第25話 なら僕の手で

 あの黒髪の女を探すこと自体は、俺にとって難しいことではなかった。だが、俺はあの死体を見つけた第一発見者と真っ先に関わってしまった。そんなちっぽけな理由で、普段よりも事件の捜査に関わらなければならなくなった。


「浜北なら信用も出来るからな。頼んだぞ!」


 まさか今まで築き上げてきた信用が、ここにきて仇になるだなんて誰が分かっただろうか。なんとも面倒ことこの上ない。こんな状態で黒髪の女に接触を試みてみろ。俺に対して不信感を抱かれかねない。それに、黒髪の女だって事件に関係があると思われたらもっと厄介だ。事実に変わり無いからな。事実より厄介なものはそうそうない。


 ただ、あの黒髪の女の身元ついては、実力を使って調べたことで割り出せている。なんなら、後から追って家まで分かっているくらいだ。とはいえ、流石に誕生日や名字等はまだ分かっていないが。黒髪の女はセリと呼ばれていたので、それが名前だろう。母さんの名前は……もう覚えていないがセリではなかったはずだ。


 セリはこの近くにある高校の二年なので、年齢は十六歳か十七歳ということは分かっている。本当に、後は接触するだけなのだ。しかし、俺は俺が起こした事件を捜査しなければならない。こんなことになるなら、死体を山に埋めてしまえば良かった。何度そう考えたって何も進まないのは分かっている。考えるのを止めよう。


 俺は事件の真相を知っている。あの死体の件も、連続殺人の件も、両方知っている。だからこそ情報をまとめるのが面倒なのだ。これで回りの知らない情報や、犯人しか得られない情報をこぼしてしまえば、俺は簡単にお縄についてしまう。なので、適当にやるなんてことは出来ない。


 それからしばらく時間が経った。黒髪の女……セリはだんだん顔色が悪くなっていっている気がした。何故そんなことが分かるのかと疑問に思われるかもしれないが、理由はいたって普通だ。いつもというわけには行かないが、後ろからセリを守っているからだ。当然だろう。セリは守られる存在なのだから。母さんと同じように。あぁ、早くセリをこちら側に……


 とある日の午後、午前に薬物関係の事件を処理していた俺に転機が訪れた。セリが俺のいる駐在所にやってきたのだ。こんな都合のいいことがあっていいのだろうか! なんて素晴らしいんだろう。歓喜に満ち溢れた心を落ち着け、セリの対応をする。


「すみません。落とし物を届けにきました」


 相変わらず顔色の悪いセリは、こちらに目線を向けずにブレスレットを差し出した。


「おっ、わざわざありがとう」


 にやけそうになる顔を必死に隠しながら対応をする。ブレスレットなんてどうでもいい。今はセリと話したい。そんな感情が溢れてきた。


「あの……こういう時ってもっと聞かなくて良いんですか? 拾った場所とか」


 そんな俺に気付いていないように、セリはそんなことを聞いてきた。そんなものは俺にとってはどうでもいい。確かに事情聴取などでセリの情報は得られるかもしれないが、セリは話したくなさそうな雰囲気をかもし出していた。そんなセリに、事情聴取なんてマネはしたくない。


「いや、なんだか君が言いたくなさそうな顔をしていたから聞かなかっただけだよ。不安にさせたかな?」


 なるべく優しく語りかけてやるとセリは少し動揺しながら答えた。


「いえ……ただ気になっただけなので……」


 動揺してしまうのは仕方の無いことだ。母さんが同じようにするかは分からないが、そんなセリもいいと思えた。……違う。俺は母さんの代わりを探していたんだ。セリも母さんの代わりに過ぎない。だが、この違和感はなんだ。俺は、自分の動揺を必死に隠すため、取り繕いながら飴を差し出す。


 そういえば、彼女はあの死体についてどう思っているのだろうか。そして、俺のことを覚えているのだろうか。小さな疑問の答え合わせをしようと、俺はセリにまた話しかける。


「君、この前雨の中走ってたこだよね」


 セリはこの言葉に分かりやすく動揺した。そしてこちらにハッキリと視線を向ける。俺は、そんなセリを可愛らしいと感じた。しかし、この感情もまだしまっておかなければ。


 彼女は俺のことをうっすらと覚えていたようだ。俺の脳は喜びで満たされる。本当に今日は素敵な日だ。


「大丈夫、誰にも言ってないから。僕は浜北。浜北勇治というんだ。連絡先を渡すから、いつでも相談してきて構わない。僕は君の味方だよ」


 セリは怪しんでいるようだがこれでいい。恐らくセリの顔色が悪いのは殺人から湧く罪悪感によるものだろう。俺が警察だから言いにくいというのは承知だが、もしかしたら、重圧に負けて連絡してくれるかもしれない。そんな希望をのせて、この日はセリと別れた。


 それからまたしばらくして、セリと初めて会った日のような雨が降る日がやってきた。こんな日に、またセリと会えないかと思い、パトロール中の足を無機質に動かす。するとなんということだろうか。河川敷にセリがいたのだ。これはきっと運命だ。神とやらは信じていないが、運命というものは本当にあるのだろう。


 急いで距離をつめ、後は平時を装って話しかける。俺の声に気付いたセリが、俺に向けた瞳には光が宿っていなかった。これだ。この目だ。この目こそ母さんと同じ目だ。俺は、セリこそが母さんの代わりだと確信し、家まで自ら招待することにした。


「大丈夫だよ。なにも怖くない。僕は君の味方だから」


 家に連れ込むことはできたが、このままでは信用なんて得られにくい。なんとか信用してもらおうと、ソファーに座らせ、思い詰めていることを吐き出させることにした。するとなんということだろう。セリは泣きながら一つ一つを話し始めた。家庭環境、人間関係、そしてあの男の死体についてだ。


 驚いたのは、セリが怪異を殺したと思い込んでいることであった。馬鹿馬鹿しい。怪異なんているわけがないのに。しかしそれを信じているセリも愛おしく思えてしまった。話した内容は全て馬鹿馬鹿しいだけでなく、下らないとも思ってしまうのに。だが、そんなことを思っているなんてバレたら信用は得られるわけもないので、適当な言葉で返す。


「辛かったね。君は十分頑張ったよ」


 するとセリは、安心したような反応を示した。そして俺は気が付いた。今のセリの目は恋する目だと。あぁ、そんなの母さんじゃない。そう強い感情が湧き出るかと思ったが、自分でも驚くほどに出なかった。俺は、母さんの代わりを探していたんだ。だが、俺はセリに母さんの代わりという感情以外を抱いたらしい。なんてこった。自分も馬鹿馬鹿しい人間じゃないか。


「今更だけど君の名前を教えてくれる?」


 改めて、彼女の口から名前を知りたいと思い、声をかける。


「瀬里です。……神出瀬里です」


 そう言う愛しい瀬里に、俺は優しくこう返す。


「改めて……僕は浜北勇治。これからよろしくね、瀬里」


 こんな幸せがずっと続けば良かったのに。そんな願いは数日で消え去ってしまった。瀬里は俺から逃げたのだ。何故だ? 俺は瀬里に尽くしたはずだ。まさか何かバレたのか? おおいにあり得る。ここ数日で母さんの代わりとしてではなく、瀬里自身を愛せるようになったのだ。それなのに何故? 俺は必死になって瀬里を探した。ナイフを片手に持ってだ。もし瀬里をそそのかした悪い虫がいるのなら、俺の手で殺すべきだと考えているからだ。


 日が昇って間もない頃だろうか、瀬里の姿を見つけたのだ。しかし瀬里は俺から距離を取ろうとしたように感じた。もしかしたら誰かに脅されているのか? そう考え後を追うと、一人の男と話していた。コイツが元凶かのか。


「瀬里……探したよ。おいで、一緒に戻ろう」


 そう一言声をかけてやるが、男は瀬里と俺を引き離そうとする。だからこそ、俺は瀬里の方へと刃物を向けた。


「邪魔」


 するとどうだろうか。男は自らナイフの方へと体を動かしてきたのだ。これで男は始末できた。しかし、瀬里はまだ俺から離れていった。ここまで来ると嫌でも分かってしまう。瀬里は自らの意思で逃げ出したのだ。そう考えると悲しくなってくる。


 追いかけていき、河川敷まで追い詰め、瀬里の体にまたがることまで出来た。


「何で逃げたんだよ瀬里。俺はこんなに……こんなにも君を愛しているのに!」


 そう問いかけるも、瀬里は俺見捨てようとする。俺が今までどれだけ瀬里に尽くしたかを答えても、それは変わらなかった。


「なぁ瀬里。君は俺についてきてくれるよな? そうだよな? 見捨てたりしないよな?」


 俺は認めたくなかったのだ。瀬里が俺を見捨てるなんてことを。しかし、現実とは時に残酷であることを、俺は母さんの死でよく知っている。


「浜北さんは、私の側にいるべきじゃない」


 瀬里は落ち着いた口調で、俺に優しくそう告げた。いっそのこと俺をもっと堂々と突き放してくれれば良かったのに。そうすれば、瀬里をもっと嫌いになることが出来たのに。


「おやすみ、瀬里」


 もう、瀬里を母さんの代わりとして見なくとも駄目なんだ。そして俺は、一思いに瀬里を眠らせた。

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