第10話 記憶を失った男⑩
「うっ!……」
アネモネとの戦闘から1時間後……意識を失っていたサクラが目を覚ました。
彼は異様な姿に変わる前まで背負っていたリュックを枕に、彼自身が着ていたジャケットを掛け布団代わりにそれぞれ代用し、砂浜の上で横たわっていた。
「(私は一体……確か、鏡屍と……)」
「目が覚めたの?」
目覚めたばかりで意識が未だ朦朧としているサクラに声を掛けてきたのはフィナだった。
彼女はライフルを抱いたまま、大きな岩に腰かけ……サクラに目を向けつつ周囲を警戒していた。
「フィナ……」
「ここまでわざわざ運んできてあげたのだから……お礼くらい言ってもバチは当たらないのではないかしら?」
「あっ……うん、ありがとう……?」
ふと何気なく上半身を起こした時……サクラは自分の体の違和感に気が付いた。
「傷が……ない……」
アネモネに噛みつかれて負ったはずのサクラの傷跡が……跡形もなくきれいに消えていた。
本当に治っているのか確かめるべく体を触ったり、軽く叩いたりと……完治していることを視覚だけでなく、触覚や痛覚でも認識できた。
「(夢や幻って訳じゃないよな……実際、服やジャケットには血がべっとりとついているし、穴も空いてるし……)」
大量の血液を失ったにも関わらず……サクラは貧血すら起こさず、普通にその場で立ち上がることさえできていた。
「どうかしたの?」
「いや……鏡屍から受けた傷がなくて……フィナが治療してくれたの?」
「私に医学の知識はないわ。 だいたい魔法使いじゃあるまいし……あんなケガがそこまで綺麗に治る訳がないでしょう?」
「まあそうだけど……じゃあどうして……」
「そんなのこっちが知りたいわ。 本当にあなた……何者なの?」
「それこそこっちが知りたいよ……」
「まあ……強いて言うのなら、”これ”に何かあるのではないかしら?」
そう言ってフィナは足元に転がっていたサクラが謎の老婆から受け取ったナイフを器用に蹴り上げ、サクラに向かって蹴りつけた。
「うわっ!……いたっ!」
突然のことに、サクラは反射的にナイフを避けたが……腰を抜かしてしりもちをついてしまった。
避けられたナイフはそのまま岩の壁に当たり、空しい金属音と共に砂の絨毯の上に落ちた。
「それくらい受け取りなさいよ……」
「むっ無茶を言わないでくれ!」
”無様”とやや軽蔑的な視線をフィナから向けられながらも……サクラは立ち上がり、ナイフを拾い上げた。
「(……何も起きないな)」
再びナイフを手にしたサクラの体は先ほどのように変化しなかった。
ナイフを握る手に力を込めたり……軽くその場で振り回したりと……適当に思いついたことを実践してみたものの……何も起きない。
「そのナイフ……どこで手に入れたの?」
「鉱山の中で君が屍達に襲われていた時にフードを被った知らないおばあさんにもらったんだ……これはあなたを守ってくれるとかなんとか言われたけど……」
「とてもそんな頼もしい代物とは思えないわ」
「どういうこと?」
「”ミスト”を纏っているのよ、そのナイフ」
「ミスト?」
ミストはこの心界全体に流れている莫大な量の物質。
ミストは人間の欲望に集まる性質があり、人間に宿ると身体能力や知力を大幅に高めることができる。
だがその反面、欲望がむき出しになり……非常に攻撃的な人格へと変貌させてしまう副作用がある。
かつては魔素(まそ)と呼ばれ、魔法使いが魔法を使う際に用いられたエネルギーの源であった。
それが大昔に起きた精神戦争(せいしんせんそう)と呼ばれる戦争で現れた影(かげ)と呼ばれる化け物の力と結合したことで誕生したのがミストである。
「さっき倒した鏡屍が使っていた力……あれもミストを用いたものよ」
ミストは元々魔素であったゆえに、エネルギーとして用いることができれば魔法のような不可思議な力を使うことができる。
だがミストはそのあまりに膨大な量とすさまじい力故に、人間や異種族が制御することが不可能とされている。
ミストの力に染まれば、確実に大きな被害や災いを引き起こすのは火を見るよりも明らかである。
そのためミストの存在自体……一部の人間にしか知られていないのだ。
「強い恨みや未練のある鏡屍には異常な量のミストが集まっているし……死者故か、生者より負担が少ないみたいね」
屍達を首も落とさず倒し、さらには鏡屍の動きを鈍らせる力なんて……驚異でしかないわ。
本当なら預かりたいところだけれど……現状、あなたが持っているしかないわね」
「どうして?」
「……」
フィナは腰かけていた岩から立ち上がり、サクラの元に歩み寄ってナイフに触れようとした次の瞬間!!
バチッ!
「!!!」
フィナの指先が静電気に触れたかのように弾かれてしまった。
弾かれた音に驚いてサクラは思わずナイフを落としてしまった。
まるで……ナイフがフィナを拒絶するかのように……。
「見ての通り……このナイフは握るどころか触れることすらできないのよ……」
「だっ大丈夫!?」
「別にこれくらい平気よ」
「良いから手を見せて」
弾かれた瞬間、フィナが顔を一瞬歪ませたことをサクラは見逃さなかった。
フィナ自身はそのまま会話を進めようとするが……サクラは手を診ると言って聞かなかったため……仕方なく手を見せた。
「……大丈夫そうだね」
「そう言っているでしょう? だいたいあなた、医術の心得でもあるの?」
「そんなのないけれど……でも心配じゃないか」
「何もできない赤ん坊じゃあるまいのだから……こんなことくらいでいちいち心配されていたら、私の方が気疲れしてしまうわ……」
呆れたと言わんばかりに溜息をつくフィナだが……サクラは一層彼女に向ける気が強くなった。
「(洞窟で屍達に襲われた時もそうだったけど……フィナはどうも自分の安全に対する気が薄いように思えるな……大丈夫だと言っているけれど……あんな顔を見せられたらな……)」
フィナを案じつつ、サクラは落としたナイフを拾い上げた。
やはりサクラに対しては、先ほどのような拒絶反応は起きない。
「とにかくナイフはあなたが持っていなさい……どうせまともな武器なんて持っていないのだから」
「そうするよ……」
老婆から授かった不思議な力を宿すナイフ……ウェームはこうして必然的にサクラが所持することになった。
※※※
「はぁ……しんどかった」
サクラが意識を取り戻して10分後……ビリア達を救いに鉱山内へと戻っていったツキミがとてつもなく重苦しい溜息を尽きながら暗い洞窟内から姿を現した。
「勝手に自分から戻っておいて、しんどいはないでしょう?」
「うるせぇな……」
「それで? 忘れ物はどうしたの?」
「忘れたままにしておく」
「そう……」
「……」
ツキミの独特な言い回しの裏にある事実をフィナは察した。
忘れ物……すなわちビリア達はすでにこの世を去ってしまったと……。
そしてそれは……先ほどフィナから事情を聞いたサクラも察することができた。
情に流されず、事実を事実として冷静に受け止めるフィナとは対称的に人の死を受け入れきれずに顔を曇らせるサクラだった。
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「ところで……お前が拾ったその”ペット”はなんなんだ?」
「ペット……」
ペット呼ばわりするツキミの視線にいたのはサクラだった。
「知らないわ。 彼……自分の名前すら覚えていないようだから」
「(ペット呼ばわりは否定してくれないのか……)」
「とりあえず、彼のことはサクラと呼ぶことにしているわ」
「男に付ける名前にしてはちょい女々しくねぇか?」
「(引っかかる物言いだな……否定できないけど……)」
それからフィナはサクラとのことをかいつまんでツキミに話した。
サクラが所持するナイフのことも話し、フィナのように拒絶反応が出るか試すように彼女に促されるも……。
『刃物は趣味じゃない』
と言って拒否した。
※※※
「サクラ……彼が私の連れのツキミよ。 化け物じみた身体能力しているけれど……一応還暦を迎えた人間よ」
悪意のこもったフィナの紹介文にツキミが眉をしかめる。
「平然とライフルぶっ放す11歳のガキに”化け物”呼ばわりされたかねぇよ」
「(確かに……)」
「何か言いたげね……」
ツキミの反論よりもサクラの意味深な顔に目がいったフィナの目は……サクラの冷や汗をかかせるほど冷たいものであった。
「なんでもないよ……」
本能的に口を滑らせるのは危険と感じ取ったサクラは身を守るために黙秘を選んだ。
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サクラ達はそれからまもなくして、その場を出発し……この島から出るために必要な船か燃料を探しに海岸沿いを歩き始めることにした。
その間にも漁師らしき風貌の屍達がサクラ達に襲い掛かってくるも……そのたびにツキミが飛び回るハエをはたき落とすように、難なく手刀で首を落としていった。
あまりの無双ぶりに、サクラとフィナはただ傍観するだけに留まっている。
「なっなんかすごく簡単そうに屍の首を落としているね……」
「彼が異常なだけ……。 いくら屍の体が腐っているとはいえ……人の首を素手で落とすなんて常人にはできない芸当だわ」
この説明だけでは、ツキミの異常さは筋力だけに留まってしまうが……彼のすごさはそれだけなはない。
アネモネとの戦闘で見せた常人以上の俊敏さと反射神経……そして、騎士団時代に培った感知能力によって……近づいてきた屍が行動を起こす前に仕留めることができるのだ。
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「ずっと気になっているんだけど……どうしてツキミは弓を使わないだ?」
サクラとフィナを置いて1人……どんどん先へ進んでいくツキミの肩に掛けたままの弓が気になったサクラがフィナに問いかけた。
「矢をケチっているだけよ……矢は弾丸と違って、持ち歩くにも補充するにも不便だから……。
それに本来、弓矢は敵から離れた場所から狙撃するもの……向かい合った敵に対して使用するには向いていないのよ」
「じゃあどうして銃火器を持たないんだ?」
「刃物と同じ……趣味じゃないのよ」
「そうなんだ……っていうか、ツキミのことを色々知っているんだね……昔からの知り合いなの?」
「私の母の妹の夫よ……」
「それは……叔父さんって言うんじゃない?」
「あら……よく知っているわね」
「(軽く馬鹿にされたような気がする……)」
「まあ叔父と言っても、それほど親しい訳ではないわ……。
同行しているのも……鏡屍を倒すという利害が一致しているだけ……親族としての情は強くないわ」
「そうなんだ……」
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サクラとフィナが雑談を続け……周囲の屍をツキミが難なく退けること30分。
3人は浅瀬に乗り上げている小型船を見つけた。
「うわ……」
船内には2体の死体が放置され、所々は血によって真っ赤に色付けされていた。
血は乾ききってはいるものの……鼻が捥げるような独特の臭いは染みついていた。
ツキミとフィナは平然と船に足を踏み入れるが、サクラはあまりのひどい臭いに鼻を無意識に抑えていた。
「大方……乗組員の誰かが屍に堕ちてほかの連中を食い荒らしちまって、座礁したってところか?」
適当な推論を述べつつ……いつ屍となるやもしれない死体を無造作に砂浜の上へと放り投げるツキミ。
「……」
知らない人間とは言え……いずれ屍となって動き出すかもしれないとはいえ……死体を野ざらしにすることにサクラは強い抵抗感を感じ、死体に砂浜の砂を覆いかぶせるように掛け……近くに転がっていた石を置き、簡易的な墓を作った。
「そんなもん作ったところでいずれ屍になる未来は変わらねぇぞ?」
サクラの好意を無意味だと遠回しに否定するツキミに対し、サクラは静かに頷いた。
「そうだろうね……でもいいんだ。 たとえほんの少しの間でも……2人には安らかに眠っていてほしいからさ……」
「同情するのは結構だが……いちいち他人を気遣っていたら、早死にするのがオチだ。
長生きしたいなら、自分のことだけを大切にしな。 他人のために何かする……なんて馬鹿のやることだ」
「だったら……私とフィナをここまで守ってくれていたあなたも馬鹿だ」
「!!!」
サクラの言葉に一瞬……ツキミの脳内で眠っていた”ある男との会話”とリンクした。
『他人のために自分を犠牲にするのは馬鹿のやることだ』
『だったら……人を助けるために騎士団をやっているあなたも馬鹿ですよ』
フラッシュバックしたその光景が、ツキミの顔を一瞬だけ歪ませた。
「けっ! くだらねぇ……」
ツキミはすぐに冷静さを取り戻し……悪態をついてサクラに背中を向けた。
それと同時に……蘇ってしまった過去も再び、心の中に封印したのだった。
※※※
3人で船内を調べた結果……船に大きな損傷はなく、燃料も残っているため運航に支障はないと結論付けた。
無論、素人の診断ほど……当てにならないものはない。
3人は船内で話し合い……最終的な決断を下そうしていた。
「こいつで島を出てもいいが……途中で故障して遭難しても俺は責任取らねぇぞ?」
「かといって……これ以外に島から出る方法がある訳でもないし、当てもなくこれ以上島を3人で捜索するのも望み薄だわ」
「あの……そもそも2人はこの島から出てどこへ行くつもりなんだい?」
「ここから船を1時間ほど走らせたところにある港よ……私達はその港からこの島まで来たの」
「ツキミが操縦したの?」
「あぁ……無免許だがな……」
「……」
「不満ならお前が操縦するか? 俺は助かるがな……」
記憶喪失とはいえ、ある程度の常識は持ち合わせているサクラ。
とはいえ……船の操縦に関する知識はない。
失っているのか……元々持ち合わせていないのかはサクラ自身も定かではないが……。
「(どちらにしても……できないことに変わりはないな……)。 操縦お願いします」
素直に自信も記憶もないことを自白し、ツキミに船の操縦を託すサクラ。
そして3人は……小型船で島を出る決意を固めた。
ちなみに船が座礁している点については、ツキミが足1本で船を海の方に押し出したことで解決した。
「それじゃあ無事に着けるように神様にでも祈ってな」
「(どうか無事に着けますように……)」
こうしてサクラ達はガデン島を後にし……次なる目的地へと向かった。
ほぼ博打に近い運航故……不安でたまらないサクラは手を強く合わせて神に無事を祈り続けた。
「……」
船が海への向こうへと突き進む中で、フィナは離れていくガデン島に振り返った。
自分が生まれ育った故郷であり……母が眠る地でもある島……。
先を急がねばならぬ身とはいえ……慌ただしく島を出ることになってしまうことに、どこか寂しさを募らせていたのだ。
「(お母さん……いってきます……)」
心の中で母に別れを告げ……フィナは島に背を向けるのだった。
マインドブレスレット ~ティアーズオブザデッド~ 記憶をなくした主人公と幼い少女がゾンビだらけの世界で、自分を貶めて殺した屑共に復讐しようとしているゾンビを同情しつつも倒していく panpan @027
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