第16話 過去の鎖の夢

 人と一緒に食べた夕飯でこんなにも楽しかったのは久し振りだ。歯ブラシ等の小物も新しいものを、私専用に用意して貰った。行動の一つ一つに感謝の感情しかない。お風呂からあがり、二階の部屋にあるベッドへと沈む。浜北さんいわく、ここは浜北さんの母親が使っていた部屋だそうだ。そんな部屋を私が使っていいのかと聞いたが、問題ないといわれてしまった。なんなら部屋の物も好きに使ってもいいとまで言ってくれた。


 ここまでされると、逆に申し訳ない気持ちが表れてくる。いや、暗い気持ちになっては駄目だ。何か別の事を考えようと脳内を探ると、柚が書いた怪異のメモについてを思い出した。


 怪異の名前は心喰しんぐいといい、その名の通り心に取り憑く怪異であるらしい。願いを一つ叶える力を持っている反面、取り憑いた相手に悪夢等を見せ、心身を弱らせたのちに取り憑いた相手を殺す。殺すといっても、自殺に導くだけらしが……。怪異を退治する方法は、憑かれている人が死ぬしかない。また、この怪異は古くからこの土地に存在している。


 メモに書いてあったのはこれだけだったはずだ。もし柚の集めた情報が間違っていなければ、私はこの心喰いに憑かれていると考えて間違いはないだろう。どうしたものか。実質憑かれたら終わりの怪異に憑かれているだなんて。私は死ぬしか無いのだろうか。嫌だ、私はまだ生きていたい。それに、せっかく今素敵な環境を手に入れられたのだ。せめて、もう少しだけこの自由を味わいたい。


 最初はただの純粋な気持ちであったつもりのものが、より一層複雑化していく。暗くならないように考えた話題が、より私を暗くしてしまった。いい加減にしなければ。それに、まだ私が死ぬと決まったわけではない。環境だって変わったのだから、悪夢だとしても内容が変わっているかもしれない。もしかしたら悪夢ですらないかもしれない。よく分からない自身が私を守り始める。この気持ちのまま眠りにつこう。そう思い、私は布団の中へ潜り込んだ。


 今日の夢はいつもと様子が違った。液体しかない真っ白な空間ではなく、自宅のリビングに立っていたのだ。思わず、今までの事が逆に夢であったのかと身構えたが、直ぐに違うと悟る。机の上に梟の置物が置いてあったからである。あの置物は私が三歳の時に買って貰ったものであり、貰ってから一週間以外は自室で大切に保管しているからだ。つまり、ここは私の過去ということになる。


 何故この時期が夢になったのだろう。疑問が頭に残る。丁度その時、誰かがリビングへとやってきた。急いで隠れようとしたが間に合わず、その人物と対峙してしまう。慌てて相手へと目線をやれば、幼い頃の自分自身と母がいた。やはり、洋服や髪型、容姿等を見るに私が三歳の頃で間違いない。私の存在に驚かれるかと思っていると、二人は私に目もくれず椅子へと座った。どうやら、今の私の姿は向こうに見えないようである。


 母の手には塾のパンフレットが握られており、これから小さな私と真剣な話をするようだった。少し嫌な予感がする。


「ねえ瀬里。貴女は将来何になりたいんだっけ?」


 何故か冷や汗が流れる。これは現実で本当に起こった日の夢だ。そして、私はうろ覚えであるがこの日の事を覚えている。というより、本当は今思い出したのだが。私の深層心理で深く眠っていた記憶だ。私が自身の意思で眠らせたのだ。


「しょうらい? お母さんみたいなお医者さんだよ!!」


 二人とも今すぐ話を止めてくれ。せめてこの夢が覚めてくれ。そんな願いなど届くはずもなく、母がまた話し始める。


「じゃあ……塾に通って勉強しないと。お友達と遊べなくなるけどそれでも通える?」


 止めろ。止まれ。気付けば私の身体は小さな私の口に手を当てようと動いていた。しかし、その手は透けて、私はその場に転んでしまった声は止まることを知らなかった。。


「じゅく……? 通えるよ?」


 そう言う小さな私の瞳は純粋に見え、同時にこの決断を後悔するなどと予想していないようであった。根本的に理解していなかった。この時、首を縦にさえ振らなければ、医者になりたいとさえ言わなければ、こんな私にならなかった可能性だってあったはずなのに。今更こんなことを後悔しても、もう遅いというのに。反射的に目を背ける。


 突然場面が学校に変わる。辺りを見渡すに、私は昔通っていた小学校の教室にいるようだ。椅子などはあるものの誰もいない。不思議に思っていると、窓から声援が聞こえてきた。気になって閉じた窓から覗いてみると、運動会をしているようだった。リレーをしているようで、今は丁度最終レースが始まるところだった。


「それでは! 位置について! よーい……スタート!!」


 その掛け声とピストルの音が鼓膜に伝わると、選手である小学生達が走り始めた。その中に、小さな私が走っていた。決して早くはなかったが、一生懸命に走っていた。全員がゴールへとたどり着く。記憶にある結果とこの夢の結果は同じで、六人中五位であった。


 この頃も今も順位に対して特に何も思わない。だが、確かこの後とても寂しく思った記憶がある。他の子はゴールで父親か母親、お祖父さんやお祖母さんに誉めて貰っている。最下位の子もそうであった。対して、小さな私は誰に誉められることもなく自身のテントへ戻っていく。あの時の感情も、今の今まで忘れていたのに。


 その後も度々画面が変わっていった。授業参観で味わったあの悲しみの感情や、初めての全国テストで味わったあの絶望の感情、突如として向けられた嫉妬に対する嫌悪の感情。次々と思い出す。


 そして、また場面が変わった。時間的にこれが最後の場所だろうと考え辺りを見渡す。今までと違い、音が何も聞こえてこない。ここは……忘れもしない開名寺である。丁度私が洞窟へと入っていったところである。ということは、もうすぐ柚が現れるはずだ。洞窟の外で見守っていると、私の予想だにしない人物が洞窟へと入っていった。


 その人物は、夢で私に"お前が殺した人間"と言ってきた男性と酷似している。最悪の予想をしてしまった。杞憂に終わってくれと願ったが無情であるようだ。一分も経たずに石を拾った柚が走って洞窟の前まで現れ、石を投げ始める。何か叫んでいるようだが、相変わらずこちらには何も聞こえない。


 柚が去って五分以上経ってからだろうか。雷の光と共に強い雨が降りだした。あの時と同じ雨だ。直ぐに私が洞窟から逃げ出して行く。服には、赤い何かがついていた。対して、男性は一向に出てこない。私はこの状況を見て、察せないほど馬鹿ではない。つまりはそういうことなのだ。


 場面は変わらず私はその場に立ち続けた。今まで現れた場面は全て私の記憶通りであった。つまり、この場面も真実という事なのだろうか? いや、まだそうと決まったわけではない。第一、過去の記憶と同じだといえ視点が違うのだ。本人の視点からみてるわけではないのだ。だから、このように見えるものは全て、脳の思い込みが作った虚像であるのだ。そうだ、そうに違いない。


 私が殴ったのは怪異だ。人間なんかじゃない。だからこそ私は怪異に憑かれたんだ。じゃないと私が憑かれた原因が分からないじゃないか。そこまで思考すると、様々な可能性が頭に浮かんでくる。怪異が元々その男性に憑いていたのでは? 洞窟の中に怪異が潜んでいたのでは? ブレスレットに憑いていたのでは? こじつけのものもいくつか思い浮かんだ。全部が単なる私の思い込みであって欲しいと願う。


 そうやって自分に何度も、何度も何度も何度も言い聞かせる。しまいには声に呟くくらいにまでに至っていた。

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