第30話 知った僕

 僕は職員室から戻りながら、自分のなにも出来なかった、聞き出せなかったことに対する無力感に襲われていた。まるでとても重い石が方に置かれ、地面からツタが巻かれているように足が鈍い動きをする。このままでは駄目だ。暗い気持ちに呑み込まれないようにしないと。


 しかし落ち込んだ気分は治らず、結局小さなミスをいくつもしてしまった。その結果、少し早めに帰ろうと思っていた僕は、暗くなっても帰れずにいた。作業途中のパソコンを目の前に、少し大きなため息をつく。


「はぁ……」

「どうしたんです末兼先生? 悩み事ですか?」

「いや、ちょっと……自分のミスが続いてるだけです」


 先程まで空席だった隣から、いきなり声をかけられ、とっさに今の言葉を返す。金原先生は少し心配した……というよりは察しているような、見透しているような雰囲気を纏い、僕の方を見た。長年の教師の勘というやつだろうか。


 それにしても、なんと話せば良いのだろうか。悩みながらもふと、金原先生の手元を見てみると、古びた古文書があるのが見てとれた。


「それは……?」

「あぁ! 前探しておくと言った資料ですよ。遅くなって申し訳ないですね。書庫の方にあると思ってたら生徒が持ってたんで見つからなかったんですよ。さっき回収しましたけどね」


 その古文書はこの地域の昔の人が書いたもので歴史なんかが記録されているものなのだそうだ。その相手の生徒とは神出の事だろうかと思い、さりげなく聞いてみる。しかし言葉は途中で遮られてしまった。


「その生徒って」

「波切さんですよ波切さん! 全く許可もなく勝手に持ち出して……どうせ噂が気になって調べてたんじゃないですか?」


 金原先生はそう言って内容を僕に教えるために古文書を読み始める。僕は気になって後ろから除くことにした。金原先生は小さく呟きながら読み進めていた。根っからの理系人間の僕には難しく、昔の文字で書かれているので、とてもじゃないが読めたものではなかった。生徒なんて相当古文なんかが得意じゃなければ読めないだろう。何故波切はこんなのを読んでいたのだろうか。


 数分後、金原先生が顔を上げる。読み終わったというよりは、大事そうな部分を切り取って読んだようだ。僕よりもスラスラと読んで理解しているのを見て、流石現役国語教師だと思う。


「ここ、分かります? ここにこの地に伝わる怪異についてと書いてあるんですけど」


 そう言って差し出されたページの文は読めなかった。しかし、下の方に小さく人が描かれていた。それは一つの物語のようで、なにやら文章とリンクしているようにも見える。


「一つずつ読んでいきますよ?まず──」


 そうして単語ごとに読み方を教わりながら、内容を頭でまとめていく。書かれていた内容を噛み砕いて訳すとこうだ。


 "この地には、とある怪異が存在している。名を心喰いしんぐいといい、名前の通り心を喰らう化け物である。心喰いは人間の不幸を好み、自らの手で一つの願い叶える代償として闇に落とす邪悪な存在である。姿などはなく、纏わりつく雰囲気のような存在であるので、祓うのは不可能である。このせいで、多くの者が死に、多くの者が苦しめられた。なんと嘆かわしいことであろうか。しかし、殺す方法は二つ存在するのだ。一つは対象の気を強く持つことである。そして、もう一つは憑かれた本人が死ぬことである。そうしなければ、親しき者へと乗り移る"


「この続きが次のページにあるんですがね」


 文章と絵は、次のページにも繋がっていた。"正し、憑かれた本人が自らの手で殺すに限る"その文が意味するのは、おそらく自殺の事だろう。自殺しなければ怪異から解放されないなんて最悪だ。最後にはとある文があった。


 "ものに宿った唯一の心喰いは開名寺あり。触れるべからず、願うべからず"


 なんとなく、これが噂の元凶だと納得してしまった。神出が憑かれているとかは分からないが、絶対に近付いてはいけない、触れてはいけないということはよく分かった。


 次の日、今日は何事も無いのだろうとたかをくくり、三時限目を終えた僕は職員室へと向かっていた。そして下駄箱の横を通った時、丁度神出が登校してきたのだ。僕は今日も声をかける。いつか彼女が僕に気を許してくれることを願いながら。


「おはよう神出、なんだ? 遅刻か?」


 わざと彼女が重く受け止めないように、軽く言ってやる。しかし、神出は黙ったままだった。今朝何かあったのだろうか。今度こそは、今こそはと考え、同じ言葉を掛ける。


「そうだ神出。何回も同じ言葉になってしまって申し訳ないが……何かあったら相談しろよ?」


 いつも通り無いですの一言で終わると思いきや、返ってきたのは苦しい声だった。


「相談して……なんになるんですか?」


 神出は、そう言って下駄箱から出ていってしまった。追いかけなくてはいけないと、脳が指令を出すも、僕は彼女の辛そうに歪める顔が忘れられず、ただただ立ち尽くすしかなかった。


 それから約一週間、神出は登校してこなかった。僕が悪いのだろうか。僕があんなことを言ってしまったから? それとも他の何かが? 疑問が頭の中を走り回る。


 完全に今になって思えばという話だが、僕は彼女を悲撃のヒロインのように扱っていたのかもしれない。勉強に縛られた彼女が何かに救いを求めるということに酔いしれていたのかもしれない。僕は彼女を助けたいと思っていなかったのかもしれない。現に、怪異についても調べなきゃと何度も考えておきながら、一度も調べようとしなかったのだ。僕はそんな人間じゃないと思いたいと、今の僕はそう願うようにするだけだ。


 そんな感情を抱いた日の朝、僕が刺されることになるだなんて誰が予想しただろうか。バスの点検のため、一番始めのハズが無かったのだ。仕方なく歩きで学校へと向かう。そんな時に、神出が走っているのが見えたのだ。息を切らしながら、まるであの雨の日に見た生徒のように逃げている。


 僕に気づいているのかいないのか、丁度僕の方へと逃げてきたので思わず声をかける。神出は、いつもよりよくも悪くも表情が豊かになっているように感じた。心なしか、何時もより僕に肯定的にも感じる。


「大丈夫か? そんなに息を切らして。取り敢えず落ち着いて」


 そう声を掛けるも、神出を追ってきた何者かが目の前へと現れた。そいつは神出に親しげに話しかける。


「瀬里……探したよ。おいで、一緒に戻ろう」


 その言葉を放つ男はどこか狂気じみており、決して神出にとって良い存在ではないと察した。誰だか分からないのに強くそう感じるのだ。


「生徒に手を出さないでください」


 そうして体をはって神出との距離を遮る。神出は僕が守るのだ。例えそれが偽善だろうと自己満足だろうと守るのだ。そう言い聞かせ、震える足を黙らせる。しかし男はナイフを神出へと振りかざしたのだ。あぁ駄目だ! 止めろ! その感情だけで体が動く。


 数秒もたたないうちに痛みに襲われ、意識が書き乱される。ふと男に視線をやれば、元々僕を刺すつもりであったかのような、やってやったという顔をしていた。神出は驚いた表情で僕に近付こうとする。駄目だ。早くもっと安全な場所へ行くべきだ。


「早く逃げなさい」


 痛みをこらえながらその一言を放つ。そして、全力で眼で訴える。神出には上手く伝わったのか、この場を離れていった。そうだ、これで良い。男も、さっさと行かせてしまったのは失態だったが……。震える手でスマホをとりだし、緊急連絡先に電話をかけたところで手に力が入らなくなった。


 スマホから聞こえる声など頭に届かず、僕は何故ここまで神出にかまってしまったのかということを呑気に考えていた。僕は……なんでなんだろうか。考えれば考えるほど答えがでないので、もうやけくそになった僕は、最初に思い付いた理由を、始めに思い浮かんだものにした。結果、彼女の笑顔が見たかった。それを理由にした。

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