第31話 綺麗じゃないの

 私のお父さんは物心がついた頃に死んでしまった。確か、死んでしまったのは交通事故だったはずだ。うろ覚えではあるが、今でもお父さんの顔は覚えている。しかし声は私の意思に反して忘れかけてしまっている。


 お母さんはお父さんのことを大切に思っていたから再婚なんてしなかった。だから私は母子家庭。別に不満な気持ちなんて無い。私もお父さんの代わりなんて考えられなかったから。でも、お母さんは私が気にしていると思っているのか、度々謝ってくる。今までお父さんの収入に頼っていたせいで、余裕がなくなったことも関係してるのだろう。


「ごめんなさい柚。貴女に苦労をかけてしまって……」


 そう言われる度に何度も"気にしてない"と伝え続けたので、最近は言わなくなった気がする。でもたまに、疲れている時には呟いている。専業主婦だったのに、生活と私のために必死になって働いてくれるお母さんには、本当に感謝してもしきれないっていうのに。


 高校受験の時、私はお母さんに苦労をかけたくなくて、最初は働きに出ようとすら考えたよ。でもお母さんはそんな私を必死に止め、考え直すように言って説得してきた。


「貴女が我慢する必要なんてないの。学費は心配いらないから」


 なら、せめてもの恩返しとして、良い高校に行こうと必死になった。しかし、私は勉強が出来ない。どれくらい出来ないかというと、一を聞いて一を知るか知らないかというレベルだ。自分でもなんでこんなに出来ないんだろうと疑問に思うことが多々ある。


 そんな私にも、唯一の救いと呼べるものがあった。それは、評定はそこそこ悪くなかったということだ。そのかいあってか、私は推薦によって進学校の名高い高校へと進学できた。合格が決まった日なんて、お母さんと二人で思わず涙を流してしまったくらい嬉しかったのをよく覚えいる。


 自分の偏差値にいくつも足しても足りないくらいなのに受かったのだ。奇跡としか言わないでなんと言えば良いんだろうか。でも欲を言えば学費免除とかを使って、もっとお母さんに楽させたかったな。せめてもっと勉強出来れば。そう思わずにはいられなかった。


 高校の入学式の一週間前に、お母さんは入学祝としてスマホを買ってくれた。最新機種ではなく、何代も前のものだったけど、嬉しいことに変わりはない。


「お母さんほんとに良いの!? こんなに高価なもの!!」


 驚いて声をあげる私に、お母さんは優しく話しかける。


「値段なんて気にしなくてもいい。高校、楽しんできなさい」


 スマホは決して安くない。一体どこからそんなお金を用意したのだろうか。ふと、お母さんの指先を見ると、ささくれができてしまっていたり、ガサガサしていたりと、荒れているのが分かる。よく見れば、服も少しよれていた。


 お母さんは沢山沢山働いて稼いだお金を自分のために使わずに、私のために使ったのだ。スマホなんてなくても生きていけるのに、わざわざ私に買ってくれたのだ。私は恵まれていると、そう実感した。このスマホを出来る限り大切にしよう。


 同じ中学からきたこがゼロから始まり、不安な気持ちが大きい高校生活。最初はクラスのこともよく話していた。だけど、どうもテンションというか、話す内容が合わなくなってしまったのだ。しかも、私はだんだんと授業についていけなくなってしまったのだ。テストの点なんて酷いもので、苦手な勉強を必死になってやっても最下位という悲しい事態になっている。


 だが、そんな私にも二学期になってテンションの合う、友達と呼べる存在が四人できた。話をしてみると、私と同じ推薦で入ったこのようで、いろいろなことで共感することが多かった。この子達とならやっていけるのかもしれない。


 そう思ったのも始めの一ヶ月だった。このこ達はとにかく悪口が多かった。あの先生がどうだの。あの先輩がこうなの。正直聞いてて良い気持ちなんてしない。だから私はいつも愛想笑いをするしかなかった。意見もなるべくみんなに合わせるようにした。たまにどうでも良いことで冗談や意見も言って、意見がない奴だと思われないようにするしかなかった。


 しかし、そんなものも長時間やってられない。ある時の昼休み、つい疲れた私は用事があるからと言って逃げ出してしまった。この後とどこで時間を潰そう。感情に任せて逃げてしまった仇が出てしまった。仕方がないので校内を探索する。すると、同じクラスの神出さんがどこかに向かっているのが目に入ってきた。


 どうせやることがないし、面白半分で後についていこうかな。また感情に任せて行動する。もうこれが一番の取り柄と言って良いほど繰り返している気がするな。スパイのようにだなんて考えながらついていく。


 たどり着いたのは一度と行ったことのない図書室だった。もしかしたら、ラノベみたいに何か変わったことでもおきるんじゃないかという妄想は現実にならなかった。少し残念な気もする。もう時間を潰せたし、少し気が重いけれど戻ろうか。


「何してるの波切さん」


 そう思い背を向けた時、突然後ろから神出さんの声が私に向けられた。バレていたのかと慌てて後ろを振り向く。神出さんは真っ直ぐ私の方を向いて、私の答えを待っているように見えた。


「いや……別ニ怪シイコトシテタワケジャナイヨ」


 思わず片言で返してしまったが、言い方といい内容といい怪しい以外の何者でもない。神出さんの雰囲気からしてこういうのは嫌いだと思うし……もしかしたら既に嫌われているまである。最下位だし、普段から騒がしいし、嫌われても仕方がないかもしれないが、出来ることなら嫌われたくない。心臓がドクドクと激しく動く。


「……大丈夫?」


 あまりにも私が怯えていたからか、はたまた別の何かがあったのか。神出さんは一言だけ私に向けた。表情や口調から感じとるに、ただ私を心配してくれているように見えた。


「大丈夫大丈夫! あっ、あー! なんか急に本が読みたくなったな~!」


 何を言っているんだろうかと自分でも思う。だけど、こうした方がいいと私の勘が言っている気がした。もしかしたら、神出さんのことも知れるかもしれないし? 図書室も入ったことがなかったし? とにかく私はパニックになっていた。


 その後、神出さんが"じゃあ行こ"と言ったのを合図に、二人で中に入る。丁度司書さんはいなかったし、他に人もいなかったので思わず神出さんに話しかける。


「神出さんっていつも図書室に来るの?」

「いや、そんなに来ないかな。来ても週に一回くらいかな」


 始めはうっとうしく思われるかなと思ったけれど、思いの外気さくに答えてくれた。その後も勢いに任せて色々と質問を繰り返した。絶えず答えが返ってくるので余計にだ。好きな曲は? 部活には入ってるのか? 普段は何を勉強してるのか? 思い付く限りの質問をぶつけた。


 司書さんが来た時、私はハッとして今の行動を振り返った。もしかしたら不快に思われたかもしれない。迷惑だったかもしれない。不安の気持ちが押し寄せる。しかし、図書室を出て教室に戻る時だった。


「楽しかったよ。よければまた話そ」


 神出さんは私に向かって、確かにそう言った。目を合わせてそう言った。あの時の嬉しさは今でも忘れない。この時をきっかけに私は神出さんと一気に仲良くなった。お互い名前で呼ぶようになった。今でもたまに信じられない。


 質問すれば基本的には何でも答えてくれるので、勉強のことを聞いたり、瀬里自身のことを聞いたりした。そのせいか、私は瀬里のことをよく知ることが出来たし、勉強もましになってきた。あの四人よりも、一緒にいて心地よかった。


 本当に友達になれて良かったと思えた。しかし、同時に妬ましい感情も生まれてしまった。

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