第19話 謝罪を添える本心を

「ねえ瀬里」


 柚が私の名前を呼ぶ。とても優しい、思いやりがある寄り添う声だ。


「こんな私だけど……頼ってくれないかな」


 私は、何度も裏切りのような感情を味わった。信じたものは全て事実と異なって、自分で勝手に傷付いた。今、柚の手を取ったらどうなるのだろうか。また同じ思いをするのだろうか。それとも、本当に救われるのだろうか。柚の瞳は揺れている。それに写る私は、苦しそうであった。吐き出すことで、一時的にでも楽になれるなら。その気持ちを元にして、私はゆっくりと話し始めた。


 私は人を殺してしまったということ。悪夢で見た黒いソレらのこと。悪夢によって思い出された過去のこと。頭に思い付いたものを片っ端から話していった。途中で涙が溢れてきたせいか、声が震えている。柚は相槌をうちながら、何度も"大丈夫"と言ってくれた。最後まで私を見捨てず、優しく包み込んだ。


「確かに、瀬里も悪いところあったよ」


 私が全てを話し終えると、柚は自分の話等せずに私へ否定の言葉をかけた。しかし、その声はまるで私を諭すようなものだ。柚は続ける。


「でもね、全部瀬里のせいじゃない。瀬里は瀬里なりに頑張ってるよ。偉いよ。凄いよ」


 その言葉に救われていく。柚の言葉は続く。


「だからこそ、その努力を消さないように、無くなさいように。これからに目を向けよ」


 そして、最後に柚は言う。


「過去は変えられないよ。でも未来は変えられる。何回も使い古されてる言葉かもしれないけど、これは事実だから」


 その柚の言葉達は、私にずっとかかっていた霧のようなものを、晴らすようにして言った。きっと、同じ言葉を外の人に言われたってこうはならなかっただろう。柚だからこうなれたのだ。柚が、私の親友だからこそこうなれたのだ。自然と頬が緩むのを感じる。


「ありがとう」


 気付けばとても小さな声でそう呟いていた。その言葉が柚に届いているかなんて分からなかった。いつか、この言葉をハッキリと言えるようになりたい。そう強く思った。


 そこから先はあまり明確に覚えていない。覚えているのは、柚に電車賃を借りたことと、駅までの道のりで何時もの学校帰りのように話したと言うことだけであった。確かその時にもう一つ、怪異を殺す方法を教えて貰った。どこで知ったかは知らない。おそらく私に隠して読んでいた古文書かもしれないが、それが真実とも限らない。


 怪異を殺す方法。それは、強い心を持つことだと言う。私に出来るかは不安であるし、確証なんてものは勿論と言っていいほど無い。だが、柚が掴んでくれたこのチャンスを、希望をもう逃したくないと思うのだ。


 数日ぶりに家の前にたつ。風景は当たり前だが変わっておらず、今日も静かであった。母は、家にいるのだろうか。もしいるなら、鍵を開けてくれるだろうか。母がいなかったり、開けてくれないのなら、予備の鍵を使ってでも開けるつもりではいる。だが、欲を言うなら、母に開けて貰いたい。


 玄関のインターホンを鳴らす。果たして母は開けてくれるのだろうか。インターホンから声が聞こえる。


「……どちら様です?」



気力がこもっていないが、間違えなく母の声だ。私は勇気を振り絞って声を出す。


「お母さん……私。瀬里だよ」


 すると、数秒後に扉が開き、母が勢い良く抱き締めてきた。なんだか、最近色々な人に抱きつかれている気がする。母はなにも言わずに私を抱き締め続ける。五分程たった頃だろうか。ようやく母が抱き締めるのを止めた。しかし、肩には手を置き続けている。


「おかえりなさい。瀬里」


 私の目を見てハッキリと言う。私は、その一言だけで自分が見捨てられていないということを実感した。あぁ、とても居心地がいい。


「ただいま。お母さん」


 やはりここが、私が帰るべき場所なのであるのだと、優しさが教えてくれた。


 母はリビングで座る私に、暖かいホットミルクを差し出して、向かいの席へと座る。今こそ事の顛末等を話さなければ。そう思うが、どうにも口が開かない。視線が段々下へと向かう。話さなければ解決しない。失望されるかもしれないが、母を裏切りたくなかった。裏切られる悲しみを知っているので、よけいにそう思う。


 リビングでは永遠と沈黙が続いてるように感じる。唯一聞こえる音といったら、時計の秒針の音くらいだろう。視線は完全に下を向く。その時、頭になにかが触れた。母が、私の頭を撫でているのだ。


「いつか……落ち着いたら話してね」


 撫で終わると、一言そう告げてこの場を去っていった。時計を見れば、あんなに長く感じた時間はたった十五分だけであったと教えてくれる。それだけでも、私の心には強い気持ちが芽生えた気がする。これから怪異に打ち勝とうと言う気持ちが。


 今夜は夢を見るだろうかと考えながら、自室のベットに身を投げ、眠りにつく。ふと、目を開ければ辺りは白く、地平線のみが見える何時もの空間に立っていた。液体は足首にも満たないほどの深さで広がっている。さて、この後はどうしようか。また黒いソレらはくるだろうか。


 取り敢えず歩かなければ始まらないと思い、一歩、また一歩と歩みを進める。何十歩、何百歩と歩くと、足元の液体に私ではない波紋が広がった。思わず後ろを振り返ると、いつもとは違い十m離れた場所に、黒いソレが立っていた。思わず身体を向き合うように動かす。


 黒いソレは近付いてくること無く立ち尽くしている。不思議と恐怖の感情はなかった。一歩、また一歩と黒いソレに近づく。それでも向こうは動かない。段々と黒いソレが、自身と同じ形状をしていることに気がつく。


 距離が一mを切り、私も立ち止まる。黒いソレは何のリアクションもみせない。私は、機械的に声をかける。


「あなたは誰?」


 すると、先ほどまであったはずの距離が無くなった。黒いソレは私の肩に手を置き、語りかける。


「私はあなたの恐怖。そして、私はあなたそのもの」


 その言葉に対し、私は矢のように反論する。


「いや違う」


 すると黒いソレは段々と形状を変え、私にまとわりつき始めた。次第に恐怖が沸き上がるが、柚の言葉を思い出し、勇気を振り絞って立ち向かう。


「ナゼ……ソウイウ……。ワタシハ……オマエダ」


 言語が片言になっている。黒いソレが放つ覇気のようなものは、私の恐怖心をくすぐる。臆してはいけない。そう分かっていても蝕んでくる。勇気を出せ。私は大丈夫。私は駄目人間なんかじゃない。もし本当に駄目人間だとしても、これから変えればいい。自分なりに強い心をもって立ち向かう。


「あなたは私なんかじゃない。私は負けない」


 この、相手にも、自分にも向けた言葉は、一種の強がりのようなものかもしれない。けれど、強がりだとしても確実に成長できている気がした。黒いソレが私を取り込もうとする。都合良く光が現れ、私を助けるなんてしなかった。しかし、恐怖で気が狂うなんてことはなく、一夜を終えた。


 十一月二十日の月曜日、朝日の光で目が覚める。完全に疲れがとれたわけではないが、いつもの何倍も身体が楽になっている気がした。気持ちの考え方でこんなにも違うものなのだろうか。珍しく母もまだ家におり、何年ぶりかの母の朝食を食べた。過去に味わった物と何ら変わりはないが美味しいということに変わらない。むしろ懐かしく、小さな私だった頃を思い出す。母はこちらに顔を向けなかったが、微笑んでいるように思えた。


 制服に着替え、最低限のお金を持ち、学校へ置いていった鞄の代わりに、少量の教科書をいれていく。出発の用意が出来た。後は、母に全てを伝えるだけだ。しかし、今の母はこれから仕事らしく、忙しなくしていた。なら、帰ってから話そう。


「お母さん。行ってきます」


 返事は返ってこないだろう。しかし、どうしても言いたかったのだ。扉に手を掛けたその時に、母からの返事があった。


「いってらっしゃい」


 その一言だけで、私は救われた感覚に満たされる。大丈夫。母なら、私を認めてくれる。そう思えたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る