第5話 記憶を失った男⑤
「アネモネ……本当にアネモネなの?」
『……』
ビリアの問いかけにアネモネは答えず、再びストレチアに向き直した。
だがそのどこか不器用な風貌がビリアの記憶にあるアネモネと重なり、彼女の中で確信を持たせた。
『なぜだ?……どうして俺を殺した!?』
「ひぃぃぃぃ!!」
『答えろ!!』
グチュ!!
「があぁぁぁぁ!!」
土の中に埋もれていたストレチアの足がすさまじい重圧により押しつぶされてしまった。
アネモネの憎しみが無意識に新たな力を発動させたのだ。
「あっ足がぁぁぁぁ! 僕のあっ足がぁぁぁ!! 痛い痛い痛い痛いぃぃぃ!!」
足を失った痛みにもだえ苦しむストレチア……結果的に土から出ることができたものの……逃げる余力などあるはずもない。
ただただ涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにし……耐えきれない足の痛みが頭と心を支配している。
大抵の人間であれば当然であろうが……その様子がアネモネの心を逆なでする。
『痛い……だと?』
イラ立ちを隠し切れず、右足で思い切り地面を踏みつけた。
『何が痛いだ……足を1本失ったくらいで。 俺は……俺は全てを失ったんだぞ!! 夢も……愛も……命までも……お前のせいで!!』
アネモネの大きな手がストレチアの頭をわしづかみにし、強引に顔を近づけさせる。
『言え! すべてを話せ!!』
「あ……あ……」
頭を掴む手に力が込められ……ストレチアの頭の痛覚を刺激する。
アネモネからすれば小石をつまむ程度の力だが、人間の頭を手が滑る勢いだけで頭蓋骨ごと握りつぶせるほどの力があり、死を予感させるには十分な効力だった。
「(こっ殺される……しゃべらないと……こいつに殺される……)」
死への恐怖が痛みを凌駕する。
ストレチアの体からポタポタと垂れる血と涙……そこに混じって垂れる失禁した老廃物……体中の水分が恐怖と共に失われていく……。
そこにもはや人間としての尊厳などなかった。
「わっわかった……話すから……話すから……」
間近に迫る死への恐怖……生きたいと願う生存本能が、とうとうストレチアの口を開かせた。
そして語り始めたのは……彼の身勝手な欲望と醜い嫉妬が引き起こした惨劇……。
ただ1人の女性を物にしたい……たったそれだけの思いを昇華させたいがために奪われた1つの尊い命……。
※彼らの過去については別作品として出してますので、ここでは省略します。
「こっこれで……全部だ」
『……』
ストレチアが長い物語を語り終えた……屍として再びこの世に蘇ったアネモネが全てを捨ててでも知りたかった答え……自分が殺された理由……。
そのあまりにくだらない理由にアネモネは言葉を失った。
アネモネが絶望のどん底に沈むことになった理由……それがビリアへの横恋慕。
死がすぐ横にまで迫る中で、ストレチアのような小心者が適当な偽りを述べることはまずない。
それはかつての親友であったアネモネが一番理解している。
だがアネモネ以上に衝撃を受けた者がほかにもいた。
「そんな……嘘でしょ?……」
それはビリアであった……。
ストレチアが語った自供を聞き、受け入れがたいと心が脳の処理速度を落とすが……徐々に理解が追いついてしまう。
”直接的な関係はないものの……ビリアの存在がアネモネの死を呼ぶ元凶となった”
”愛する人をつまらぬ理由で亡き者にした男と結婚し、さらにはその子供まで身ごもった”
それらの事実が彼女の心を崩壊させた。
「おっおぇぇぇぇ!!」
あまりのおぞましさにビリアはその場で胃の中の物を吐き出す。
止まらぬ嘔吐……内容物と共に内臓までも外へ出ていきそうな勢いに腹の痛みも忘れてしまっていたビリア。
「……」
嘔吐が収まるも……ビリアの心は折れていた。
アネモネを失った寂しさを埋めるためとはいえ、結婚するくらいの好意は持っていたストレチア。
それがこのわずかな時間で、心の底から憎い敵へと変貌していた。
腹から流れる愛しい命の鼓動が耳障りな雑音にしか聞こえなくなっている。
これまで歩んできた自分自身の人生がこの上なく恥ずかしいものへと感じるようになっていった。
「(私は……今まで……何をしていたの? なんて私は愚かだったの?)」
「さっさあ……話したんだから放してくれ!」
『逃がす?……なんの話だ?』
「は? だって言われた通り話しただろ!? だったら僕を許して……」
『俺がいつお前を許すと言った? ハナからお前を許す気はない……お前が俺を殺した理由を聞きたかっただけだ……まさかこんなにくだらない理由だとは思わなかったがな』
「ふっふざけるなっ! そんなの不公平だろ!!」
『不公平?……なら両足を犠牲にしてまで救った人間にむざむざ殺された俺はなんだんだよ?
恩を仇で返すのは不公平なことじゃないのか?……』
「知らない知らない知らない!! 僕は知らない!! 僕は何も悪くない!!」
駄々っ子のようなことを口走り始めるストレチア。
言い返す言葉が何も見つからない人間は単調な言葉で責任から逃げようとする。
追い詰められた恐怖から少しでも逃げたいと思う気持ち……要するに現実逃避である。
客観的に見れば卑怯者であるが、これは人間の本能的な行動なのだ。
『もういい……もうお前はしゃべる必要はない』
見苦しい言葉に嫌気がさしたアネモネ……聞きたかったことを全て聞いた今、これ以上ストレチアを生かす理由は彼にはなかった。
「やっやめて……やめてよ……アネモネ。 僕達友達だろ? ”友達を手に掛けてお前平気なのかよ”!?」
アネモネの殺気を感じ取ったストレチア……この期に及んで情に訴えようとするその神経に、アネモネは心底軽蔑した。
一体どの口でそんな戯言を吐いているんだ?と、アネモネはもちろんその場にいたビリアでさえ理解が及ばなかった。
『お前が……お前が全てを裏切ったんだろうがぁぁぁ!!』
怒りに任せてストレチアの頭を握りつぶそうとした……その時!!
ザクッ!!
『がぁぁぁ!!』
ストレチアの頭を掴むアネモネの腕に1本の矢が刺さった。
痛みでひるんだアネモネは思わずストレチアを放してしまうも……刺さった矢をすぐに抜くことで傷口は一瞬で塞がった。
『誰だ!?』
「よう……取り込み中悪いな」
暗闇の中から姿を現したのはツキミだった。
先ほどの矢も無論、彼が放ったものである。
アネモネの咆哮を聞いてここまで駆けつけたツキミ……実をいうと、ストレチアが過去を語る前からすでに彼は気配を殺して様子を伺っていた。
常人離れしているとはいえ人間であるツキミが、単独で鏡屍と真っ向から戦うのはリスクが高い。
それ故の待機であったのだが……アネモネがストレチアを殺そうとしているのを察し、やむなく狙撃したのだ。
『またお前か……邪魔をするな!!』
「悪いがそういう訳にもいかねぇんだよな……」
ツキミが矢を放ったのはストレチアを助けるためではない。
もしここでアネモネがストレチアを殺せば、彼の中にある憎しみが消える。
憎しみが消えたらアネモネは存在する目的を失い、屍の本能のまま無差別に人を食い殺し始める。
アネモネ自身は気づいていないが、憎しみは彼の理性を保つ……いわばストッパーのようなものなのだ。
かといって……それをアネモネに伝えた所で、彼が復讐をやめることはない。
『何も知らないくせに、横から口をはさむな!!』
「それはお互い様だ」
鏡屍になるほどの強い恨みや憎しみ……それは口で言ってどうにかなるものではない。
だからこそ、ツキミは何も知らずに人を助ける偽善者としてアネモネの前に立っているのだ。
「大人しく墓の下に戻ってもらうぜ?」
『俺の邪魔をするなら、お前からまず殺してやる!!』
アネモネはその場で地面に潜ってツキミの視界から消えた。
だが元騎士団であるツキミは相手の気配を感じることができる。
喧嘩慣れしているとはいえ、素人であるアネモネに気配を消すスキルなどない。
「よっと!」
足元から飛び出た巨大な腕をツキミはなんなく交わした。
普通の人間であれば胸を貫かれていたであろうその一撃は、ツキミにとって脅威にすらならなかった。
『クソッ!!』
再度同じ攻撃を仕掛けるも、ツキミにはかすりもしない。
『ちょこまかと!!』
地面からの奇襲が通用しないことを悟ったアネモネは地面から出て、かつての喧嘩スタイルを応用した爪によるシンプルな攻撃方法に切り替えた。
自分に合った責め方故、奇襲よりも動きが良くなっているが……それでもやはり、元騎士と素人の差は大きい。
『くっ!』
「動きが単調なんだよお前……」
ツキミ目掛けて何度も爪を振り下ろすも、これもあっさりと回避され続ける。
一見すればツキミが圧倒的に有利な立場にいるように思えるが……不利な点もある。
「(くっそ固いな……)」
ツキミは回避に徹底している訳ではなく、何度か矢を放って反撃に転じている場面がある。
矢は命中するものの……アネモネをひるませる以上の効果はない。
躊躇なく目も射抜いても結果は同じ。
その上、矢を抜かれた瞬間に傷は治っているため、外傷が残ることはない。
火薬を用いて矢の攻撃力を上げれば多少結果に変化が出るやもしれないが、空洞内で爆発物を使うのは自殺行為につながる可能性がある。
また、素手による攻撃も通用しない。
「(このままだと平行線だな……やっぱり欠片を狙うしかないか……)」
鏡屍を倒す方法は1つ……それは体のどこかにある鏡の欠片を取り出すこと
欠片が体内に残っている限り、鏡屍は首を落とされても倒れることはない。
だが逆に言えば欠片が体外に出た瞬間、
だが鋼鉄のように固い皮膚で覆われているアネモネの体から欠片を取り出すことは容易なことではない。
「(ったく! こういう時に限ってフィナがいないんだよな……)」
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時間は少し遡り……小屋で夜を明かしたサクラとフィナが鉱山へ入るために入口となっている洞窟の前に立っていた。
「本当にこのまま同行するつもりなの?」
「あぁ」
「この先には今までの屍以上の怪物が潜んでいるとさっき説明したわね?」
「鏡屍……だったかな?」
「そうよ……鏡屍はその辺の屍よりもはるかに強い力を宿した特別な屍……勝てる見込みなんてほとんどないわよ?」
「でもフィナは行くんだろう?」
「私は鏡屍を倒すためにここへ来たのだから当然でしょう?」
「だったら私も行くよ。 フィナが死ぬかもしれないときに、自分だけ安全な場所に留まるなんてできないよ。
(この島に安全な場所があるかは謎だけれど……)」
「それはそれは……勇敢だこと。 ついてくるのは勝手だけれど、殺されたって知らないわよ?」
「うん、わかった」
サクラとフィナは鉱山の中へと足を踏み入れた。
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「暗いな……」
「鉱山なのだから当然でしょう?」
「それで……この暗闇の中をどうやって進むんだい? まさか直感で行くつもり?」
「馬鹿を言わないでよ。 コウモリじゃあるまいし……リュックの中に懐中電灯があるから、それを使うわ」
サクラはリュックから懐中電灯を取り出し、スイッチを入れて暗闇を照らす。
「行くわよ?」
「あっうん……」
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鉱山の中へと進むにつれて外から入ってくる太陽の光が徐々になくなっていき、闇がどんどん濃くなっていく……。
鉱山に入って5分も掛からないうちに、辺りは漆黒の世界へと変わった。
物音が一切聞こえない静けさと風のない空間は、昨日明かした夜とは異なる不気味さを2人に印象付けた。
「ここにもやっぱり屍はいるのかな?」
「奴らはどこにでも現れるわ……でも今、優先すべきは鏡屍よ」
いつでも撃てるようにライフルを構えているフィナであるが……彼女はツキミのように感知能力が優れていない。
視覚が当てにできない暗闇では、聴覚に頼るほかないのはサクラもフィナも同じである。
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「(……近いわね)」
闇の中を歩くフィナの目に迷いはなかった。
彼女の迷いを断ち切っているもの……それは鏡の欠片が放つ波動のようなものを感じ取る特殊な感知能力。
これは欠片との距離が近く、かつ鏡屍が力を強く引き出していれば、より正確に感じ取ることができる。
鏡屍……アネモネは今、ストレチアへの復讐心で力を全力で引き出している。
そのため、フィナにはアネモネがどこからどこへ向かっているのかはっきりわかるのだ。
当てにできないとはいえ……せっかく小屋で見つけた古地図の存在は、彼女の頭から完全に忘れ去られていたのだった。
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「……広い場所に出たね」
鉱山に入ってからしばらくして……2人は少し広めの空間に出た。
あちこちには発掘の名残りらしき、ボロボロのシャベルや折れたつるはしなどが無造作に転がっている。
『うぉぉぉぉ!!』
「くっ!!」
「なっなんだ!?」
暗闇の奥から突風のように轟くアネモネの咆哮……それなりに近いこともあり、サクラとフィナは思わず耳を塞いだ。
時間にしてほんの数秒間の出来事だったが、彼らにとってこれは致命的なミスだった。
『あぁぁぁ!!……』
「!!!」
闇の中から姿を現したのは作業服を着た屍だった……屍はフィナに向かって唾液にまみれた大きな口を開き……捕食に出た。
アネモネの咆哮に意表を突かれたフィナは完全に出遅れ、反撃や回避のタイミングを完全に失ってしまった。
「くっ!」
フィナはとっさにライフルの銃身を屍に咥えさせることで、不意打ちを防ぐことはできた……が。
「っ!!!」
咥えさせたライフルを屍に奪われ、無造作に放り投げられてしまった。
筋力のリミッターが外れた屍と11歳の子供であるフィナでは力の差は桁違いであることは語るまでもない。
取っ組み合いに持ち込まれてしまえば、フィナに勝ち目はない。
「フィナ!!」
ザクッ!
そんなフィナの窮地を救ったのはサクラだった……。
腰に備えていた古びた包丁を手に、サクラは突進の勢いで屍の背中を突き刺した。
屍の背中からは少量の血液が流れるものの、致命傷には至らないのはサクラとて承知の上である。
彼の目的はそのまま屍を押し倒し、寝技のように押さえつけることにあった。
体格的には同等でリュックを背負っている分重量でも引けは取らない……賭けに出る価値はあると踏んでいた。
「うわっ!」
だがサクラは知らなかった……屍との力の差を……。
屍を背中から押し倒すことには成功したものの……一瞬のうちに背中から降ろされてしまった。
唯一の武器である包丁も屍の背に刺さったまま……丸腰となったサクラとフィナにさらなる追い打ちが掛けられる。
『あぁぁぁぁ……』
2人を囲うように作業服を着た数体の屍が闇の中から姿を現した……彼らはかつてこの鉱山で一攫千金を狙っていた者達。
十分な装備や知識もないまま穴を掘っていたことで生き埋めとなった哀れなる者達。
屍となって鉱山内をさまよっていた彼らの目に飛び込んできた2匹の獲物……小動物を狩るハイエナの如く、彼らはその新鮮な肉に吸い付くようにただただ2人の元へと近寄っていくのだった。
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