第12話 人の黒さとは
教室に戻ると、時計の針は後十分ほどで五時限目になると告げていた。おそらく、今からお弁当を食べ始めても食べ終わらないだろう。私は、戻ってきてから直ぐに食べられるようにと机の上に置いておいたお弁当をカバンへとしまう。酷い空腹であったわけでもないし、一食抜いたところで問題ないだろうという考えあっての行動である。
柚は今日他の子と食べると言っていたので、今頃はとっくに昼食を済ませているはずだ。一緒に食べれなかったのは残念だが、末兼の呼び出しのせいで無理であったのだから、これで良かったのかもしれない。それに……私と食べるより、他の子と食べる方がきっと柚にとってもいいだろう。きっと、そうなのだろう。
放課後、通りすがりに出会った金原から柚にプリントを渡すように頼まれた。それくらい自分で渡せと言いたくなったが、先生という職業は忙しいと考えて自制する。まだ自制心は少なからず残っていることに嬉しく思うも、心に余裕があるわけではないので油断はできない。
どうせ教室にいるだろうと思い向かったものの、そこに柚の姿はなかった。荷物は机に置いたままなので何処かに行っているのだろう。トイレにでも行ったのかと思ったが、いつも柚と仲良さげに話している女子達がいたのでせっかくと言わんばかりに話を聞くことにした。
「突然ごめん。波切さんってどこか分かる?」
話している最中であった彼女達が一瞬声をとめる。何か知っているだろうと声をかけたが、タイミングを見誤ったのかもしれない。彼女達はこちらに不快な顔を見せずに答えてくれた。
「柚? 柚ならさっきなんか不穏そうな顔しながら調べものがあるって言って図書室に言ったよ」
「そうなんだ。教えてくれてありがとう」
柚の居場所さえ分かれば彼女達に用はない。ふとそう思ってしまった自分に罪悪感が押し寄せてくる。気付けば早足に教室を出ていた。彼女達はまた会話を再開したようで、賑やかな声が外に漏れ出てくる。そんな声でされる話の内容に対して、少しばかり興味が湧いてきた。結果、さっさとここを立ち去れば良いにも関わらず、聞き耳を立てるという行動に出る。
聞こえてきたのは先生への愚痴、部活での面白話、推しのライブ等の話で、変わった話題は出てこなかった。ごく普通の会話だ。そう理解すると、いつまでも聞き耳を立てているのは流石に失礼だと感じ始めた。何故このような思考が行動を起こす前に思い付かなかったのだろうか。こんなであるから私は駄目なのだ。この短時間で底なし沼にはまるかのごとく自身が嫌いになっていく。この場から離れれば少しはマシになれるだろうと思い足を動かそうとする。すると突然、彼女達はなんの前触れもなく私の話題を出し始めた。
「てかさ、腹立つといえば神出じゃない?」
その一言に心臓が反応する。先程の私はそれほどまでに癪に障ったのだろうか。
「ああね。なんかいかにも私優等生ですよ感満載だし」
「分かるわ。後C組のこに聞いたんだけどさ、靖と談話室で二人喋ってたらしいじゃん。ガチでウザいんだけど」
「あんた靖好きだもんね」
次から次へと私に対する中傷の言葉が放たれる。そもそも、末兼とのことは向こうからから呼び出してきたわけであって、私にどうこう言われたって困るのだ。なんなら、末兼に抱く感情は嫌悪に近い。そうやって末兼のことに関してのみ、昼の苛立ちをぶつけるように心の中で反論する。他の言葉も酷いもので、ほとんどが彼女達の勝手な決めつけによるものであった。理不尽の一言に尽きる。
しかし、私は不思議と冷静であり、言葉の数々を淡々と受け入れられたのだ。やはり"私は駄目人間"だと周りが認めているように感じたからか。もう何をしても駄目人間から脱却できないのだという諦めに近い気もする。決して辛くないわけではない。せめて私が聞こえない場所で、どこか遠くで言って欲しかったと考えはする。私から勝手に聞き耳をたてたのだから聞いたのも自業自得なのだが。
中での会話は私以外の人への悪口へと変わり、先程より勢いを増していく。自身のことを言われている時はなにも思わなかったが、他人のことを理不尽に悪く言う彼女らの姿は、目で見えなくともとても醜く、哀れなものに見えた。せめて私が駄目人間でどうしようもないものだったとしても、あのようになりたくないと思うくらいに。彼女らの声は止まらない。
「柚も柚だよね! 最近付き合い悪いしさ」
「バイトが忙しいって言ってばっかだし」
ついにはいつも一緒にいる柚の悪口まで言い始めた。
「いやそれな! それに体調不良とか言って授業サボってるしさ。マジいい加減にしろよって感じ!」
言葉は続いていく。自身の時よりも、頭が内容の理解を拒絶している。何故だろうか。柚が私にとって高校で一番親しくしている友達だからだろうか。
「靖にも馴れ馴れしいしさー!」
「あんたそれいろんな人に言ってるって」
その友達の悪口を聞かなかったことにしたかったからだろうか。
「あとさ! 何か幸せそうなのほんとにイラつく!」
「理不尽すぎてウケるわ」
それとも、言葉を否定しようと思わなかったからかだろうか。大きな笑い声が聞けと語りかけてくるように聞こえてくる。ほんの十分程度立ち聞きしていただけ。それなのに何故こんなにも自身が酷く見えるのだろうか。ふと目線を下にやると、手に持っていたプリントが目に入る。そうだ、私は柚を探しにきたのだ。本来の目的を忘れて立ち聞きしたり、自己嫌悪したりするべき時間ではないのだ。ここ最近は、この思考回路を何度も何度も繰り返している気がする。もっとも、今のところは負の感情しか生んでいないが。
今まで立ち聞きしていたと悟られぬようにしてその場を離れ、図書室へと向かう。随分と油を売ってしまっているので自然と早歩きになって行く。果たして、柚はまだ図書室にいるのだろうか。もし入れ違いになったら大変面倒だ。
図書室の扉を開け辺り全体を見渡すと、丁度出入口に背を向けた位置に座っている柚を見つけた。何かを熱心に調べているようで私がやってきたことに気付いていなかった。普段このようなことは少ないので邪魔したくない。しかし、そんなことをいっていては帰宅が遅くなるので仕方がなく声をかける。
「柚、今ちょっと大丈夫?」
そう言って柚の肩に触れる。すると、柚は身体を跳ねるようにして驚くと、目の前にある先程まで読んでいたであろう本の上へ伏した。チラリと見えた本の見た目は、古い古文書のように見えた。同じ机の上に辞書があるのでおそらく調べながら読んでいたのだろう。
「えっあっ瀬里か! もう! 突然話しかけてこないでよー! めっちゃビックリしたんだから!」
柚はそう言って頬を膨らませる。私が軽く"ごめん"と言うと、そしてまるで私から隠すように本の上へ伏し続けた。一体何を隠したいのだろうか。気になりはしたがその気持ちを押さえながらプリントを差し出す。
「はい。これ金原先生から頼まれた柚のプリント」
「ありがとう。これ受け取り忘れちゃってたんだよね」
柚は素早く受け取ってしまおうと考えたのか、雑に椅子を後ろへ引きはじめ、バランスを崩した。助けようと脳が判断した時には既に遅かったが、柚の本人の瞬発力でバランスを整え、傷一つつくことはなかった。
「柚?! 大丈夫?」
「たっ、助かった!!」
とっさに柚が動いたせいで机のからメモ帳のようなものが床に落ちる。何かと思い拾い上げると、そこには開妙寺の怪異についてが書かれていた。柚は私が怪異に取り憑かれているかもしれないことなんて言っていないがと思い読み進める。やはりというか今更というか、私は怪異に取り憑かれていることで間違いなさそうだ。しかし、思わず表情が固まる文があった。
「……ねぇ。これ、なに?」
怒りや、悲しさか等を含んだ、そんな声でかすかに震わせ、柚にメモを見せた。
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