第7話 記憶を失った男⑦


『!!!』


 先に動いたのはアネモネだった。

地面の中へと一旦身を隠し、サクラ達に奇襲を仕掛けるべく隙を伺う。

さほど広くないわずかな明かりが外から漏れているだけの空間においての戦闘は人間には分が悪い。

ツキミは感覚が常人以上の熟練者である故にアネモネの奇襲を難なく避けることができる。

フィナはアネモネの体にある鏡の欠片を感じ取ることができるため、奇襲される前に安全地帯へと逃げることもできている。


「足元よ!」


「え?……!!!」


 サクラの足元からアネモネの剛腕が突如として飛び出してきた。

フィナの忠告を耳から脳へ……そして体全体へと伝わり……アネモネの腕が届く直前にサクラはバク転の要領でその豪快な奇襲を紙一重でかわすことができた。

攻撃を回避されたアネモネはすぐに腕を引っ込め、また地中へと身を潜めた。


「フィナ! 欠片はどこにある!?」


「奴の右手の甲よ!」


「(えらく危なっかしい所にあるな……)」


 フィナとツキミの会話の意図がつかめないサクラが周囲を警戒しながらフィナに問いかける。


「何? どういうこと?」


「鏡屍は体のどこかに無魂の鏡の欠片があるの。

その欠片さえあれば、首を落とされようが頭を吹き飛ばされようが鏡屍の活動は止まらないわ……でも欠片が体から離れれば、奴らは体を維持できなくなり……灰となって消えるの」


「つまり……その欠片がある右手を斬り落としたら彼は倒れるってこと?」


「斬り落とすだけではダメ。 鏡屍の肉体から欠片を取り除かない限りは何度でも再生できるわ……!! サクラ! 上よ!!」


「!!!」


『がぁぁぁぁ!!』


 サクラが見上げた瞬間、アネモネの巨体が天井から一気に落ちてきた。

地面から壁を伝って上へと登ったアネモネの奇襲……地面ばかりに意識を集中していたため、サクラは先ほどのように交わすことができず、重力が重なったアネモネの蹴りをモロに受けてしまった。


「ごふっ!!」


 アネモネに踏みつけられる形でその場に倒れたサクラ。

普通の人間であれば内臓が押しつぶされるレベルの重量だが、その身に宿っている力のおかげである程度ダメージを軽減することができた。


「あっがっ!……」


 胸を強い力で踏みつけられているサクラは息苦しさを感じ始めた。

肺が圧迫されて、呼吸がうまくできないでいるのだ。

どうにかその場から脱しようともがくが、単純な力では優位に立つアネモネから力で逃げることは今のサクラでも厳しかった。


「サクラ!」


 自分に注意を向けようと、フィナはライフルでアネモネに数発の弾丸を浴びせるも……通常の武器ではその体に傷1つ付かなかった。


「……」


 アネモネの意識がサクラに向けられている間に……その背後を取ったツキミ。

弓を構え……精神を集中させるその姿勢は芸術と呼んでも良い美しさがあった。


サッ!! ザシュ!!


 ツキミが放った矢が空を裂き、吸い寄せられるようにアネモネの後頭部を貫いた。

回避しながらの応戦では皮膚に多少傷をつけるだけで精一杯であったが、ツキミ本来の強みは狙撃にある。

精神を集中させ、相手の意識が自分以外の者に向けられた状況で放たれる狙撃……それに常人以上の筋力と命中力を備えているツキミの力が加わることで、岩を砕く威力を発揮する。

並みの屍であればこれで首を落とせるが、鏡屍にとってはそよ風に頭をなでられたようなもの。

だが……。


ドォォォォン!!


 矢がアネモネを貫いた数秒後……突然アネモネの頭が木っ端みじんに吹き飛んだ。

ツキミが放った矢はただの矢ではなく……先端には火薬……矢羽根には油を塗り付け、矢じりにひも状の火種を取り付けた特殊なもの。

数秒の時間を要するのがネックだが、その分威力はかなりのもの。


「!!!」


 倒すことはかなわぬが、頭を一時的に失ったことでアネモネの体はふらつき……その隙にサクラは渾身の力でアネモネの足をどかせ、どうにか危機的状況から脱することができた。


「けほっ! けほっ!!」


『ちくしょう!!』


 不足した空気を慌てて肺に取り込めようとしたことでむせるサクラ……その間にアネモネの吹き飛んだ頭は再生し……再三地面へと潜り始めた。


「待てっ!」


 ふらつきながらもアネモネに飛び交るサクラ……が、その爪はアネモネの体に触れることなく、地面に空しく突き刺さるだけに終わった。


ジュワワワ……。


「なっなんだ?」


 地面に突き刺さったサクラの爪を中心に地面が浸食されるかのようにぬかみ始めた。

この現象の要因となっているもの……それはサクラの爪から流れ出ている”毒”にある。

サクラ自身は無自覚であるが……サクラの両手の甲から飛び出ている6本の爪は常に毒で濡れている。

本来死者である屍に毒は通用しないが……サクラの毒は”屍にだけ効力を発揮する”特殊な毒。

並みの屍であれば即死……鏡屍に対しては何らかの状態異常を起こさせる効果を持つ。

頭をつぶさず屍達を蹴散らしたのも……背中を刺された際にアネモネが感じた違和感も、全てこの毒によるもの。

サクラの毒は地面を伝って地中にいるアネモネの体を包み込んでいき……全身を無数の針で突き刺されるような激痛が彼を襲う。


『あがぁぁぁ!!』


 地中の毒に耐えきれなくなったアネモネは地上へと姿を現した。

毒の影響が抜けきれず、地上でも苦しそうにもがき始めるアネモネ。

毒が強力なのもあるが、そもそもアネモネは土の力を使う鏡屍……意思を持った土と言い換えても良い。

故に水の浸食を受けやすいため、毒水を使うサクラとは相性が悪いのだ。



「(何に苦しんでいるかわからねぇが……この好機を逃すわけにはいかねぇな)」


 再び弓を構え、もがき苦しむアネモネの右手に神経を集中させるツキミ。

先ほどの爆弾矢で右手を吹き飛ばしたい所であるが火薬や油を使い切ってしまったため……己の腕のみで欠片を射抜くほかない。

欠片の場所を掴んだとはいえ、普通の人間の倍ほどあるアネモネの右手から小さな鏡の欠片を射抜くのはツキミとて難航を極める。

ところが……神経を集中している最中、ツキミは足を掴まれる感覚によって集中を乱してしまった。


「まっ待って……」


 ツキミが足元へ視線を落とすと、懇願するような上目遣いで足にまとわりつくビリアと目が合った。

アネモネの死の真実を知ったショックでしばらく心ここにあらずという状態であったが……アネモネの苦しむ声で我に返り、彼に矢を放とうとしているツキミが目に入ったのだ。


「なんのつもりだ?」


「やめて……ください……アネモネを……こっ殺さないでください」


 絞り出すような声でアネモネへの攻撃を思いとどまらせようとするビリア。


「殺すなと言ったって、あいつはすでに死んでいるんだぜ?」


「お願いします……どうか、彼を見逃してください」


 今の彼女は、ストレチアの妻としてではなく……アネモネのパートナーとしてツキミに懇願しているのだ。

だがそんな彼女の言葉を、ツキミは冷たい目で容赦なく切り捨てる。


「見逃してどうする? 奴がテメェの旦那を殺すところを見学してろってのか?

それで奴が成仏でもしてくれるのなら喜んで傍観するが……復讐を遂げたところで奴は消えたりしない。

復讐っていう目的を失えば……奴は無差別に命を食い散らかす獣になる。

無論テメェも例外じゃない。

そうなったらどう責任を取ってくれる?」


「あっアネモネはそんなことをする人じゃ……」


「本人の意思なんぞ関係ない……それが屍になった者の運命だ。

奴の復讐心が理解できない訳じゃないが……俺達の身に危険が及ぶ可能性がある以上、奴をこのままにしておく気はない」


「でっでも……そんなの……」


 ビリアの心は大きく揺れ動いていた。

アネモネの頭にあるのはストレチアへの復讐のみ……人殺しは決して許されないことではあるが、そんな大義名分などどうでもいいほどの理由が彼にはある。

まがいなりにもストレチアの妻であるビリアですら、同感するほどの醜い理由……だが、復讐の完遂はさらなる悲劇の始まりとなる。

現実的に言えばツキミは正しいが……人情的に言えばむごたらしい決断とも取れる。

自業自得なストレチアを守り……因果応報と呼ぶにふさわしい復讐を遂げようとしているアネモネを討伐する。

それがこの場で最も最優先すべきこと……それが多くの命を救う未来へとつながる。

だがビリアにとって優先すべきは遠い未来よりも、今のアネモネの気持ちであった。


「!!!」


 説得が無駄だと悟ったビリアがアネモネの元へと駆け寄ろうと立ち上がった。

陣痛による痛みは完全に忘れ、ただただ愛する人を守る盾となりたいという愛情が彼女の体を奮い立たせているのだ。


「がっ!」


 だが……そんなことを許すツキミではなかった。

ビリアの首筋に手刀を当てて、彼女の意識を奪った。


「母体にする仕打ちじゃねぇが……これ以上、この場をメンドくさくしてほしくないんでな」


 ツキミは失神したビリアの体を受け止め、ゆっくりと地面へ寝かせた。



『ちっちくしょう!! (周りを片付けてからストレチアを殺そうと思ったが……そうも言ってられなくなった)』


 サクラから受けた毒の効果から抜けきれないアネモネ……意識が朦朧とする中、自分が不利な状況に陥っていると悟ったアネモネはサクラとの戦闘を放棄し……復讐を完遂すべく、憎きストレチアの元へと走る。

毒の効果でふらついているものの……足取りはしっかりしている。


『(こいつらに構っている暇はない!! このままストレチアをぶち殺す!!)』


「くっ来るなぁぁぁ!!」


 走ってくるアネモネを恐れ、ダダをこねる子供のように周囲の石を拾って投げつけるストレチア。

無論、無駄なあがきに過ぎない。


「よせっ!!」


 ストレチアを庇うようにアネモネに立ちふさがるのはサクラだった。


『貴様……どけっ!!』


「どうしてそこまで彼を殺そうとするんだ!? 彼が君に何をしたっていうんだ!?」


『お前には関係ないと言っただろ!!』


「関係ないからって、理由も分からず人殺しを黙って見てられるわけがないだろう!?」


『うるせぇ!! 何も知らない部外者が偽善ぶって口出しするんじゃねぇ!!』


「ぐっ!!」


 怒りのまま両腕を振り下ろしてサクラを押しつぶそうとするアネモネ……だが、毒でアネモネのパワーはサクラがギリギリ受け止められるレベルにまで落ちていた。


『(受け止められた!?)』


「くっ!……君が口を閉ざすのなら、私は君を全力で止める!!」


『この野郎……』


 押し返そうにもアネモネは体に力がうまく入らず、サクラとの取っ組み合いから脱することができないでいた。


「たっ頼む! その化け物を殺してくれ!! 僕は何も悪くないんだ!!」


 サクラの背後から情けない声を上げるストレチア。

この期に及んで己の罪から目をそらすそのふてぶてしい態度にアネモネの怒りはさらにボルテージを上げる。


『(もういっそのこと、こいつにストレチアのこと話すか? そうすれば……いや。

こんな偽善者が俺の話を素直に聞き入れるはずがない。

聞き入れたところで復讐なんてやめろとか……つまらねぇ交渉をするに決まっている!!)』


 サクラの言葉を信じられず、実力行使を決め込むアネモネ。

過去の真実やアネモネの心情を知らず、この状況を作り上げた元凶と呼ぶべきストレチアを偽善という形で庇うサクラ。

1歩も譲らない両者であったが……サクラにはないすさまじい覚悟を持っていたアネモネには手段を択ばなかった。


『!!!』


「あぐぁぁぁぁぁ!!」


 アネモネは大きく口を開き、その鋭い牙でサクラの首から右肩に喰らいついた。

肩からドクドクと流れ出る血が、サクラのケガの深さを周囲の者に知らしめる。


「サクラ!」


 サクラを引き離そうとアネモネの背中に数発の弾丸を浴びせるフィナ……だが弱体化しているとはいえ、元々分厚い背中を普通の銃火器で撃っても小さな穴を空けるのが関の山。

唯一、有効な場所は視覚や聴覚が密集している頭であるが……アネモネがサクラにかみついている以上、そこは死角となる。


『ぐぅぅぅぅ!!』


「がっ!あぁぁぁぁ!!」


 アネモネのあごにさらなる力が注ぎ込まれていく……それにつれ、サクラの肩から骨のきしむ生々しい音が2人の鼓膜を震わせる。

サクラが纏っている鎧のようなものがアネモネの鋭い牙の侵入をギリギリの所で防いでいる。

だがこの状態が長く続けば、サクラの首や肩の肉を食いちぎられるのも時間の問題。


「(こっこのままじゃやられる……!!)」


 その時……サクラの記憶の中からフィナが語った言葉がスッと浮かび上がった。


「(一か八か!!)」


 サクラは渾身の力を込めて、無防備なアネモネの右手を左手の爪で貫いた。

そこは、フィナが言っていた鏡の欠片が埋まっている場所。

ほとんど体を密着しているため、かなり深く貫くことができた。

その一撃で欠片を取り出すことは叶わなかったが……。


『がっ!!』


 サクラの爪に貫かれたことで毒が再び体に入り込み、再び力が抜け始めるアネモネ。

しかも貫かれたのは心臓と呼んでも差し支えない欠片が埋まっている右手……故に背中や皮膚よりも毒の巡りが早まったのだ。


『!!!』


 本能的に危険だと直感したアネモネは肩から口を離し、左手でサクラを突き飛ばした勢いで右手に刺さっていたサクラの爪を引き抜くことができた。


「ぐっ!!」


 背中から地面に倒れたサクラ……噛まれた右肩は出血が激しく、銀色の体を赤く染め上げる。

噛まれた箇所からすれば死んでいるのが普通であるレベル……だがサクラは強い痛みは感じるものの、ギリギリ立ち上がるくらいの余力まで残っていた。


『うぐっ!!』

 

 胸をえぐられるような激痛がアネモネをその場で転倒させる。

激しい頭痛で視覚がぼやけ……ふらついて立ち上がることも困難となっている。

腹からこみあげる血の塊を口から吐き出し……体の皮膚が土砂のようにポロポロと落ちていくアネモネの様は、毒の存在を知らずとも……彼の体に異常が起きていることを周囲に知らしめる。


『(ちっちくしょうぉぉぉ!!)』


 毒の効果で満足に動けない体に鞭を打って立ち上がろうとするアネモネ。

そのすさまじい執念が、サクラの心を揺さぶる。


 ”義はアネモネにあるのではないか?”


 そんな思いがサクラの脳裏をよぎった……そしてその思いは、サクラの戦意や偽善を鈍らせる”毒”と化す。


「……」


『……』


 アネモネは最期の力を振り絞り……四つん這いの要領でストレチアの元へと向かう。


「おっおいあんた! 何してるんだ!? 助けてくれよ!!」


 ストレチアは涙ながらにサクラに助けを求めるが……サクラは迷っていた。

毒で弱体化が進んでいる今のアネモネであれば、欠片を奪って倒すことが叶うやもしれない。

そうなればストレチアの命も助かる。

だがもし……ストレチアが憎まれて当然な人間であれば、前者はアネモネにとってあまりにもむごい結果となる。

だがアネモネの理不尽な逆恨みという可能性もある。

自分がどうするべきか……サクラは決断を下せないでいた。


『スッストレチア……』


「たっ助けて……」


 迷っている間に、アネモネの爪はストレチアを捕らえた。

アネモネはその深い恨みと憎しみで右腕を大きく振り上げる……その腕を振り下ろした瞬間、ストレチアの心臓はアネモネの爪で貫かれる。


「(どうすれば……)」


 ストレチアの命が風前の灯火となってもなお、サクラは迷いを吹っ切れないでいた。


『報いを受けろ!!』


「やめろぉぉぉ!!」


 アネモネの剛腕が振り下ろされようとしたその時!!


ダーン!!


 闇の中を響き渡る銃声と共に、アネモネの右手に小さな穴が広がった。


「……」


 アネモネの右手に穴を空けたのは……フィナのライフルから発射された弾丸だった。

毒で大きく弱体化している今のアネモネは通常の銃火器すら有効となっていた。

そして……穴からわずかに見える鏡の欠片の一部。

フィナは欠片を狙ったつもりであったが、わずかにずれてしまっていた。


『!!!』


 右手を撃ち抜かれたものの……ダメージは皆無であったため、アネモネはフィナに構わずストレチアの命を狙う。

だがそれが……アネモネにとっての命取りとなった。


サッ!!


『!!!』


 アネモネの右手を静かに貫いたのは……ツキミの矢。

ツキミはわずかに見えた欠片を見逃さず、狙いすませて矢を放った。

ツキミの矢はアネモネの右手を貫き……矢の先端が命中した勢いで欠片を体外へ押し出したのだ。


『なっなんだ!? 力が……』


 欠片が地面に落ちた瞬間、アネモネの体から汗のように灰が噴き出し……糸の切れた人形のようにアネモネはその場で倒れた。

欠片を失う……それは鏡屍のとって2度目の死を意味する。

同時にそれは……アネモネにとって復讐の終わりを意味していた。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る