第15話 救いの手に見えた

「こんな場所で何をしているんだい?」


 無気力になっていた私は、声のする方へゆっくりと顔を向ける。そこに立っていたのは、警察官である浜北であった。傘を私の上へ差し出しながら、浜北は続ける。


「このままじゃ風邪をひいてしまうよ。僕の家はここから近いから一旦おいで」


 雨によって段々と冷静になってきているものの、疲労からか頭が回らなかった。何かされる可能性は捨てきれない。だが、浜北は私の詳しい素性は知らない。怪異を殴った時の帰り等に出会っているだけだ。そんな相手なら事実を話せる気がしたのだ。


 なにより、相手は警察官である。私を学校や家に連れ帰そうとする様子は見られないのは不思議に思うが、信用しても問題ないだろう。今はこの差し出された手を掴みたい。そうして私は手渡された傘を受け取った。


 浜北の家へ向かう最中は互いになにも話さなかった。私は一歩後ろを歩いて浜北へついて行く。浜北は私を気遣ってか、はたまた勝手に別の場所へ行かないようにか、度々こちらに視線を向けた。私がいると分かると微笑んだような顔をしてくれ、その顔を見る度この人ならという感情に駆られる。


 浜北の行動から、無意識のうちに警戒が薄くなっていった。交番であった時とは大違いだ。こんなにも人への気持ちというのは変わるものなのか。なら、この人が私を知って、私に失望するまではどれくらいだろうか。ここで事実を話して、裏切られた話なんてものは沢山聞いてきた。浜北は……大丈夫だろうか。


 不安から足が重くなっていく。すると、そんな私を気遣うように、浜北は私の隣で歩き始めた。このような行動を私にし続ける。まるで私に、"自分は君の味方だ"と言うように。気付けば、私は浜北を信用できる人物として見るようになった。


 浜北に連れてこられたのは閑静な住宅街の一角にある、二階建てのアパートであった。隣等には誰も住んでいないと思うほど静かで、物がおいておらずどこか寂しさが残っている。


「いまタオルを持ってくるから」


 そう言って浜北は奥の部屋へと行ってしまった。一人残された私は、玄関に立ち尽くすしかない。ふと、隣の靴箱の上に目を向けると、小物が沢山あった。ライターや髪ゴム、コンパクトケースのような何かまで置いてある。そしてその中に、大切そうに飾られた一枚の写真があった。写真には優しそうな、黒髪の女性が微笑んだ表情で写っている。目が笑っていないように感じるのは私だけだろうか。しばらくその写真を見つめていると、浜北が白いタオルを持って戻ってきた。洗濯したてなのか、微かに柔軟剤の香りがする。


「お待たせ。これで体を拭いて」

「ありがとう……ございます」


 身体を拭き、リビングに上がらせてもらうと、浜北がソファーへ座るように言ってきた。言われた通りに座れば隣に浜北が座る。何故か、隣に人がいることに少し安心感を覚える。しかし、今は学校にいるはずの時間。そんな中出歩いている私は、他人の目から見て不良に他ならない。何か聞かれるはずだ。


 可能な限り質問には正直に答えようと考えているが、どこまで話せばいいかが分からない。どうすればいいのだろうか。分からなくなり顔を伏せることしかできない。


「大丈夫だよ。なにも怖くない。僕は君の味方だから」


 そう言いながら浜北がココアを差し出し、背中にに手を置いてくれた。ココアを受け取り、浜北の手から熱に浸ると、私は途端に涙を流した。何故泣いているのだろうか。最初は分からなかったが、浜北が"大丈夫。大丈夫だよ"と話しかけてくれたことで、自分自身が既に限界を迎えていたことを悟った。


 直ぐに口から色々と思い詰めた事が洪水のように出てくる。怪異に憑かれた日の事、母親の事、友達の事等、見境なく話し出した。


「私がッ…私が悪いのに! 駄目人間なのが悪いのにッ!!」


 浜北は一通り聞き終わると、とても優しい声でこう言った。


「辛かったね。君は十分頑張ったよ」


 その浜北の言葉に救われた気がした。最初は辛さからの涙が、段々と報われたことに対する喜びや安心の涙へと変わる。話した内容の中には、勿論私が悪いものもあった。しかし浜北はそれに触れようとしない。それだけでもとてもありがたかった。


「しばらく落ち着くまで僕の家にいるといいよ。学校や家には僕から連絡する」


 浜北から連絡して、怪しまれないだろうか。浜北自身が誘拐を疑われる可能性だってあるのに。不安の気持ちが表情に出ていたのか、浜北は優しく大丈夫だと言ってくれた。


「なにより僕は警察官だからね。市民を……君を守るのが僕の仕事だから」


 確信めいたなにかはないが、不思議とその言葉を信頼できる。いつしか浜北……いや、浜北さんは私の中ですっかり怪しい人から救世主へと変わっていた。いつか、報われる瞬間が来るという言葉なんて信じていなかったが、本当にあるのだ。


「今更だけど君の名前を教えてくれる?」

「瀬里です。……神出瀬里です」

「改めて……僕は浜北勇治。これからよろしくね、瀬里」


 下の名前を呼び捨てで呼ばれたことに驚いた。浜北さんは"あ、ごめん。気持ち悪かったよね"と言っていたので癖かなにかでそう言ってしまったのだろう。呼び捨てでも、浜北さんなら悪い気はしない。


「大丈夫ですよ。下の名前の呼び捨てで」


 そう目を向けて言う。それを聞いた浜北さんは、少し嬉しそうであった。


「ありがとう瀬里」


 私は、しばらく浜北さんのアパートの二階の部屋で居候させて貰うことになった。せめてものお礼として、家事を手伝おうとしたが断られてしまった。それならせめて掃除だけでも思ったが、それも断られてしまう。


「瀬里には部屋でゆっくりしていて欲しいんだ。僕は君がいるだけで嬉しいんだ」


 そう暖かい言葉を貰ったので、お言葉に甘えて部屋で休むことにした。どこか同棲した恋人みたいにも思えたが、直ぐにそのような考えを消した。私なんかが浜北さんの恋人なんておこがましい。でも、少し望んでしまう自分がいるのも事実であった。


 夕方になり時計が六時を過ぎると、スマホが突然震えだした。開いてみるとどうやら母からの電話であった。指が震える。出た方がいいのだろうか? でも下手に出て浜北さんに迷惑をかけたら……そう考え込んでいると、スマホは静かになった。どうやら切れたようだ。


 夕飯の時に浜北さんへこの事を話すと、少し曇ったような顔をした。何か不快になるような事を言ってしまっただろうかと考える。しかし、もう一度浜北さんの顔を見るといつもの穏やかな顔に戻っていたため、見間違えだったと思うことにした。浜北さんはゆっくり口を開く。


「瀬里のスマホ、僕に預けてくれないかい?」


 突然の提案に私はあまり乗り気になれなかった。いくら信用している人物であるとはいえ、何かあった時に連絡が出来ないのは困る。渋る私を余所目に、浜北さんは理由を話し続ける。


「ほら、これから学校とか家に連絡しなきゃいけないからね。それに、もし瀬里の害になる連絡もあるかもしれないし。怪しいのは重々承知だけど、預けてくれないかい?」


 浜北さんの言うことはもっともだ。それに、思い返してみれば私に連絡をする人なんて、皆悪意があるはずだ。私がスマホを持っていなくても問題ない。私は、浜北さんの提案に頷き、スマホを渡した。スマホのパスワードを伝えることを忘れずに。


「分かってくれてありがとう瀬里。ちゃんと帰る時に返すから」


 帰る時……そんな時なんて来なければいいのにと思うほど、ここは快適であった。精神的にも、肉体的にもまだ数時間しかいないというのにそう思えるのだ。私をこんな素敵な場所へ連れ出してくれてありがとうと、心の中で感謝する。やっぱり浜北さんは私の救世主だ。

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