第6話 記憶を失った男⑥
「フィナ、これ持っていて!」
「あっあなた、何をする気!?」
「このっ!!」
サクラは持っていた懐中電灯をフィナに投げ渡すと背負っていたリュックを盾代わりに構え、屍の群れへと突撃していった。
一見するとヤケを起こした人間の無謀な行動に見えるが、サクラの狙いは屍を蹴散らすことではない。
「!!!」
先の見えぬ闇の中……ビーチフラッグの如くダイビングでサクラが掴んだのはフィナが落としたライフルだった。
「フィナ!」
懐中電灯の光を頼りに、ライフルをフィナ目掛けて投げるサクラ。
それなりの重量を備えているライフルを数メートル先にいるフィナに投げ渡すのは至難の業である。
火事場の馬鹿力とでもいうべきか……サクラ自身も驚くほどの腕力が働き、奇跡的にライフルはフィナの足元まで届いた。
「!!!」
ライフルを拾ったフィナは懐中電灯を口にくわえ、光に照らされる屍達の頭を撃ち抜いていった。
力はあるものの……屍は鈍足な者が多いため、多少腕に覚えがあれば頭を狙い撃つことはさほど難しくはない。
「くっ!……(数が多すぎる……)」
とはいえ、数の暴力という屍達の強みを覆すほどの有意差はない。
懐中電灯があるとはいえ、視覚を全てカバーできる訳ではない故にフィナが不利であることに違いはないのだ。
だが、問題はそれだけではない。
「(こいつら……どうして私を襲わないんだ?)」
周囲に群がる屍達は丸腰のサクラに目も向けず、一直線にフィナを狙い続けている。
その要因となっているのはフィナの体に流れる”特別な血”にある。
先祖代々から受け継いできたその特別な血は屍達にとってこの上ないご馳走……。
屍の視点で言い換えれば、サクラは薄いハムでフィナは脂ののった分厚いステーキのように見えている。
常に飢餓状態の屍ならば、どちらを率先して食したいかなど言うまでもない。
「サクラ! あなたは逃げなさい!」
それを理解しているからこそ、フィナはサクラにそう告げたのだ。
「えっ!? 何を言って……」
「あなたがいても足手まといになるだけよ!! いいから行きなさい!!」
万が一フィナが食い殺されれば、屍達が次に狙うのはサクラとなる。
屍達がフィナに群がっている今しかサクラが逃げるチャンスはない。
懐中電灯もなく暗闇の中をさまようのは危険な行為ではあるが、今のフィナにその危険性を考慮する余裕はない。
無事に逃げ切る確率はほとんどないに等しいが、サクラが生き残る望みがある以上……フィナはそれに賭けるしかなかった。
出会ってから散々な扱いをしているものの、フィナなりにサクラを気遣っている部分はあるのだ。
「フィナ……」
フィナが自分を助けようとしていることはサクラも察していた。
だがサクラにはフィナを置いて逃げるという自己防衛な選択は一切なかった。
「(運が良ければこいつらから逃げることはできるかもしれない……でも、そんなことはできない!
できるはずがない!!
フィナを残して逃げるくらいなら、奴らに食われた方がマシだ!!)」
フィナが恩人であるからその恩に報いたいという気持ちはもちろんある。
だがそれ以上に……。
”フィナを守りたい”
”フィナを死なせたくない”
使命と呼んでも差し支えないその強い思いが恐怖を圧倒し、サクラをこの場にとどめている。
武器を失い、懐中電灯をフィナに渡した今……サクラは無力な存在でしかない。
「(でもどうしたら……どうしたらいいんだ……クソッ! もっと私に力があれば……)」
いくら助けたい思いが強くても……不利な状況が変わるわけがない。
無鉄砲に突っ込んだとしても、フィナが助かる可能性は低い……否、足を引っ張って余計に彼女の寿命を縮める可能性すらある。
それはサクラとて望ましいものではない。
頭を必死に回して最善の策を絞り出そうとしていた……その時!!
『力がほしい?』
「!!!」
突然頭の中に響き渡る女の声……今の今まで感じなかった人の気配を突然背後に感じ、サクラはその場で振り返った。
『……』
「誰だ!?」
サクラの後ろにいたのは……黒いローブに身を包んだ老婆。
離れた場所からフィナが照らす懐中電灯の光でギリギリ視界にとらえることはできるものの……その姿はほとんど暗闇に包まれている。
まるで白雪姫に出てくるリンゴ売りの老婆のようなあやしげな風貌に警戒し、サクラは老婆からわずかに距離を取った。
『私はあなたの味方……』
「味方?……」
『そう……あなたは力を求めた……彼らをなぎ倒すほどの力を……その願いを叶えてあげましょう……』
おもむろに老婆は1本のナイフをサクラに手渡すようにつきつける。
「これは……」
『あなたに力を授けるもの……あなたを守ってくれるもの……』
風貌は怪しげに見えるが、その声には癒されるような温かみが含まれていた。
わずかに言葉を交わしただけの関係であるにもかかわらず、彼の中で老婆に対する警戒心は不思議と消失していった。
「……」
『手に取って……あなたの求めるもの……”ウェーム”』
サクラは本人も驚くほど素直に老婆からナイフを受け取る。
そのナイフの刀身には数本のツタに絡まる花の装飾が施されており、柄にはパチンコ玉サイズの球体が埋め込まれている。
ナイフから放たれる異様なオーラがサクラの目をくぎ付けにする。
「ウェーム……」
バーンッ!!
闇の中を響き渡るライフルの銃声が忘れかけていた現実へとサクラを引き戻した。
「フィナ!」
急いでフィナの方へ視線を戻すと……屍達が彼女を取り囲み、いくつもの鋭い歯がその柔らかい肉に食いちぎろうと迫っている。
「くっ!」
撃っても撃っても湧いてくる屍の群れ……もはや死は免れぬとフィナは死を覚悟していた。
そしてついに……
「しまった!」
1匹の屍が弾切れの隙をついてフィナに覆いかぶさり、彼女の頭に食らいつこうと口を開いた。
「!!!……やめろぉぉぉ!!」
フィナの元へ叫びながら駆け出すサクラ……その時!!
彼の手にあるナイフ……ウェームの柄にある球体が瞳のように開き……中から飛び出した青白い光が瞬きする間にサクラの体を包み込んだ。
ザシュッ!!
次の瞬間……サクラは目にもとまらぬ速さで屍達の群れへと駆け出し……鋭くなった光の爪で屍達の
胸や背中を引き裂いていった……。
屍達は首がつながったままなのにも関わらず、その場でバタバタと倒れていった。
フィナに食らいつこうとした屍も背中を引き裂かれたことでその活動を停止し、覆いかぶさった体も光の姿となったサクラが蹴り飛ばしたことでフィナから離れた。
「ハァ……ハァ……。 あなた……サクラなの?」
背中越しサクラへ話しかけるフィナ。
ゆっくりとサクラが振り返ると同時に、彼を取り巻く光が煙のように消えていき……その中から現れたのは、全身が鎧と化したサクラだった。
「たっ多分……」
顔こそ見えないものの、それはまぎれもなくサクラの声だった。
「その姿は……どうしたの?」
「わからない……」
フィナを助けたい一心で何も考えずに屍達を倒したが……フィナを救ったことで心が平常心を取り戻し、徐々に自身の変化に対する驚きが沸き上がっていった。
「(この鎧は何?……)」
サクラの顔を覆っている仮面は狼をかたどっており、まるで狼男のような風貌をフィナに印象付けている。
「(それにこの屍達……首がつながっているのにどうして死んでいるの?)」
サクラが倒した屍達は全員、胸や背中を大きく爪でえぐられてはいるが……致命傷である首から上は無傷。
それにもかかわらず、1体として起き上がる様子はない。
「まだ状況が飲み込めないけれど……ひとまず助かったわ」
「いや……お礼ならあの人……あれ?」
老婆の立っていた場所に目をやるも……そこにはすでに誰もいなかった。
辺りを見渡すも……老婆は忽然と姿を消してしまったのだ。
プツンッ!
何かが切れる音と同時に、フィナのそばに転がっていた懐中電灯が光を失ってしまった。
フィナが拾って付け直すも、懐中電灯は光を灯してはくれなかった。
「どうやらさっき襲われた衝撃で壊れたようね……」
懐中電灯の光を失ったことで、再び暗闇が2人を包み込む。
「弱ったわね……」
「……あれ? どういうことだ?……周りがよく見える」
まったく周囲が見えないフィナとは逆にサクラの視界は良好なものだった
光が一切ないためモノクロな世界ではあるものの……視覚的に問題はなかった。
「あなた、周りの様子が見えるの?」
「そうみたい……フィナの姿も見えるし、向こうに置いていたリュックサックも見えているよ」
「本当に訳がわからないわ……でも意識がはっきりしているのなら、ひとまずあなたの変化については置いておきましょう。
サクラ……見えると言うのなら、私が指さす方向に私を連れて行って。
そこに鏡屍がいるわ」
視界は闇に阻まれているものの、欠片の感知は直感に近いものであるため支障はない。
「……わかった。 この状態がどれだけ続くかわからないけれど、やってみるよ!」
「それと、私のライフルとリュックも回収しておいて……あぁ、私をエスコートするのも忘れないでよ? 私は周囲が全く見えないのだから……」
「(心なしか……変わる前より雑用がさらに増えたような気がする)」
異形の姿となったサクラを目の代わりにし、フィナは鏡屍の元へと向かった。
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時間は少し進み……アネモネとツキミが交戦する空洞内……。
『俺の邪魔をするな!!』
「何度も言わなくても聞こえてる!! 耳の遠いボケ老人扱いするんじゃねぇよ!」
変わらず平行線が続く中……状況を打破しようとアネモネが動いた。
『うぉぉぉぉ!!』
「何っ!?」
アネモネの雄たけびと共にツキミの足元から飛び出したのは土でできた棒状の柱……これもまた、アネモネが無意識に発動した力によるもの……。
「ごはっ!!」
完全に不意を突かれたツキミは腹部に柱を喰らい、その勢いで天井まで突き上げられてしまった。
ツキミの本来のスペックであれば、柱による攻撃を回避することは可能だった。
しかし……近くで倒れているビリアとストレチアに注意を分散させているため、その分自分に対する注意がおろそかになっていた。
さらに言えば、ツキミにはアネモネの能力に関する情報が一切ない。
注意散漫と情報不足……この2つが重なったことでツキミへの不意打ちが成功してしまったのだ。
普通の人間であればアバラが折れるどころか、内臓がいくつか破裂するレベルの衝撃であるが……常人ではないツキミは腹部が少し腫れる程度のダメージにまでとどめることができた。
とはいえ、一時的にひるませるくらいの効力はある。
天井から地面に落下した際の衝撃はツキミにとってどうということはないが、不意を突かれた腹部には鈍い痛みが残っている。
『ストレチアァァァ!!』
ツキミが一時的に立ち上がれない隙に、アネモネはストレチアを狙う。
片足を失って歩くことができないため、ホフク前進の要領で逃げようとしていたが……移動距離などたかが知れている。
「あぁぁぁぁ!!」
向かってくる復讐の爪を前に泣き叫ぶストレチア……邪悪を貫く正義の剣の如く、アネモネの爪がストレチアの体を貫く直前、またしても運命の輪が狂いだす。
『がぁぁぁぁ!!』
突然背中を走る鋭い痛みがアネモネの爪をわずかにストレチアから反らした……。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
アネモネの大きくゴツゴツした背に異形の姿となったサクラの爪が突き刺さっていた。
フィナと共にここへたどり着いた瞬間……アネモネに殺されそうになっていたストレチアが目に入ったことで無意識にストレチアを助けようとした結果、今に至る。
「(馬鹿……)」
命を救うためとはいえ、無策に突っ込んでいったサクラに呆れて頭を抱えるフィナ。
『(なっなんだ……この痛みは……)』
爪の先端がアネモネの皮膚をわずかに貫いていた程度の外傷だが、じわじわとそこから鈍い痛みが水面を広がる波紋のように背中全体に広がっていった。
『失せろっ!!』
「うわっ!」
アネモネが大きく体を揺らすことで突き刺さっていたサクラの爪はすんなりと抜け……同時に鈍い痛みも嘘のように消え失せた。
爪が抜かれた瞬間サクラはアネモネの背を蹴り、フィナのいる地点まで大きくジャンプした。
「英雄気取りも良いけれど……少しは考えてから行動に移してくれない?」
「ごっごめん……つい……」
『くっ!……のを!!』
サクラ達に構わず、ストレチアを再度狙おうとうするも……そこにはすでにストレチアはいなかった。
「探してんのはこいつか?」
『!!!』
サクラの不意打ちに気を取られている間に、ストレチアはツキミの手でアネモネから離れた位置にまで運ばれていた。
『なんだ?……なんなんだ貴様ら……どうして俺の邪魔をする?』
ストレチアへの復讐をことごとく邪魔されたことで、アネモネの怒りはさらに昇華する。
『これ以上……俺の復讐を邪魔するなぁぁぁ!!』
アネモネのこらえようのない怒りの声によって周囲の岩肌がポロポロと崩れる。
反響するその声に、周囲が耳を塞ぐ中……サクラは1歩前にアネモネに近づく。
「復讐? 復讐ってどういうことだ? あの人が君に何かしたのか?」
『何?』
「あなた、何を聞いているの?」
フィナの言葉を無視し、サクラは続ける。
「どうしてあの人を殺そうとするんだ? どうしてそこまで彼が憎いんだ?」
『お前には関係ない!! 引っ込んでいろ!!』
「目の前で人が殺されそうになっているのに、引っ込める訳がないだろう!?」
『偽善者が!!』
「偽善でもない何もないよりはマシだろ?
命を奪うことは決して許されないことだけれど……それでも殺すと言うのなら、それなりの理由があって然るべきだと思う。
その理由に共感できたら……私は君の復讐を邪魔しない」
『理由……だと?』
「君を見た目や行動だけで否定したくないんだ。
言葉が通じるなら……意思があるなら……話してほしい!」
『引っ込めと言っているのがわからないのか!? お前と話すことはない!
邪魔をするならお前から殺す!!』
憎しみと怒りに満ちたアネモネの心には、サクラの言葉は届かない。
彼の心にあるものはただ1つ……ストレチアへの復讐のみなのだ。
「……」
「やめておきなさい」
「フィナ……」
「理由はわからないけれど……ああなったらもう私達の言葉は雑音と相違ないわ。
あなたの気持ちが理解できない訳ではないけれど……こうなった以上、私達の残された選択肢はヤるかヤラれるかのどちらかよ」
「……わかった。 納得はできないけれど……」
敵意を向けてくるアネモネに対し、サクラは爪を構えて応えた。
「(私は自分自身の心に従う!)」
サクラは偽善者として、アネモネの前に立つ道を選んだのだった。
※話を進めていくうちにストレチアが邪魔に感じてきました。
ビリアも空気と化したし……さっさとアネモネに殺させておけばよかったとちょっと後悔してます。 by panpan
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