膝枕してあげるよ、お兄ちゃん?
夕方までシアタールームで過ごし、夕食は恭子と落ち合って三人で食事を摂った。その後はそれぞれの部屋で寛ぐことになった。
温泉で沐浴も済ました俺は、暇を持て余して部屋のベッドに座ってテレビの電源を点けてみた。
面白い番組でやっていれば時間つぶしになるだろうと思ったが、生憎テレビ画面は暗いままで何も映らない。
時間潰しにすらなりもしない。
何も放送しないテレビの電源を落としてからベッドに腕枕で寝転がった。
寝転がった途端に明るい色調の天井が目に入ってくる。
同時に天井の白さへ映し出すように、頭の隅に置かれていた色々な違和感が蘇ってきた。
小便器のない男性用トイレ、既知の映画しか流さないシアタールーム、早那が好きなお菓子し置かれていない売店。
疑問点を挙げればキリがない。
それらを違和感だと認識できた理由を考えようとして、周囲が静音のせいか今まで踏み込まなかった領域にまで思考が至る。
俺は他の事柄には何も違和感を覚えなかったのか?
そこまで考えが浮かんでから続いて噛み合わない恭子との会話、全く姿を現さない両親、見当たらない俺たち以外の客、など疑問が引っ切り無しに思い出される。
疑問はたくさんあるが、どれも答えが出そうにないな。
――――――
――――
――違和感の答えがわからない。
思考を巡らせながらベッドで寝転がっていると、部屋のドアが外からノックされた。
「お兄ちゃん。入っていい?」
「ああ。いいぞ」
部屋のドアが開き早那が入ってくる。
頭だけもたげて早那に目を遣ると、早那は風呂上がりで湿り気を感じさせる髪の毛をタオルで撫でながらベッドの上の俺を見ていた。
俺の顔を見て感じ取るものがあったのか、案じる表情になる。
「お兄ちゃん、何か考えごと?」
「まあな。大したことじゃないけど」
「本当に大したことじゃない?」
「なんだ疑ってるのか?」
軽口っぽく聞き返すも早那は笑顔を見せない。
これは本当に心配されている。
「私が入って来た時、お兄ちゃん浮かない顔してた。私でいいなら話ぐらい聞くよ?」
心の底から気に掛けている口調で言う。
相談するのは良いのだが、現実離れしている話だからな。
「話を聞いても信じられないかもしれないぞ?」
「そんなの話してくれないとわかんないよ」
「そう言われたらその通りなんだが」
渋る俺を安心させるように早那が微笑む。
「お兄ちゃんの役に立ちたいから、話してよ」
役に立ちたい、か。
頑固に黙秘を通すほどの内容でもないかな?
早那の飾らない笑みを前に隔意が解けるような気持になる。
「そこまで言うなら聞いてもらおうかな」
相談することを決めると、早那が嬉々とした笑顔を浮かべた。
早那は俺を見つめたまま静かにベッドに腰掛けて聴聞の姿勢を取る。
頭の中で思考を整理し、上体を起こしてから俺は切り出す。
「最近、おかしなことが多すぎるんだ」
「おかしなこと?」
オウム返しに言って話の続きを俺に促す。
恭子に相談しても妄想呼ばわりされそうな話なんだよな。
「俺と早那と恭子以外の客が見当たらなかったり、男性トイレにあるべきものがなかったり、放映される映画が全て見たことある作品だったり、売店の品揃えが早那好みに偏っていたり、とにかく現実感のない状況に囲まれてる気がするんだ」
気掛かりになっている事象を聞かせている間、早那は口を挟まずに相槌だけを返してくれた。
話し終えると、何か心当たりがあるかのように満面に笑みを広げて口を開ける。
「お兄ちゃんって変なところに関心を持つんだね」
「そうは言うが、あきらかに普通じゃないだろ」
否定された気分で俺はムキになって言い返す。
それでも早那は笑みを崩さない。
「疲れてるんだよお兄ちゃん。私がいろいろ付き合わせちゃったからかな」
疲れてる?
諸々の違和感を疲労で片づけられるほど俺は能天気ではない。
反論を口にしようとしたが、それよりも先に早那が穏やかな雰囲気で言葉を続ける。
「お兄ちゃんが疑問に思ったことは全部あり得る話だよ。そういう偶然だってあるよ」
「……偶然か」
「納得できないって顔してる。お兄ちゃんは難しく考えすぎ」
「そうか。考えすぎか」
早那に相談しても暖簾に腕押しという感じがした。
答えを引き出すことを諦めて早那に同調する。
違和感を払拭してくれる返答を早那には期待できない。
俺の話が終わったとみてか、早那は笑み混じりに唇を尖らせる。
「もう深刻な話しないでよ。せっかくの旅行が楽しくなくなっちゃう」
「そうだな。旅行は楽しくあるべきだもんな」
口では同調しているが懊悩が顔に出ているのか、早那は再び心配そうな目で俺を見る。
「お兄ちゃん。まだ浮かない顔してる」
「そ、そうか?」
案じる目で俺を見つめていた早那だったが、急に何かを思いついたように表情に喜色を浮かべた。
「お兄ちゃんが疲れてるなら、私が何かしてあげようか?」
「何かって?」
「膝枕とか。気持ちいいよ」
言ってからはにかんで頬を少し赤くする。
膝枕?
早那が俺に?
「なんで妹に膝枕させなきゃいけないんだ。兄としての立場がなくなる」
「恥ずかしがらなくてもいいよ。膝枕ぐらいで私の中でのお兄ちゃんの地位は揺るがないから」
「妹に膝枕させる兄なんて普通いないぞ。お願いだから普通の兄でいさせてくれ」
歎願すると、早那はとろけるように顔の筋肉を緩めた。
こんな顔も出来るのか。
「私は普通以上がいいな。お兄ちゃんともっと仲良くなりたい」
「もっとって。今でも充分だろ?」
「それに私はお兄ちゃんの膝枕大好きだったから、たまには私の方がお兄ちゃんにしてあげたいな?」
ぐっ。
だいぶ昔の話を持ち出したものだ。
俺が中学に上がる前ぐらいまでは、早那に求められるままに膝枕をしてあげていた。
思春期になり血の繋がらない妹との接し方を考え改めてからは、膝枕はカップル同士がやるものだとして恥ずかしくなりやめたのを覚えている。
俺の心中など気が付いていないであろう早那は、ベッドに脚を上げて正座の姿勢になる。
「どう? 膝枕してあげようか?」
「……断る」
早那の華奢だが柔らかそうな太ももを見ないようにして拒絶した。
えー、と早那はわかりやすく気を落とす。
「寝るなら膝枕よりもベッドの方が落ち着くからな。というわけで俺はもう寝る」
別に就寝する気などなかったが、早那を諦めさせる算段で口実を作った。
早那が縋るような目を向けてくる。
「お兄ちゃん、もう寝ちゃうの?」
「遊び疲れた。明日も遊ぶなら英気を養っておかないと」
遠回しに床に就く意思を告げると、早那は若干残念さを滲ませた微笑を返してきた。
「まだ起きてられるけど、お兄ちゃんが寝るなら私も寝ようかな?」
「俺が寝るからって早那まで寝ないといけないわけじゃないだろ」
「だってお兄ちゃんが起きてないとトランプもお喋りも出来ないから」
「トランプやりたいのか?」
「トランプをしたいわけじゃなくてお兄ちゃんと遊びたいの。でもお兄ちゃんが寝るなら邪魔しちゃいけないよね」
「なんか、悪いな」
聞き分けが良すぎて申し訳ない気持ちを抱いてしまう。
よいしょ、と可愛い声で言いながら早那はベッドから降りて俺に振り向く。
「それじゃ私も部屋に戻って寝るね」
「ああ、おやすみ」
「おやすみお兄ちゃん」
笑顔で就寝の挨拶を交わして部屋を出ていった。
早那が泊っている隣部屋のドアの開閉する音が、俺の部屋のドアが閉まる間際に聞こえてくる。
ドアが完全に閉まってからベッドに上体を投げ出した。
仰向けでいると自然と眠気が瞼を重くしていく。
いつもより早い時間だが、まどろみに任せて瞼を閉じる。
この時間から就寝すれば、明日早那に起こされる前に目覚められるかも。
早那より早く起きて、部屋の前で早那を驚かすのも面白いんじゃないか?
そんなくだらない悪戯心を抱きながらも、日中に感じた不可解が忘れられないまま俺は眠りに落ちた。
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