第10話 そこへ足を踏み入れ

 何故こんなにも駄目人間になってきているのだろうか。何度も同じミスを繰り返して、何度も母を怒鳴らせて。この前だってそうだ。柚や他の先生等に勝手に疑心を持ち、醜い心を隠しながら平然を装って話しかけたりした。他の人が私のこの気持ちを知ったらどうなるだろうか。その答えは簡単だ。誰もが私を軽蔑し、冷たい瞳で私を見るようになる。今までの信用なんて全てが水の泡だ。


 いってしまえば、今のこの状態でさえ辛くて辛くてたまらない。いっそのことネットのどこかに匿名で書き込んで気持ちに区切りをつけようか。いや、そんなことをすれば私のことを何一つ知らずに痛いだのなんだのをほざき、白昼のもと晒しあげようとする奴らが現れてくるに違いない。そうして見ず知らずの私を勝手に蔑むのだ。現に、ネットには人の不幸をネタとする物はいくらでも転がっている。なにも知らないどころか知ろうとしない奴らが牙を向けてくる。それがネット、それが人間という醜いものだ。絶対にそうだ。いつも関わっている人達だって、きっと心は私のように醜いはずだ。そうであって欲しい。


 考えれば考える程人間が醜いという最初にあった思考とは全く関係のない方向へと終結する。私は自己嫌悪をしていたはずなのに、いつの間にか自分の醜さや辛さを他の人にぶつけ、自身を正当化しようとし始めている。何を考えたとしても、水のように溢れ出のは次から次へと人間を貶める文言であった。その様子はまるで、私が私じゃなくなっていっているようであった。こんなことをもう考えたくないと願うのに考える。そんな自分なんて嫌いだ。大嫌いだ。消えて欲しい。


 そういえば、このような時はリスカをすると落ち着くとどこかで聞いたことがある。試してみる価値はあるはずだ。勢いに任せ机の引き出しにあるカッターを取り出し手首に当てようとする。だが、刃が肌に触れるか触れないかの場所から一向に動かせなかった。カッターの刃に対する恐怖と、今この行為をしてしまえば私に歯止めが聞かなくなるという確信に近い何かが私を止めたのだ。私にはできなかったのだ。同級生だって……なんなら中学生だってできるものを。そう実感した瞬間、虚しさと情けなさが私を襲った。


 どれ程考えようと苦しくなるばかり。私は諦めて眠りにつくことにした。どうせあの悪夢を見ることになるのだろうが、もはや私には諦めるしか手段が残されていなかったのだから。


 今日も膝まである液体に邪魔されながら黒いソレらと距離を取る。蓄積された現実での疲労が夢にも反映されているのか、私やけに落ち着きというものを失くして走っていた。もっと遠くに、少しでも遠くに、一歩でも遠くに。走って、走って、走り続けた。後ろを見るな。ただひたすらに距離を取れ。その言葉で頭を埋め尽くして走っていると、突然足元にあったはずの地面が無くなった。


「いやッ! 待って!!」


 その言葉を最後に私は下へと落ちて行く。液体で満たされていたため勢いよく落ちるなんてことはなかったが、今の状態は溺れているのにほかならない。段々と息ができないという苦しさに見舞われる。辛い、助けて等の言葉を聞いてくれる人なんておらずふと上を見上げると、黒いソレらが下にいる私を眺めていた。ただ、何かするわけでもなく眺めていた。私には、その視線が私を蔑むように見えた。


 目が覚めると何時もより一時間以上早い時間であった。もはや私の身体が睡眠時間を短縮しようとしている。ベットの上で数分なにも考えずにぼっとしていたが、このまま時間を過ごしても無駄だと思い身体を起こす。折角なのでシャワーでも浴びるかと思ったが、夢のせいか水に身体を濡らすことに抵抗を覚えたので止めてしまった。


 今日は塾がないというと、柚がバイト代が入ったので放課後カフェに行かないかと誘ってきた。正直あまり乗り気ではなかったし疲れもたまっていたが、気分転換には丁度いいと思い了承した。幸いにも今日は背後からの怪しげな気配を感じなかったし、出掛けることでいい気分転換にもなった。落ち込んでいた気分も僅かにだが回復した気がする。また悪夢でもとに戻るとは思うが。残念だったのは、柚が途中で帰ってしまったということだ。一人でいるのは少し寂しい。


 ある程度暇を潰した後お会計を済ませ店を出ると、斜め前に交番があるのが見えた。最初は何事もなく通りすぎようとしたものの、ポケットに入ったブレスレットを思い出した。よくよく考えればこれを拾ってから悪夢を見るようになったわけで……これさえなければ悪夢を見ずにすむのではないか? 何故今まで気付かなかったのだろうか。いや、気付いていたが心からは信じておらず、加えて事情を話すのを億劫に感じ、知らないふりをしていただけか。何はともあれ、さっそく私はポケットから手のひらへとブレスレットを移し、交番へ向かった。


 交番の中には黒髪の正義感が強そうな警察官の男性が一人いるだけで、他には誰もいない。複数人に事情を話すのは気が引けるので丁度良かった。


「すみません。落とし物を届けにきました」


 そういってブレスレットを差し出す。これからどうやって事情を伝えようか考え警察官の返答を待っていると、あっさりとした答えが返ってきた。


「おっ、わざわざありがとう」


 その一言だけ、その一言で完結したのである。事情を聞かれると思っていたが、このような時は聞かれないのか? 今まで落とし物を届けた時は落ちていた場所くらいは聞かれていたのに。このままここを去れば何事もなく終わる。そうは分かっていても疑問が消えず思わず警察官に聞いてしまった。


「あの……こういう時ってもっと聞かなくて良いんですか? 拾った場所とか」


 そういうと警察官は少し驚いたような顔をしてから笑い始めた。私は何かおかしいことを言っただろうか。すると警察官は笑いを止めると落ち着いた口調で話し始める。


「いや、なんだか君が言いたくなさそうな顔をしていたから聞かなかっただけだよ。不安にさせたかな?」

「いえ……ただ気になっただけなので……」


 そんなに表情が変わっていたのだろうか。今ここに鏡があれば確認できたがそんな都合よく道具があるわけもない。手で顔をさわって確認するも、なにも分からないままだった。


「まあ、今の時期は色々考え込んじゃったりしちゃうからね。これでも食べて元気だして」


 そう言って苺味の飴が差し出される。飴を取ろうと近付いた時、ふと警察官の手から独特な甘い香りがした。とっさに飴を取ろうとした自身の手を引っ込める。警察官は"どうしたのか"と不思議そうな表情をしていたが、こちらはそれどころではない。なにせ、あの時ぶつかった、夢中で開名寺から走り去っている姿を見た人物の可能性がとても高いのだから。もとよりろくになかった余裕がゼロとなった私とは対照的に、警察官は余裕が有り余ったような顔をしていた。今すぐここから走り去ろうかと考えていると、警察官が口を開いた。


「君、この前雨の中走ってたこだよね」


 やはりぶつかったのはこの人である。ここまでくれば怪異のことを言わなければならないのか? きっと私はこの時無意識ながら震えていたのだろう。警察官がとても優しい口調で話しかけてくる。


「大丈夫、誰にも言ってないから。僕は浜北はまきた。浜北勇治ゆうじというんだ。連絡先を渡すから、いつでも相談してきて構わない。僕は君の味方だよ」


 普段なら、怪異に取り憑かれる前の私ならこのような怪しげな人からの連絡先なんて貰わないだろう。しかし、今の私は相手に弱味を握られているような感覚と、この人なら相談できるのではないかという感覚に陥り、連絡先が書かれた紙を受け取った。浜北はその様子を見て満足そうにしていたように見えたのはここだけの話である。

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