投げ方教えて、お兄ちゃん

 バイキングで朝食を済ました後は、早那に誘われてホテルに隣接したアクティビティ施設のボウリングエリアを訪れた。

 昨日と同様に早那に誘われた恭子が、俺の隣で俺たち以外に客のいないボウリングエリアを興味津々に見回している。


「意外としっかりしたボウリングエリアだね」

「失礼な言い方はやめろ」


 遊びに来ていきなり失礼発言をする恭子を諫める。

 恭子は俺の言葉などには耳を貸さず、手を庇のように額に当てて爪先で伸びるように最奥のレーンを覗く。


「いろんなエリアの中の一つだから規模が小さいのかな、って思ってたけどそうでもないみたいだね」

「さすがに商業施設の一般的な広さはあるに決まってるだろ。どれぐらいの規模を想像してたんだ?」

「レーン一つ」


 あっけらかんと人差し指を立てて答えた。

 成金の邸宅に作られた個人用ボウリング場じゃないんだぞ。

 心の中で突っ込んでいると、恭子は俺の心中など露知らず軽い足取りでボールを取りに向かった。


「お兄ちゃん」


 恭子がいなくなり早那がタイミングを計ったように話しかけてきた。

 振り向くと、早那は両手で紫のボールを抱えていた。


「どうした早那?」

「今回は少し重いボールにしてもいいかな?」


 恭子よりも軽いレンタルボールを手にして早那は訊いてくる。

 あれ?

 今回は、ってことは早那とボウリングをしたことがあるのか?

 でも一緒にボウリングをした覚えはないから、早那がどれぐらいの重さを使っていたのかなんて知らないぞ。

 知らない、と正直に答えることもできたが、せっかく頼りにして聞いてくれている以上は答えてあげたい。


「ええと、前回はどの重さのボールを使ったんだ?」

「……あー」


 俺が問い返すと、早那はポカンと俺の顔を見たまま言葉に窮した。

 変なこと聞いちゃったかな?

 心配になる俺をよそに、早那ははにかむような笑みを返してきた。


「勘違いしてた。お兄ちゃんとは一回もボウリング来たことなかった」


 どうやら早那の方が記憶違いをしていたらしい。

 俺が忘れていたわけじゃないとわかり、ほっとする。


「やっぱりか。早那がどの重さを使ってるとか知らないのにどうして聞くんだろうって不思議に思ったよ」

「友達とやった時と混同しちゃった。ごめんねお兄ちゃん」


 早那の素直に謝れるところは本当に尊敬できる。


「謝らなくてもいいよ。それで早那はどの重さを使うんだ?」

「九ポンド。前は八ポンド使ってた」

「早那は力がある方じゃないからそんなものだろうね」

「恭子さんはどれぐらいの重さ使ってるの?」

「俺と同じ重さ。早那には重いかもな」


 スコアで俺が負けた時に言い訳させないようにという理由で恭子は俺と同じ重さを使いたがる。

 俺としては競争してるつもりはないんだがな。

 早那は自身の選んだボールを見つめ、決心したように力強く頷く。


「私もお兄ちゃんと同じ重さを使ってみる」


 そう告げて俺に笑い掛けてきた。

 しかし俺は心を鬼にして厳しい目つきを返す。


「やめとけ、怪我するぞ」

「そうなの?」


 俺の注意に早那は実感に乏しい顔で目を見開いた。

 早那には怪我をして欲しくないからな。


「力に適していない重さを使うと手首や腕の腱を痛めるぞ。だからやめた方がいい」

「でも恭子さんは使ってるよ?」


 同じ女子である恭子が使っているのなら、という理屈なのだろうが聞き分けのいい早那だから注意しているんだ。


「あいつは早那よりか力があるし、それに俺が言っても聞かないからな」


 諦めの口調で言い返すと、早那は予想に反して喜色を浮かべる。


「お兄ちゃん、もしかして私が怪我しないように心配してくれてるの?」

「……そりゃ怪我して欲しくないよ」


 心配してくれているのか、といざ聞かれると気恥ずかしくなってしまう。

 そうなんだ、と早那は嬉しさの混じった声で呟き、自身の持つ八ポンドのボールに目を落とす。


「お兄ちゃんが言うならこれにしとこ」

「そうした方がいいぞ」

「それじゃお兄ちゃん。先に行ってるね」


 使用ボールが決まると早那は恭子のいるレーンに向かった。

 俺もさっさとボールを決めるか。

 輝樹早く、と恭子がゲームを始めたくてたまらない様子で手招きしている。


「今行く」


 そう返して、恭子と同じ重さの自分としては少し軽い感じのするボールを持って恭子と早那の待つレーンまで移動する。

 ゲームを始める準備ができると、恭子がボールを担いでソファから立ち上がった。

 投げる順番は、恭子、早那、俺の順だ。


「それじゃ一投目、行ってくるね」

「おう」

「恭子さん頑張ってください」


 俺と恭子が送り出すと、恭子は不敵に笑いながらレーンの前に立った。

 ボールを片腕に掴んでもう一方の手を添える。

 一歩足を踏み出したと思うと、適度な助走をつけてプロ顔負けのフォームでボールを転がした。

 恭子の投げたボールは真っすぐに転がり、センターピンの少し左をとらえて見事ストライクを決めた。

 おー、という早那の感嘆の声。

 恭子は見るからに上機嫌な足取りでソファまで戻ってくると、早那に親指を立てた拳を向ける。


「幸先良いね。ストライク」

「さすがだな。恭子」


 嫌味なしで俺は褒めた。

 恭子は俺なんかじゃ相手にならないほどの腕前だ。


「恭子さん、すごいです」


 早那も手放しに恭子に賛辞を送る。

 恭子が俺のほめた時よりも嬉しそうに表情を緩めた。


「へへっ、早那ちゃんに褒められると照れちゃうなぁ」

「俺も褒めてるぞ」

「輝樹は他の人も同じ感じで褒めてそうだからあんまり嬉しさを感じなくなったね。慣れって怖いね」


 そんなこと言うなら、もう恭子を褒めるのはやめよう。

 俺の心中など知らず恭子はソファに座りながら早那の背中を押す。


「さぁ、次は早那ちゃんの番だよ」

「はい。行ってきます」


 早那は緊張した面持ちでソファを離れ、レーンの前まで移動した。

 慣れない様子でボールの穴に指を入れると、助走をつけずに縮こまった投げ方でボールを転がした。

ボールはあまりスピードに乗らないまま七番ピンだけを倒してピットに落ちていく。

 ボールの行方を見届けた早那がしょんぼりとしてソファまで戻ってくる。


「全然ダメだった」

「もう一回投げられるから落ち込むことないよ、早那ちゃん」


 気を落とす早那を恭子が持ち前の明るさで励ます。


「恭子の言う通りだ。次で九本倒せばいい」


 俺が恭子に倣って励ますと、早那は不服そうに細めた目で俺を見据えた。


「口では簡単に言えるけど、実際そんな上手くいかないよ」

「そうだけど。でもストライク全てじゃないし。一本でも多く倒せばその分スコアは良くなるから、な?」


 なんとかして元気を取り戻させようと話す。

 恭子が得意げな笑みで自身の顔を指さした。


「早那ちゃん、あたしが代わりに投げてあげようか?」

「やめろ恭子。ルール違反だぞ」


 俺はすかさず恭子を諫めた。

 冗談冗談、と恭子は苦笑する。


「さすがに早那ちゃんの分まで投げないって」

「自分がストライクで余裕なのかもしれないがな。早那の分をお前が投げたら早那が楽しくなくなるだろ」

「こればかりは代わりに、ってわけにはいかないものね」


 諦めた口調で言うと早那に近づき、身振りと口頭で投げ方を教え始めた。

 早那は頷き返しながら恭子の指導に耳を傾け、恭子の動きを真似している。


「最後にもう一回、教えるね」

「はい」


 二投目の前に再度の確認を行うようだ。

 恭子は右手にボールを持っている仮定で滔々と話す。


「こう助走して、ここで、こうなって、ここだと思ったところで、こうボールを離すの。そうすると狙ったところにボールが転がってくの」


 抽象的でわかりにくい説明で最終確認をする。

 最後まで恭子の指導を聞いた早那が首を傾げた。


「よくわかんないです」

「あれ、分かりにくかったかな?」

「なんとなくはわかりましたけど、途中から訳がわからなくなりました」


 途中まででも理解できたのは凄いと思うぞ。

 クレーンゲームの時でもそうだったが恭子は感覚派だ。

 どこがわからないんだろう、と真剣に考え始めた恭子を見かねたのか、早那は俺に救いの目を送ってきた。


「恭子さんはレベルが高すぎるからお兄ちゃんが教えて」

「教えられるほどの腕じゃないが、それでもいいか?」

「それでもいいよ」


 早那が承知したので俺はソファから立ち上がって早那に歩み寄った。

 早那の運動神経を鑑みながら知り得る限りのコツや投げ方を教える。

 俺の指導を聞いた早那は満足したような笑顔を見せた。


「ありがとうお兄ちゃん。少しは良くなりそう」

「俺もそんなに詳しいわけじゃないからな。上手くいかなくても恨むなよ」

「私はもとがひどいから心配ないよ」


 そう言うと嬉々としてボールを抱えてレーン前に向かった。

 恭子よりかぎこちないフォームでボールを転がし、結果五本だけ倒す。

 残念そうに肩を落として早那がソファまで帰ってきた。


「やっぱり、私下手くそだ」

「恭子が上手すぎるだけだ。気にすることない」


 本心で告げると、早那は上目遣いに俺の顔を伺う。


「お兄ちゃんはどれぐらい倒せるの?」

「平均で八から九本。ごめん早那」


 正直に答えてから、なんで嘘をついて少ない数字を言えないんだろう、と自分の配慮のなさを嘆きたくなる。

 そんな俺の慨嘆を吹き飛ばすように、恭子が口に手を当ててせせら笑っていた。


「女の子のあたしに負けるなんて、輝樹情けないね」

「お前は女子力で早那に負けてるだろ」


 とんかつ二枚平らげてご飯まで大盛にしようとしていた奴は、無論女子力で早那に負けていると思う。

 失礼な理屈で言い返した直後、早那が俺の腕を軽く叩いた。

 早那の方に目を戻すと、早那の目には咎めの色が浮かんでいた。


「そんな言い方はよくないお兄ちゃん」

「……そうだな」


 早那に叱られた。

 妹の咎めを受ける俺を見ていた恭子が頬を緩めた。


「やっぱり早那ちゃんは優しいねぇ。兄妹でも輝樹とは大違い」


 同じ女の子に庇われてる自分を改めろ恭子。

 口には出さないが内心でそう思った。

 早那がソファに腰を下ろすと、恭子は俺に向かって手を誘導灯のように振った。


「次は輝樹。早く行って終わらせて」


 自分の番が早く回って来て欲しいのだろう、俺をレーンへと急かす。

 ストライクで恭子の高い鼻を折ってやる。

 そう意気込みながらレーン前まで行き、手を抜かずにボールを転がしたが、結果はスペアで終わった。

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