恭子が快活に笑って俺の背中を軽く叩く。


「ほら行こ。早那ちゃんが待ってるよ」


 早那が待っている。

 それだけが今の俺の行動理由だ。

 早那の目覚めを待ち、告白の返事をしたい。

 俺の返事を早那も待っているはずだから。

 早那の顔が見たいばかりに、急く思いで恭子と二人で病院に向かった。



 病院に来て早那の病室に到着すると、俺はすぐさまベッドに近づいて早那の左手をそっと握った。

 早那に話す出来事を頭の中で整理していると、俺の後ろから早那を見ている恭子が俺の肩をつついてきた。

 首だけで振り向くと、恭子は安心したように微笑する。


「早那ちゃん、顔色は悪くないね」

「体調そのものは問題ないらしいからな。ただ意識を戻さないんだ」


 答えると、恭子の目は早那と繋いでいる俺の手に移る。


「こうして輝樹が手を握って語り掛けてること、早那ちゃんは気付いてるのかな?」

「さあな。でも俺は声だけでも聞こえていると思って毎日やってるんだよ」


 俺の行動は全て我がままから生まれたものだ。

 早那と一緒にいたい。

 早那と喋りたい。

 早那と気持ちを通じ合っていたい。

 欲求がどんな影響をもたらしているのか、なんてことは二の次だ。


「もしも聞こえているのなら、早那ちゃんはどういう思いでいるんだろうね」


 そう呟く恭子の視線が早那の穏やかな寝顔に向かう。

 俺だって知らないよ。


「早那が目覚めたら尋ねてみる。俺の声は聞こえてたのかって」

「いろいろ聞くのはいいけど、早那ちゃんを混乱させないようにね」

「わかってるよ」


 早那の姉のように釘を刺してくる恭子に笑い返した。

 会話が一段落したからか、恭子が仕切りのカーテンを開けて外に足を踏み出す。


「飲み物買いに行くんだけど、何か欲しい?」

「いきなりだな」


 急な問いかけの意図がわからず訊き返すと、恭子は自身の喉へ指先を触れる。


「喉渇くだろうと思って、ほら欲しい飲み物言って」


 思えば夏である。

 早那の事で頭が一杯だったから気が付かなかったが喉に渇きを感じる。


「確かに少し喉が渇くな」

「でしょ。何欲しい?」

「水を買ってきてくれ」

「水ね。あたしも何か飲みたかったからついでに買ってくる、じゃね」


 軽く手を振ると、カーテンを閉めて恭子は病室から去っていった。

 お節介な奴だな。

 恭子の行動に苦笑が漏れる。

 おそらく俺に早那と二人きりの時間を作ってくれているんだろうな。恭子がいると話しにくいこともあるからありがたい。


「何から話そうか?」


 ベッドで寝ている早那へ語り掛ける。

 誕生日だからプレゼントの話でもしようかな?

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