第9話 記憶を失った男⑨

 先の見えぬ暗闇の中を突き進むこと30分……3人は鉱山から脱し、太陽が照らす光の世界へと出ることができた。

そこはツキミがアネモネと遭遇した海岸……。

青く澄み渡った美しい海……長時間、暗闇の中にいたツキミとフィナには眩しすぎるほどきらびやかに映っていた。

幻想的な景色で心を奪われそうになるのも束の間……潮風に乗って漂うわずかな鉄の臭いが終わりの見えない地獄にいる現状に2人を引き戻す。


「はぁ……しんど……」


いの一番にツキミが背負っていたサクラを乱暴に下ろし、鉱山の岩肌を背に腰を下ろした。

アネモネとの戦闘やサクラの運搬で疲れ切ったような風貌ではあるが……実際は約70%ほど余力を残している。

それにも関わらず、体たらくな姿勢を崩さないのは彼の怠惰な性格によるもの……。


「ぼやく余裕があるのなら船の燃料でも探しに行ってくれる?」


「チッ!」


 ツキミの性格を知った上で吐かれたフィナの冷淡な言葉……嫌味ったらしいと言わんばかりに舌を鳴らすも……しぶしぶ立ち上がるツキミ。

だが彼が視線を向けるたのは……たった今出てきた鉱山へ続く洞窟であった。


「忘れ物を思い出した……サッと取りに行って戻る」


「へぇ……なんでもかんでも面倒がるあなたが足を運ぶほどの忘れ物なんて……興味深いわね」


「ほっとけ……」


 単調な会話の中でフィナはツキミが”鉱山内に取り残されたストレチアとビリアを救出に向かおうとしている”ことを察していた。

冷たい言葉で突き放したものの……ツキミなりに身を案じているのだ。


「……」


 暗闇の中へと再び突き進んでいくツキミの背中をフィナは黙って見送る。

その目には心配や不安といった曇った気持ちは微塵もなかった。


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【鉱山内(30分前)】


「ちくしょう!! あのクズ共……僕を置き去りにしやがって……心ってもんがないのかよ!! 

お前らこそ化け物に食われちまえ!! 死ね!クズ共!!」


 鉱山内に取り残されたストレチアは狂ったようにツキミ達を罵倒する言葉を吐き続けていた。

自らが犯した非道を忘れ……ツキミ達が通っていった道に向かって恨みと憎しみを込めた石を投げるその姿はあまりに空しく哀れなものであった。


「可哀そうな人ね……」


「!! びっビリア……」


 魂が抜け落ちたような虚ろな目で見下ろすビリアの姿を視界に捉えた瞬間、ストレチアは恐怖で忘れていた彼女の存在をようやく思い出すことができた。


「罪もないアネモネの命を身勝手な理由で奪って……何も知らない私に言い寄って結婚しておいて……挙句に自分を助けてくれた恩人をクズ呼ばわり……本当に可哀そうな人……」


 今のビリアには周囲の状況や死への恐怖は微塵もなかった。

両親や義両親を屍に喰われた悲しみ……アネモネを再び失ってしまった喪失感……何も知らずにストレチアを夫として支えてきた自分の愚かしさ……そのすべてがビリアの心を無にしている。

腹の中の命の鼓動……陣痛すらも彼女の心には届いていなかった。

つい先まで煮えたぎっていたストレチアへの憎しみすらも彼女の胸の中で冷え切っている。

アネモネの死で傷ついていたビリアの心……度重なった不幸が、脆くなったその心を粉々に砕いてしまったのだ。


「びっビリア! 助けてくれ! 2人でここを出よう!」


「あの台風の日も……アネモネにそう言って助けてもらったんでしょう? それなのにあなたは……」


「今はそんなことどうでもいいだろう!? 早くここから出て島から脱出しないと……またあの化け物共が……」


「そうね……今となっては全て過ぎ去った過去……どうでもいいわ。 

そして、これからの未来も……私には必要ない」


 そう言ってビリアはストレチアが腰に差していた護身用のナイフを引き抜いた。


「びっビリア……なっ何をするつもりだ!? 馬鹿なことはやめろ! 僕達は夫婦だろう!? 今まで幸せに暮らしてきた大切な家族だろう!?」


 ナイフを手にしたビリアに復讐という2文字が頭に浮かび上がったストレチア……。

説得しようと言葉を探すも……薄っぺらい言葉しか口にできないでいた。


「誤解しないで……あなたを殺す気はないわ。 あなたにはそんな価値もない……でもこのまま生きていく価値もないわ。 そして私も……」


 ビリアはナイフを逆手に持ち……その刃先を自分の胸に向けた。


「(私は寂しさから逃げ出したいがために……ストレチアを受け入れ、アネモネを裏切ってしまった。

知らなかった……なんて理由にならない。 私にも……罪はある)」


 「びり……」


 ザシュ!!


 それは瞬く間に起きた……ビリアは一切ためらうことなく、自分の胸にナイフを突き刺し……自らを裁いた。

あるいは死ぬことで、耐えきれない絶望からの救いを求めていたのやもしれない。


「(もう……疲れた……)」


 突き刺さったナイフの刃先から伝った真っ赤な血がポタポタと地面へと流れ落ちていき……ビリアは糸が切れた人形のようにその場で倒れた。

死に直結する傷を負ったにも関わらず、ビリアの顔は苦痛から解放されたかのように穏やかな物であった。


「アネモネ……ごめん……なさ……い」


 事実を知らずに生きていたこと……復讐を遂げさせてあげられなかったこと……何より、アネモネの苦しみを理解できなかったこと……。

後悔……罪悪感……アネモネに対するすべての気持ちがこの言葉に込められていた。


「(アネモネ……もしも許してくれるのなら……もう1度……あな……た……と……)」


 アネモネが最後に願ったビリアの幸せは、ビリア本人がその命と共に捨て去ってしまった。

あまりに空しい……あまりにあっけない最期に、彼女の旅立ちを見届けたストレチアは不思議と悲しみや喪失感はそれほど感じなかった。


「……は? なんだよこれ……おいビリア!」


 倒れたビリアにどれだけ呼び掛けようと、どれだけ大きく揺さぶろうと……彼女は反応を示すことはなかった。


「起きろ!おい! 目を開けろよ!……なっ何考えてんだよ!! ふっふざけるなっ!!」


バチンッ!!


 小さくおどおどした声音から一転し……死んだビリアの頬を殴りつけるストレチア。

死を待つしかない現実を受け止めることを拒みたい……闇の中で孤独にいる恐怖心から逃げ出したい……そんな思いが、ビリアを攻撃するという暴挙に走らせる……世にいう八つ当たりである。


「何勝手に死んでんだよ!クソ女! 状況わかってんのか!?

お前が死んだら僕もここで死ぬことになるんだぞ!?

あんなくだらないことで……頭おかしいのかよ!!」


 死への恐怖に支配されているストレチアの中では愛する妻が目の前で死んだ悲しみよりも、ぬか喜びさせた怒りの方が勝っている。

もはや夫としての義も愛もない……ただ本能的に生へ執着するだけの人間……それが今のストレチアである。

意味がない暴力だとわかっていながらも……ストレチアは数分もの間……愛していたビリアの顔を殴り続けた。


※※※


「クソッ! クソッ!!……!!」


 ビリアを殴り続けていたストレチアの手が突如として止まった。


『あぁぁぁぁ』


 不気味な声と共に、闇の中から姿を現したのは……新鮮な肉を求めてやってきた屍達だった。


「くくく……来るな!! 来るなぁぁぁ!!」


 まっすぐに向かってくる屍達に臆したストレリアが再びハイハイの要領でその場からの逃走を試みる。

恐怖が痛みを凌駕したのか……痛覚を失ってしまったのか……ストレチアは切断された足を気にも留めず、

両手両膝を用いたことで、先ほどよりも速度は上がっていた……が。


『あぁぁぁぁ……』


「そっそんな……嘘だろ……」


 四方八方を屍に阻まれた今となっては取るに足らないこと……もはやストレチアはハイエナに群がられたシマウマと同等の存在……。


「もうダメだ……せっせめて……せめて喰われるのだけは……」


 とうとう生きることを諦めたストレチア……生きたまま屍に捕食されることだけでも避けようと、ビリアに奪われたナイフを回収しようとするも……。


 グチャ……グチャ……。


 ビリアの死体はすでに屍達に囲まれてわずかに熱が残った肉を食い散らかされており、ナイフの回収は不可能であった。

 

「ちっちくしょう!」


 最後の手段として舌を噛むストレチアであったが、わずかに残る死への恐怖心からか……異様な生存本能故か……舌をうまく噛み切ることができず、死ぬことができなかった。


「らんへ(なんで)……らんへ死ねらいんらよ(なんで死ねないんだよ)!!」


 どんなに舌を噛んでも口から血が流れるだけに留まる始末……そしてとうとう、その時がやってきてしまった。


『あぁぁぁ!!』


「放せ!やめろ!! いやだぁぁぁ!!」


 唾液にまみれた無数の鋭い牙がストレチアの肉を喰いちぎっていき……聞くに堪えないそしゃく音と共に大量の血が周囲を真っ赤に染め上げていく……まさに地獄絵図である。


「いだいいだいいだいぃぃぃ!! やめろぉぉぉ!!」 


 生きたまま喰われるというこの世で最も惨たらしいと言っても過言ではない最期……。

客観的な目で見れば悲劇的な死としか言えないが……最期を迎えている人間が非道であることを踏まえると見方は少し変わる……因果応報と。


「あぶえにとあんあちおあぁぁぁ!!」


 訳の分からない叫びと共に……ストレチアの命は尽きた。

彼の死を見届けた者もいなければ、その死に涙する者もいない。

誰もいない闇の中で彼は誰の記憶にも残らず、ひっそりと孤独に人生の幕を下ろしたのだった。



--------------------------------------


「……」


 再び鉱山に入り、元の場所へと舞い戻ったツキミの目に飛び込んできたのは血まみれのストレチアとビリア……それに群がる屍達だった。

医者でないツキミでも2人にもう息はないことは遠目で見ても明らかだった。

残念な結果だが、こういう結果もありうると思慮していたツキミに精神的ショックはなかった。


『あぁぁぁ……』


「……」


 命を失ったビリアの体は肌がどんどん腐敗していき……ついに屍と化して活動を再開した。

今のビリアは他の屍同様……新鮮な肉を求めてさまよう亡者の1人。

目の前にいるツキミを獲物として捉え、その肉を食い尽くそうと近づいていく……。


「……」


 ツキミの視線はビリアの胸に刺さったままのナイフに向けられていた。

自殺に使ったナイフであることは誰の目にも明らかであるが……それが屍に追い詰められた末のものではなく、過去を悔いての自殺であることもツキミは察していた。

派手に食い散らかされたストレチアとは違い、ビリアにはさほど噛まれた跡はない……それは屍に喰われる前にすでにビリアが命を絶っていたことを示す。

というのも……屍は死んでから5分以上過ぎた人間の肉は捕食しない習性がある。

5分を過ぎた人間の肉は、彼らの視点からすれば鮮度が落ちた腐敗物と見なされる。

鮮度が落ちてしまえば、傷1つない肉体であったとしても……屍達は一切興味を示さない。

事実……ストレチアが死んで5分経った今、彼を取り囲んでいた屍達は一斉に離れていき……そばにいるツキミを捕食対象として捉えた。


「それが……お前の答えか?」


『あぁぁぁぁ……』


 変わり果てたビリアを半眼でにらむツキミ……だが、その瞳はどこか悲し気にうつろいでいた。

口を大きく開け、ツキミの肉に喰らいつきたいと示すように鋭い歯を見せつけてくるビリア。

ツキミは表情を一切変えることなく、その場から動こうとはしなかった。


ブチッ!!


 ビリアがツキミの間合いに入った瞬間……彼女のこめかみにツキミの上段回し蹴りがヒット。

瞬く間にビリアの首は胴体から離れ……胴体は噴水のような血しぶきを上げながらその場で膝をつき、首はサッカーボールのように飛んでいき……岩の壁にたたきつけられた瞬間に細かな肉片となって散った。


『あぁぁぁぁ……』


 ビリアの後に続くようにゾロゾロとツキミに近づいてくる屍達……その中には屍と化したストレチアの姿もあった。

ツキミは逃げようとも弓を構えようともせず、鼻で笑いながら手で挑発する。


「来いよ……腹ごなしの相手をしてやる」


※※※


 時間にしてわずか3分……ツキミは素手で全ての屍を返り討ちにした。

周囲を彩る真っ赤な血と地面に転がっている複数の死体……返り血をほとんど浴びず、息すら上げていないツキミの姿がその圧倒的な力の差を物語っている。

ストレチアに関しては頭を胴体から引き抜いたまま雑に放置している。

ビリアのついでに助ける気はわずかにあったものの、内心では死を望んでいた部分もあった。

故にその死を滑稽には思うものの、哀れだとは微塵も思わないツキミ。


「……」


 ツキミは懐から酒の入った小さな瓶を取り出すと、ビリアのお腹に酒を掛けてその死を弔う。


「誤解するなよ? この酒はテメェのじゃねぇ……生まれそこなったガキへのせめてもの土産だ」


 かつての愛を思い出したことで忘れ去られてしまった小さな命……ある意味、今回の一件で最も尊い犠牲者と言える。

ぶっきらぼうで怠惰な男ではあるが、子供を慈しむ温かな心の持ち主でもあるのだ。


「じゃあな……」


 弔いを終えると、ツキミは何事もなかったかのようにその場を去っていった。

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