第8話 記憶を失った男⑧

『あぐ……お……』




 右手に埋め込まれていた鏡の欠片を体外にはじき出されたことでアネモネは鏡屍としての力をすべて失った。


倒れてもなお、アネモネからは汗のように灰が噴き出し続け……体も土砂のように崩れ始めた。




「どっ……どうなったんだ?」




 アネモネの異常に理解が追いつかないサクラにフィナは視線をアネモネに向けたまま話し始めた。




「鏡屍にとって鏡の欠片は心臓と同等の価値があるもの……欠片を失ったら最期、鏡屍は灰となって土に還るしかないの。 彼はもう……指1本動かすこともできないでしょうね……」




「それはつまり……彼はこのまま死ぬってことかい?」




「死者に対して使う言葉としてはいささか引っかかる表現だけれど……まあ、言ってしまえばそうなるわね」




 一通りアネモネの状況を説明した後、フィナは地面に落ちているアネモネの欠片を拾い上げた。




『(なんだと……返せ! それを返せよ!!)』




 無情な顔で欠片を懐にしまうフィナに向かってそう叫びたい気持ちはあるものの……すでにアネモネには言葉を発する力も失っていた。


1度でも欠片を失ったが最期……たとえ再び欠片を手にしたとしても、鏡屍が土に還る運命は変えることができない。


強大な力を偶然という理由だけで手に入れた分、崩れれば脆い存在……それが鏡屍である。




「アネモネ……」




 徐々に灰となっていくアネモネの体に寄り添うのはビリアだった。




「ごめんねアネモネ……ごめんね……」




「……」




 念仏のように何度もアネモネに謝罪の言葉を掛けるビリア。


アネモネの苦しみも知らずにストレチアを家庭を築いてしまったこと……アネモネがサクラ達に倒されるのを黙って見ていることしかできなかったこと……何よりも、アネモネに復讐を遂げさせてあげられなかったこと……悲惨な運命を背負ったアネモネの苦しみを癒すこともできず泣いて謝ることしかできない己の無力さを痛感し……抑えきれない涙を流し続けているビリア。


サクラ達はその悲壮な光景を黙って見守っていた。


しかし……悲しみに満ちたこの闇の空間に、場違いな声が響き渡る。




「はは……アハハハ!! ざまぁみろ!!」




 狂ったように笑い出したのは、先ほどまで死相を浮かべていたストレチア。




「ハハハ! どうした?おい! 僕に復讐するんじゃなかったのか? ほらやってみろよ!今すぐ!!」




 フィナの話を耳にし、もうアネモネに襲われないと確信したストレチアは……まるでこれまでのうっ憤を晴らそうとするかのように、アネモネに挑発じみた言葉を投げつけ始めた。




「何が報いを受けろだ! お前こそ、僕の足を奪った報いを受けて地獄に落ちろ!!


この醜い化け物が!!」




 手さぐりに掴んだ小石をアネモネへ投げる所業は、死者にムチ打つ恥ずべき行為と言えるだろう。


事情を知らないサクラとフィナであっても、この光景を見た瞬間に誰が真の邪悪であるかを完全に理解することができた。




『(俺は……また死ぬのか? せっかくこの世に戻ってきたのに……ストレチアに復讐できるチャンスを掴んだのに……ここまで来て……また俺だけ死ぬのか? 俺だけ死んで……またあいつが生き残るのか?


なんでだよ……どうして……こうなるんだよ……。 どうして神は……運命は……あいつにばかり味方するんだ? ちくしょう……ちくしょう!! このまま地獄に落ちると言うのなら……あいつを道連れにしてやりたい……その願いが叶うなら、俺の魂を悪魔にでも死神にでもくれてやる!!)』




 心の中でいくら叫ぼうとも……空しさが心を締め付けるだけだった。


アネモネ自身も理解はしていた。


自分はもう……消えていくしかないのだと……たがそうだとしても、憎き相手が大した罰も受けずにのうのうと生きていくことに、アネモネはどうしても納得できなかった。




『(ダメなのか?……この手で復讐を遂げることも……奴を道連れにすることも許されないことなのか?……あいつが俺を殺した罪は許されて……俺は許されないのか?……じゃあなんで……一体俺は……なんの……ために……)』




 志半ばに倒れていく自らの運命を呪うアネモネ。


怪物と化した己の体に何度も動けと命じるも……体が応えてくれることはなかった。


復讐を遂げられない怒りと無情な罵声を浴びせられて言い返すことすらできない悔しさ……そのあふれんばかりの思いが涙となって目から1粒流れ落ちた。


それが鏡屍となった者に残された唯一の人間らしさ……かもしれない。




「何泣いてんだよ……気持ち悪いな。 化け物は大人しく死ねよ……みじめったらしく死……!!!」




 アネモネに罵声を浴びせるストレチアの頭部をツキミが背後から踏みつけた。




「少し黙れ……」




 低い声音で睨みを利かせるツキミに、ストレチアはすぐさま縮こまった。




「なっ何を……あんた……」




「これ以上その汚ねぇ声で俺の鼓膜を揺らしやがったらこのまま埋葬するぞ?」




 脅しではないと頭を踏みつける足に重圧をかけるツキミ……アネモネとの戦闘にて人間離れした身体能力を発揮していた姿が未だ記憶に焼き付いているストレチアは再び恐怖に屈服し、何度も小さく頷くジェスチャーにて黙ることを伝えるも……一切信用していないツキミは足をどけようとはしなかった。


どけるように言いたい気持ちはあるものの……言ったところで素直にどく保証などない。


それどころか、気分を害したと殺害に走る可能性が極めて高い。


故にストレチアはツキミにされるがまま地面とキスする状態を維持することになった。




「(ぐっ! なんで僕がこんな目に……)」




 内心理不尽を訴えるストレチアであるが……ツキミがもし行動しなければフィナが暴発を装って彼を撃っていた。


顔には出さないが、フィナもツキミ同様にストレチアに対して思う所があるのだ。


無論かすり傷程度に済ませるつもりではあったが……そうだとしても撃たれればメンタル的にもダメージは残る。


そんな未来もあったことなど知りもしないストレチアは悔しそうに唇をかみしめた。




「アネモネ……」




 崩れゆく自分に寄り添って涙を流すビリアの顔をぼんやりとした視界でとらえるアネモネ。


愛していた……否、今もなお愛しているビリアに何か声を掛けようとするも……もはやそれすら敵わない。




『(馬鹿だな……俺。 せっかく生き返ったのに復讐に囚われちまって……ビリアのことを見ようともしなかった。 


ビリアだって傷ついているっていうのに……俺は自分のことばかり考えていた。


ごめんな……ビリア。 こんな俺が言えた義理じゃないけれど……お前だけは幸せになってくれ。 俺の分まで……)』




 サァァァァ……。




「アネモネ!!」




 アネモネの意識が黄泉の国へと還ったことで……その体は一気に崩れ落ちてしまった。


後に残ったのは大量の灰と決してぬぐえない悲しみだけだった。




「アネモネ……いやぁぁぁぁ!!」




「……」




「……」




 ビリアの悲痛な叫びが空洞内に響き渡る。


この世界を見知っているツキミとフィナはどうしようもないことだと割り切ることができたが、サクラだけは激しい後悔が残った。




「(本当に……これでよかったのか? 相手は死者なんだから……別に私達が殺した訳じゃない。


罪を犯した訳じゃない……でも何かが心に引っかかる……死者はあの世に還り、人の命が救われた。


記憶のない私でもそれが最も良い結果だと言うことは理解できる……だからこそ私は戦った。


フィナを危ない目に合わせたくなかったし……周りにいた人たちも死んでほしくなかったから。


でも今は……それが本当に正しいことだったのかわからなくなった。


もしもこの力で過去を遡れるのならきっと……彼に復讐を遂げさせてあげた……かもしれない)」




 シュゥゥゥ……。




 後悔の中、サクラの身を守っていた鎧が霧のように消え、彼は元の姿に戻った。


元に戻ることを半分諦めていたサクラにとっては幸運だったが……。




「あぐっ!!」




 安堵したのも束の間……突如として激しい頭痛がサクラを襲った。


それはアネモネに付けられた傷の痛みがかすんでしまうほどの死に直結するやもしれないものだった。




「!!」




 異変に気付いたフィナがすぐさま駆けつけるも……サクラは意識を失ってその場で倒れてしまった。




「なんだ? そいつも死んだのか?」




「いいえ……生きてはいるみたいよ。 意識はないようだけど……」




「あんなのに全力で噛まれたっていうのに、丈夫な野郎だな……!!」




 呆けたような顔から一変し、ツキミの顔が険しくなる。


その後に続くように、フィナも周囲を警戒しつつライフルを構える。




「まだ距離はあるが数がしんどいな……ったく! 鏡屍がくたばったからってゾロゾロと……」




 ツキミは半分屍と化しているため……屍の気配を敏感に感じることができる。


元々常人ばなれした感覚をしているため、およそ数百メートル以内にいる屍であれば、視界に捕えなくとも数や進行方向が分かるのだ。


また補足だが……屍達は本能的に鏡屍には敵わないと理解している。


たとえ人間達が密集していたとしても……鏡屍がその場にいれば寄り付こうともしない


屍にとって鏡屍は親玉や主人などではなく……言ってしまえば天敵に近い存在である。




「同感ね……かといって、闇雲に逃げるのもあまり得策とは言えないわ」




 アネモネを追いかけて突き進んだため、フィナ達は自分達が今いる場所を把握していない。


それ故、地図に頼ることもできない。




「俺がこの鉱山に入ってきた道順ならわかるぜ? ちょこちょこ出てくる連中を片付けて道しるべ代わりに置いてきたからな」




「屍とはいえ死体を道しるべにするのはどうかとは思うけれど……今回は感謝するわ。


それと、サクラを運んでくれない?」




「はぁ!? 俺がか!?」




「私が大の男を運べる力自慢に見える? 鏡屍を倒した功労者なんだから、それくらいはしてあげてもバチは当たらないんじゃない?」




「(平然とライフルぶっ放す奴が良く言うぜ……そもそも功労者っていうなら、鏡屍をここまで追い詰めて欠片まで射抜いた俺じゃね?)」




「何か言いたげね?」




「なんでもねぇよ(言ったら言ったで姑みたいにネチネチ小言を唱えれれるだけだからな……はぁぁぁ、しんど)」




 嫌々ながらも気絶したサクラを担ぎ上げるツキミに、彼の足から解放されたストレチアが声を荒げる。




「まっ待ってくれ! 僕も連れて行ってくれよ!」




「ついてきたいのなら勝手についてくれば良いじゃない」




 背中を向けたまま冷たく言い放つフィナ……その態度から”あなたの命なんてどうでもいい”と言う意思がヒシヒシとストレチアに伝わっていく。




「なっ何を言ってるんだ!? 僕は足を失っているんだぞ!! 手を貸してくれよ!!」




「手を貸せ? 人1人担いだ男と年端もない子供に言っているの?あなた」




「まっまさか、僕を見捨てるっていうのか!? こんな場所に!?」




「自分のことくらい自分でどうにかしなさい」




「ふっふざけるな! 僕達をこんなところに置き去りにして心が痛まないのかよ!!


自分達が助かればそれでいいのか!! それでも人間か!!」




「テメェにだけは言われたかねぇよ……鏡屍から助けてやっただけ感謝しろ」




 自分が犯した罪を棚に上げて罵るストレチアの愚かさに呆れ、恩着せがましい言葉を吐き捨ててツキミ達はその場から駆け出した。


しばらく後方からストレチアの声が響いてきたが、ツキミ達の耳には届かなかった。

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