第9話 怒鳴り声に晒され

 悪夢を見始めてから何日たっただろうか、少なくとも一週間以上は経っているはずだ。スマホの日付を見れば、十月十五日の月曜日と表示されている。ここまで続くと流石に良くない何かに憑かれているのではという疑いが確信に近づく。もし本当に憑かれていようが無かろうが、気持ちは切り替えていかなければ。


 今日は塾の先生方の都合で塾が休みとなったため、柚と放課後勉強することになった。しかし何故だろうか。いつにも増して集中力が続かない。いつも個人的にやっている問題集でもミスばかりであった。これを母親に見せたら、怒鳴られるのは目に見えている。私は、何がなんでも気を引き締めなければと思いながら学校へと向かった。


 放課後、私と柚だけの空き教室で机をくっつけ勉強している。本当は柚の友達も来たがっていたらしい。柚自身が断ったそうだが。


「今日は瀬里を独り占め! って言って断っちゃったんだ」

「別に減るもんでもないから良いんだけど」


 それに、正直なところ一緒に来たいと思われたのも信じがたい。理由が柚と一緒に勉強したいというものならまだ分かる。しかし、柚いわく私から勉強を教わることが理由らしい。そんなわけ無いだろう。何故私に教わりたいんだ。こんなケアレスミスを連発し、母から失望されそうになっている私から。母に失望されたとしても私自身は問題ない。だが、周りはけしてそう思わないだろう。勝手に私ができない奴だと思うだろう。


「瀬里……? 大丈夫?」


 柚が不安そうな顔でこちらを見る。いけない、人がいるにも関わらず自己嫌悪に陥ってしまった。最近の悪夢で睡眠を取っても取れない疲労のせいか、自己肯定感というものが私の中から消えかかっている。それに、被害妄想等も激しくなってきた。本来なら誰かに打ち明け相談するべきなのだろうが、今までの私を知っている人物に相談などしたくなかった。だからこそ柚や母、先生から隠している。


「大丈夫だよ。気にしないで」

「いやいや、気にするよ! 疲れてるなら別の日にする?」


 本当は柚も私のことなど気にしておらず、これから勉強するのが面倒臭くなったからこんなことを言っているじゃないかという疑心が現れる。柚にこんな疑心など持ちたくないのに。


「本当に大丈夫だから。……柚だってバイト始めたんでしょ?」

「まあね! だけど楽しいから全然疲れてないよ! ……まだ数回行ったこと無いけど」


 柚は後半を小声にして言う。一週間前だっただろうか。柚がバイトを始めたと言ってきたのは。一生懸命働いている母の支えになりたいらしく始めたコンビニバイトは上手く行ってそうだ。純粋に良かったと思える


「良かったね。でも無理しすぎは駄目だよ」

「それは瀬里の方もでしょ! いつも勉強凄く頑張ってるし。私はそんなことできないよ」


 私が勉強を頑張っている……か。最近はろくに頑張っていない気がしてならないのだが。短時間で途切れる集中力、雑になってきている予習復習、上げればきりがない。まあ、そんな個人のことなんて他の人に分かるわけがない。だから心でどんなに色々言っても無駄なのだ。


 そんな自己嫌悪と疑心にまみれた心で始まった勉強会は思いのほかスムーズに進んだ。柚から質問があれば聞き、一定時間経ったら五分程休憩する等し、期末テストの対策を進める。


 その日の悪夢はいつもと違った。普段は歩けば波紋が広がる程度であったが、今日は水のような液体が膝の深さで空間を満たしていた。私は黒いソレらが現れる前に走ってその場を離れた。何回も夢を見ているうちに、あの黒いソレらはどうやっても出会わないということはできない分かった。せめて距離は離したいので、いつの日かひたすら走ることにしたのだ。


 しかし、今日はいつもと違ってとても走りにくい。液体は、まるで私を嘲笑うかのように邪魔をする。体感で数十分、下手したら一時間以上走り続けてふと後ろを見ると、黒いソレらがやって来ていた。一日に一体づつ増えていったそれは、横一列になってこちらへ迫ってくる。足音等はなにもしない。だが気迫があり、私に恐怖を与えてくる。早くここより先に、黒いソレらより遠くに行きたいと願えど身体は動かなくなる。


 何故私がこんな夢ばかり見なければならないんだ。あの怪異を殴った時だってそうだ。何で私がこんな目に合わなくちゃならない。開名寺に行ってから不幸続きじゃないか。それかなんだ。あの怪異を殴ったせいか? ブレスレットを持ってきたせいか? ただ柚に頼まれて一緒に廃寺に行っただけなのに……何故こうなるんだ。私が悪いのか? ただ友達に頼まれてついていった私が。ただ友達のだと思ってブレスレットを拾った私が。襲われたからこそ自己防衛で殴った私が。


 黒いソレらが近付く度に、私の精神が不安定になっていく。どんどん心が醜くなり、汚くなり、最悪なものへと変化していく。あぁ、止まってくれ。このままじゃ化け物みたいじゃないか。私はそんなんじゃない。そんなんじゃないんだ。


 頭に音が鳴り響く。アラームだ。目を開ければカーテンから朝日が差し込んでいた。私は助かったんだ。いつも以上の安堵が私を包み込む。そしてそれは、同時に怪異に取り憑かれている事を私に確信させた。カーテンを思い切り開けると、外には鳥が生き生きとして飛んでいる。なんて和やかなのだろうか。この一瞬の時間がずっと続けば良いのに。もう寝なくてもいい身体になれればいいのに。


 十一月十一日の月曜日、先週行われた定期テストの結果が配られた。悪夢は段々と苦しくなっていき、もう寝ることすら怖くなりかけてきた中で受けたテストの結果は良くないだろう。しかしせめて学年一位を保てるほどの点数を取りたかった。この学校に入学してから一度も落としたことのない順位を、落としたくなどなかった。


 担任から一人一人名前が呼ばれ、順位が記載された個人成績表が返される。今回の教科ごとの点は思っていた以上に悪くなかった。だから、きっと大丈夫である。そうたかをくくっていた矢先、担任から名前が呼ばれる。


「神出さん。何か悩みでもあったのか?」

「えっ……」


 そう言われて返されたテストの合計点における順位は三位以内にすら入れていなかったのだ。そんな馬鹿なと思い、自分の点数を見返したり、他のクラスメイトの話を盗み聞きしたり等をしたことで理由は簡単に分かった。今回のテストで化学と現代国語が全体的に点数が高かったのだ。その為、いつもより皆点数があがっていたのだという。対して、私はいつもの点数に変動が無かったため、このように負けたのだ。なんて悔しいことだろうか。


 何はともあれこの紙で母から怒鳴られるのは確定した。どうやってその衝撃をこの不安定な精神で耐えようか。母に悪夢のことを話すか? いや、話したところで何一つ変わらないのは目に見えている。ここはもう腹をくくるしかないのだ。


 家に帰り自室で参考書を解いていると、母が帰ってきた。私は、早速リビングにいる母に個人成績表を見せた。私は母に荷物を漁られてからバレるよりも、自ら個人成績表を見せるという手段に出たのだ。見る前の母はいつもと変わらなかったが、中身を見たとたんに分かりやすく顔を歪ませた。しかし逆に冷静にもなったのか、いつもの怒鳴り声とは違って淡々と話しかけてきた。


「瀬里。貴女、今回のテストでふざけたの?」

「いや、そんなことは」


 そう反論すると母は机を一度思い切り叩いた。既に静かであった辺りが、より一段と静かになったように感じる。そして怒鳴り始めた。冷静だったのは最初の一言だけだったようである。


「じゃあこの点数はなに? ふざけてるとしか言いようがないでしょう! お母さんは何度も何度も何度も言っているわよね?! まるで聞いてなかったの?!」


 あぁ耳が痛い。早く終わってしまえば良いのに。そこから先の言葉はあまり覚えていない。でも、苦しく辛く、自己嫌悪に陥るにはいい材料であったことだけは覚えている。

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