第13話 理解は疑念へと変わり

 メモに書かれていた内容、それは怪異の名前、特徴、簡単な歴史、そして怪異に取り憑かれた時の対処法である。もし怪異に取り憑かれているかもしれないことを柚が知っているのなら……


「なんでこんなの調べてるの?」


 柚に目を向けそう問いかける。


「その……ただ、気になったからだよ?」


 嘘だ。絶対に嘘だ。嘘に違いない。私の心が、経験が、意識的にそう言っている。柚は知っていたのだ。だとしたらいつからだろうか。電話で安否を確認してきたときか? テストで上位三名に入らなかったときか? それともカフェに誘ってきたときか? 柚は慌てて話しかけてくる。おそらく私の態度が怒りを含んだように見えたのだろう。


「本当に気になっただけなんだって!」


 柚が強く言い放つ。一呼吸の間ができる。その間が邪魔と言うように柚は続ける。


「それに怪異なんて殺した方が良いじゃん!!」


 今の私はどのような顔をしているのだろうか。怒っているだろうか? 泣いているだろうか? それとも無表情だろうか。何にせよ、いい顔はしていない。できるはずがない。あのメモには、確かに対処法とやらが書かれている。だが、その対処法とは怪異に取り憑かれた者が死ぬというものである。


「ねえ柚。それ、本気で思ってるの?」


 図書室に私の声だけが聞こえる。柚は、何故、どうしてといった困惑を含む視線を向けるが、そう思うのは私の方である。


「本気に決まってんじゃん! 被害者を増やさないためにも!!」


 私の勘違いであってくれ、思い違いであってくれと願ったが、この反応を見るにどうやらそうではなかったようだ。私は、柚から死ぬことを求められていたのだ。何故だろうか。酷く胸が苦しい。だんだんと呼吸も乱れてくる。辛いという一言では表せないほど重い感情が、水を溢したときのように流れ出す。嫌だ、信じたくない、認めたくない、嘘であってくれ、これが夢であってくれ。そういったものが絶える兆しも見えぬまま流れ続ける。気付けば私は柚に背を向け、出入り口へと向かっていた。後ろからは騒音のような音が聞こえてくる。


「待ってってば!!」


 私の腕に力がかかる。私はうっとうしさから明覚に力を込めて振り払った。一秒もしないうちに、柚が近くの机にぶつかる音が聞こえてくる。その音は、私に今の状況の理解を強制させた。私は、自分の意思で柚を振り放したのだ。それは事実で有り、何も嘘や誤解はない。どうすればいいのだろうか。頭が上手く機能しない。


「ゆ……柚?」


 痛みからか、床に座り込む柚を見下ろすようにして声をかける。先程私の中にうごめいていた感情はどこへやら。完全には消えていないものの、だんだんと小さくなっている気がした。柚の一言さえなければ、このまま小さくなって消えていただろう。


「なんで分かってくれないの……」


 その一言が、私の感情を爆発させた。


「ふざけないでッ!!」


 おそらく教室の外まで聞こえているのではないかと思うほどの声量を放った。柚は固まっている。この状況を見られたら、悪役に見えるのはこちらじゃないか。今でも手が出そうなのに、責められでもすれば歯止めがきかなくなるのかもしれない。私は柚に何も言わぬまま走り去っていった。


 柚は私が死ぬことを望んでいる。それが私を酷く傷つけ、締め上げていく。それは、私が実感してた以上に信用していたと表しているようであった。何故そこまで信用していたのだろうか。柚以外の高校の友達もいる。中学時代からの友達だって居る。柚以外にも仲の良い友達は何人もいる。柚以上に信用できる人だっている。なのに……何故ここまで。考えても考えても分からない。唯一分かるのは、柚に裏切られるのが辛いということだ。いや、むこうは裏切ったつもりではないのかもしれない。もう、どちらでも構わないが。早く家に帰りたい。家に帰り、部屋にこもって一人でいたい。幸いにも、母は今日帰宅するのが深夜であるため、邪魔されることも無いだろう。


 昇降口からバス停まで向かうと、先程までただ薄暗いだけであった空から水が流れてきた。あいにく、傘は持ち歩いていなかったのでそのまま水に当たることにする。その水は、次第に強さを持ちながら服へと染み込んでいく。服が少しずつ重くなってゆくのが鬱陶しくなると共に、怪異を殴って逃げた時の事を思い出す。ふいに、その時と同じように鬱陶しさが消え去ることを願ってみる。なにも変化など無い。スマホで時計を見ると次のバスまで三十分もある。私は、早く帰りたいという気持ちが強くなっていき、タクシーを呼んで帰ることにした。


 家に着き、鍵を開け、荷物を自室に置き、自身の体は洗面所へ動かす。全てがそうというわけでは無いが、つい怪異を殴った日と重ねてしまう。しかし決定的に違うところが一つあった。それは私の制服が濡れたままであったことだ。当たり前だが、やはりあの日とは違うのだ。取り敢えず、このままだと辺りまで濡れかねないので制服を洗濯機にいれ、部屋着へと着替える。


 肉体的疲労は少ないものの、積み重ねられた精神的疲労のせいで眠気が現れる。勉強なんてやる余裕も気力も無いのだから、このまま眠ってしまおう。この眠気に便乗すれば、悪夢も見ずにすむかもしれない。記憶が落ちる直前で今日は塾の日であることを思い出したが、私は眠気に飲まれて夢へと入った。 


 夢はいつもの悪夢と変わらない。いつも通り辺りには地平線しか見えず、いつも通り膝まで液体で満たされている。そんな場所に、私は一人で立っている。この後はどうしようか。いつものように歩いて、黒いソレらから距離をとろうか。暫くその場で考え続ける。体感にして十分程経つ頃。背後からいつもの気配を感じる。思わず振り向けば、目に写るのは黒いソレらだった。どうすればいい。今日はこの場から一歩も動いていないので、きっと直ぐに追い付かれてしまう。


 黒いソレらの瞳が私を見つめる。相変わらずとても冷たく、不気味で、嫌いな視線だ。黒いソレらが一歩近付く。不思議と、今の私はいつもより恐怖を感じていなかった。それどころか、黒いソレらに触れたらどうなるのだろうかという好奇心が表れた。今以上の恐怖を与えるのだろうか? 狂った廃人になるのだろうか? それとも死ぬのだろうか? 様々な推測が頭を飛び交う。しかし、試すことにはためらいがあった。単純に怖いからではないはずだ。黒いソレらがどんどん近付いてくる。


 私は何故ためらっているのだろうか。ためらう理由なんて無いだろう。思い出せ。私のような駄目人間が生きていようが、廃人になろうが、死人になろうが、誰が気にするというのだ。現に、学校にいた生徒は私をウザいといい、柚も私の死を望んでいるではないか。母だってそうだ。もう私に見切りをつけているに違いない。あぁ、私に居場所なんて無いじゃないか。なら、何をためらうというのだろうか。


 気付けば、黒いソレらの前で動いたことの無い身体が、黒いソレらの内の一体の元へと動いていた。黒いソレらは歩みをとめず、まるで私を受け止めるかのごとく距離を詰める。黒いソレらの一体に触れれば、向こうはなにもせずその場へ立ち止まった。そのタイミングで、私は顔に触れた。


「貴方は誰?」


 そう機械的に問いかける。すると、黒かった身体は誰かの形をし始めた。がたいがいい、男性の体つきをし始めた。この人は誰なんだろうか。どこか見覚えがあるように感じる。黒いソレの顔以外が完成していく。見たことがある気がする。思い出そうとするも、何故か私の脳が拒否し始めた。止めろ、思い止まれといわんばかりにだ。しかし私は好奇心に負けた。

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