やっと起きた、輝樹……


 暗闇の中に光を捉えた。


 その光を追っていくと段々と視界いっぱいに光明は広がり、俺の身体は強烈な光に包まれた。

 光で射られた目をゆっくりと開けると、チカチカとする視界の中に清潔感のある白い天井が見えた。

 しかし夢の中で過ごしたホテルの天井とは違う。

 見覚えのない天井に疑問を覚えていると、微かな消毒液のような匂いを鼻に感じた。


 もしかして病室?


 消毒液の匂いから自分がいる場所の当たりをつけたところで、急に視界の左右から

人影が映り込む。


「輝樹が起きた!」

「輝樹、起きたのか?」

「やっと目覚めたのね、輝樹」


 三者三様の声だったが、全て聞き馴染んでいる声だとすぐに気が付いた。


「恭子に、父さんと母さん」


 自然と慣れ親しんだ呼び名を口にしていた。

 その声が自分の声だと実感すると同時に、視界に映り込む三人が揃って安心したように微笑んだ。

 三人の中で恭子が真っ先に微笑みを皮肉な意味合いのものに変える。


「ずいぶんと長いおねんねだったね、輝樹」


 目覚めたばかりの奴に言うセリフじゃないだろ。

 母と父は潤みかけた目を手の甲で擦った。


「起きてくれてよかったわ」

「きっと目覚めてくれると信じてたぞ」


 感動で胸が詰まったような様子の両親。

 それが常人の反応だと思う。


「恭子、お前は後で懲らしめてやる」

「何よ。起きていきなり!」


 苛立ちを含んで宣告すると、恭子はムキになって睨み返してきた。

 俺と恭子の会話を聞いていた母と父が苦笑を漏らす。


「平常運転ね。思ったより元気そうで何よりだわ」

「母さんの言う通りだ。輝樹には何の問題もなさそうだ」


 確かにどこかが痛いとか苦しいとかはない。

 でも父さんの言い方が気になった。

 輝樹には何の問題もなさそう……

 俺以外には問題があるってことか?


 もしかしたら俺が病室で寝ていたのと関係するのだろうか?

 思考が働き始めると、はっきりとしてきた意識が右手に温もりを感じ取った。

 右手を目で追い温もりの正体を突き止めて愕然とする。


 え、なんで?


 俺の右手は右隣のベッドに繋がっていた。

 そして右隣のベッドには……


「早那」


 夢の中を一緒に過ごした早那が仰向けに眠っていた。

 なんで。なんで早那が隣で寝てるんだ?

 早那の左手が今にも力尽きてしまいそうなか弱い力で俺の右手を包んでいる。


「早那はずっと握ってたわよ」


 息を止めて驚いていると、母が俺の内心の疑問に答えた。


「ずっと、っていつから?」

「輝樹が意識を失ってから今でも」


 今でも、という母の言葉にちくりと胸が痛む。

 俺が目覚めても早那の力の弱い手は離れない。

 まるで必死に引き留めるように。

 俺の方も早那の手を振り解いてはいけない気がしてくる。

 母に目を戻すと、そこには笑みを消した母の顔があった。


「輝樹は覚えてないの。地震のこと?」

「地震?」


 疑問形で返してから脳裏に夢の中で見た夢が思い起こされた。

 早那と深夜のホテルの廊下を歩いている最中に地震に見舞われた悲劇の夢。

 あの悍ましい夢が脳内で再生され、背筋が寒くなる。


「全く心当たりがないわけじゃなさそうね」


 俺の表情の変化から推察したのか母が言った。

 でも、あれは単なる夢だ。

 俺は切実で固い面持ちの母に笑みを向けた。


「さっきまで見てた夢の中で夢を見たんだ。その夢で早那と一緒に地震に遭って、俺はその夢の中で死にかけたんだ。びっくりしたよ」


 笑い話の要領で話したが、母の顔に笑みは戻らない。

 むしろ痛みに堪えるように唇を噛む。


「それは夢じゃないわ」


 は?

 あの地震が夢じゃない?


「母さんの話を聞いたその反応だと、輝樹は何が起きたのか覚えてないみたいだね」


 父が悟った口調を漏らした。

 ちょっと待て、俺の言ってることの方がおかしいのか?

 父と母に言い返そうとしたが、早那の手の温もりを感じて反駁は喉元で留まった。

 俺の見舞われた奇禍が夢ならば、隣で眠っている早那はどう説明する?

 両親の言っていることが嘘なら、早那も俺が目覚めるのを待ってくれていたはずだ。

 でも早那は俺の隣で眠り続けている。


「なあ、早那の身に何があったんだ?」


 不安に突き動かされて、父と母どちらともなく尋ねた。

 父と母はどちらが話すのか決めるように互いに目を合わせて、母の方が俺の方に顔を戻した。


「ねえ輝樹。レジャーホテルに恭子ちゃんも誘って家族旅行に行ったのは覚えてる?」


 母の問いかけに俺は口を開きかけたが、自分の記憶が早那の見せてくれていた夢であったことに気が付いて口を閉じた。

 俺の様子を受けて、母は俺を見る瞳に労わりを内包させる。


「その旅行も夢で見たのかしら?」

「ああ。夢の中で早那が家族旅行だって言ってた」


 答えながら夢の内容が色濃く思い出されていく。

 早那に起こされた朝の目覚め、早那と堪能したバイキング、早那と楽しんだゲームコーナー、早那と一緒に摂った夕食、早那と同じレーンで遊んだボウリング、早那と映画鑑賞をしたシアタールーム……

 早那と過ごした楽しい時間すべてが夢。

 何もかもが現実ではなかった。

 俺の言葉を待つように黙っている母に夢の内容を打ち明ける。


「夢の中で早那とたくさん遊んだんだ。バイキング、ゲームコーナー、夕食、ボウリング、映画鑑賞、全部楽しかった」


 思い出すと口元がにやけそうになる。

 しかし笑いたくても口元は引きつるだけだった。

 俺の夢の話を聞いた母は感じ入ったように目を閉じる。


「輝樹と早那は夢の中でも仲良しだったのね」


 夢について詳しく話を聞きたい、と父が失うことを恐れる声音で催促した。

 だが俺は首を横に振り、夢の話よりも大事なことを父に尋ねる。


「夢の話は後でもいいか。まず現実で何が起きたのか教えてほしい」

「そうか。そうだよな」


 父は納得して頷き、どこから話そうかと考えるような間を置いてから口を動かした。


 旅行の一日目の夜に地震が起きたこと。

 俺と早那が居た自販機のエリアがホテルの中で地震の被害が最も大きかったこと。

 両親と恭子はホテルのスタッフの指示で無事に避難できたこと。

 俺と早那が生きていたのが奇跡であること。


 様々な話を聞き終えると、悔恨が胸に湧き上がってきた。

 俺が夢の中で見た夢こそ現実だった。

 あの地震の悲劇は実際にあったことなんだ。


「俺は早那を守れなかったんだ……」


 内から湧き起こる悔しさを処理できず、ベッドのシーツを空いた方の手で握力の限り鷲掴みにする。


「クソッ、クソッ!」


 俺がもっとしっかりしていれば早那を巻き込まずに済んだのに。

 なんで俺の方が先に目覚めて早那の悲劇は長引いてるんだ。

 自分への怒りで頭に血が上り、シーツを掴んだままベッドを何回も叩きつけていた。

 苛立つ俺の両肩を誰かが強い力で挟んだ。

 はっとして動きを止めて俺の両肩を掴んだ人物へ目を上げると、父が痛ましげに顔を歪めていた。


「早那がこうなったのは輝樹のせいではないだろう。自分を貶めるな」

「……あ?」


 地震は誰のせいでもない。

 けどその瞬間に早那と一緒にいながら守れなかったのは俺だ。

 だから早那がこうなってしまったのは俺の責任だ。


「地震の時に早那を守ることができたのは俺だけだ。俺が悪いんだ」

「予想できないことだもの。仕方がないわよ」


 父の隣で母が慰める口調で言った。

 予想できないことだったとしても、守れなかったことには変わりない。

 家族の優しさが俺の呵責を余計に苛む。


「優しくしないでくれ。責めてくれた方がよっぽど受け入れられる」


 感情に任せて吐き捨てると、父も母も掛ける言葉を失くして黙ってしまった。

 父の手が肩から離れる。

 病室に沈黙が降りた。

 視線を落とすと、ベッドのシーツに俺を中心に放射状の皺が出来ていた。

 ああ、さっき掴んだ時か。


「輝樹」


 今まで静観していた恭子の声が唐突に沈黙を破った。

 恭子の方へ目を向けると、恭子は両親の間に割り込んでベッドの傍まで歩み寄ってくる。

 真っすぐに俺を見据える恭子の眼差しはいつになく落ち着いていた。

自分の知る印象との食い違いに胸がざわつく。


「なんだよ恭子?」


 沈黙を嫌って促すと、恭子が微笑んで口を開く。


「輝樹は自分を責めてるけど、あたしは十分に頑張ったと思うよ」


 恭子まで俺に優しくするのか。


「頑張った結果がこれだぞ。早那は目覚めないままじゃないか」


 言い返しながら左手を包む早那の温もりに胸が痛む。

 俺が不甲斐ないばかりに早那は意識を失ってしまい、今も眠り続けている。

 いつ訪れるかわからない目覚めの時まで、一人寂しく暗闇の中を彷徨い続けているのかもしれない。

 代われるのなら今すぐにでも代わってやりたい。

 早那の事を考えれば考えるほど、持て余すほどの悔恨が身体の奥から滲み出てくる。

 悔やみきれない思いでいると、俺を見る恭子の眉間が不愉快そうに狭まる。


「何言ってんの?」

「何って、俺がちゃんとしていれば早那は……」

「輝樹は今の状況が最悪とでも思ってんの?」


 俺の言葉を遮って恭子は問い掛けてきた。

 は?


「……お前は俺にどう答えて欲しいんだ?」


 恭子の求めている返答がわからず聞き返していた。

 地震の被害に巻き込まれ、早那は意識を失ったままで。

 こんな胸糞悪い状況にしてしまったのは俺の不甲斐なさのせいじゃないか。

 恭子の眉間がさらに狭まる。


「早那ちゃんは誰のおかげで生きていると思ってるの?」


 誰のおかげ、って、そんなもの――


「俺と早那が生きてるのは奇跡なんだろ。なら奇跡のおかげだ」


 父からの話を思い出しながら答えると、恭子は狭めていた眉間を緩めて小さく首を横に振った。


「違う。奇跡が起きたのは輝樹のおかげなんだよ。だから早那ちゃんが生きているのは輝樹のおかげ」

「俺が奇跡を起こしたとでも言うのか?」


 奇跡を起こせる力なんて俺にはない。

 もしも力を持っていたのなら早那を悲劇に巻き込みはしない。


「あたし、輝樹と早那が倒れていた現場を知って思ったんだ。これは輝樹が起こした奇跡なんだって」

「俺に奇跡を起こす力があるわけないだろ」

「別にあたし、輝樹に力があるなんて言ってないよ」


 珍しく回りくどい言い方をする。

 恭子は何が言いたいのだろうか?


「早那ちゃん一人だったら、早那ちゃんは助からなかったと思うよ」

「そんなことはないだろ。だって……」

「あるよ」


 奇跡だから、と続けようとしたが、恭子の断定に言葉を呑み込まざるを得なくなった。

 言葉に詰まる俺を見ながら恭子が口元を緩める。


「言っちゃ悪いけど早那ちゃんは鈍臭いからね。地震なんて起きたら怖くなって身動きすら取れなかったはずよ」

「……俺がいなかったらどうなってたんだ?」


 聞かずとも恭子の伝えたいことがわかってきた。

 俺がいなければ早那は死んでいた、というのだろう。


「ここまで言えば理解できるでしょ?」

「ああ」


 悔しいが、恭子の考えに頷いた。

 頷いた俺を見て恭子は明るい笑みを浮かべる。


「わかったならもっと顔を上げなさい」


 言われた通り俯き加減だった顔をさらに上げた。

 恭子は仕方ないとばかりに笑う。


「輝樹のおかげで早那ちゃんは助かりました。さて、輝樹がこれからすべきことは何かわかるかな?」

「……早那が目覚めるのを願うこと」


 頭の中で早那の笑顔とともに思い付いた答えを告げると、恭子は笑みとともに親指と人差し指をくっ付けた手を顔の横に掲げた。


「おおむね正解」

「大正解ではないのか」

「一度起こせた奇跡ならおかわりもいけるよ」


 奇跡のおかわり、って贅沢だな。

 恭子の言葉を受けて父と母も同意するように微笑んだ。


「そうかもしれないね。恭子ちゃんの言う通りだ」

「奇跡を起こす側に今度は私たちも参加するわ」


 両親も奇跡を起こせると信じているようだ。

 確かに、自分を責めるよりも奇跡を信じる方がよっぽど早那が喜びそうだ。


「ありがとう。父さん母さん、それと恭子」


 思わず三人への感謝が口をついて出た。

 恭子が苦笑する。


「とはいえ、一番早那ちゃんへの思いが強いのは輝樹だけどね」

「なんでだ?」


 特別視される理由がわからず尋ねる。

 父も母も恭子の意見に賛成するように笑顔で頷く。

 恭子は俺の右手を指差した。


「手を繋いでる二人の邪魔は出来ないからね」

「ああ、これか」


 言われてみれば眠った状態でも手を繋ぐなんて絆がないと出来ないよな。

 早那の温もりが俺の手を包んでいる。

 楽しく幸せな夢を見せてくれた早那。

 しかし俺は早那が引き留めるのを拒んで現実に戻ってきた――

 だから次は俺が早那に幸せを見せる番だ。

 早那の温もりから右手を抜く。


 これでいいかな?


 今度は反対に俺が早那の手を包んであげた。






※次回から別作品の投稿もスタートさせるため隔日更新になります。突然の事ですがご了承ください。代わりといってはなんですが、新作も楽しんでいただければ幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る