第6話 恐怖と伝う雨

 急いで背後を振り向くと、人の形をしたようなやつが頭を抱えて倒れこんでいる。柚は呼吸が乱れながら、何かを投げた後のような姿をしていた。その状況から、柚はこの倒れこんでいるやつから助けてくれたのだと悟る。状況を悟れば悟ほど、身体に恐怖が絡み付いて動きを制限する。怪異は実在したのだ。人を襲う化け物が、今私の足元にいるのだ。恐怖が脳へと伝って行き、周辺の音声を遮断してしまうほどの混乱の中、柚の一言で意識がハッキリとする。


「瀬里! 早く逃げて! 早くッ!!」


 ライトがついたままのスマホとブレスレットを乱暴にポケットへ突っ込みながら、出口の光と柚の声だけをたよりにしながら暗闇の中を駆け抜けていく。が、恐怖の対象が私の足へと絡み付いたため、勢いよくその場に転んでしまった。私を逃がさぬようにと私を強く掴んだ暗闇に潜むそへは、私の正気を消失させようとするには十分である。柚は私を助けようと、こちらへ来ようとしていたが、私の中にある何かが全力で柚を拒絶した。


「いいから! こっち来ないでさっさと先に行って! 早くしてッ!!」


 柚は不安、恐怖、悲しみといった様々な負の感情が一気に押し寄せたような顔して走って見えなくなっていった。足元へいたはずの怪異がだんだんと私へと向かってくる感覚から、この場には私とこの怪異しかいないと分からせられる。その瞬間に、私の中の正気というものは完全に消え失せたといっても過言ではないだろう。自然と涙が溢れてくる。もう正常な判断など出来なくなり、私は近くにあった柚の投げた石を、全力で怪異にぶつけた。理不尽さに対する怒りも入り交じったことにより、段々と力が強くなっていく。何故私がこんな目に会わないといけないんだ。鈍い音がしても、何か生暖かい物が手を伝っても、何度も、何度も、何度も、何度も何度も、出せる力を全て使って怪異の身体の一部にぶつける。


 ふと、洞窟の外からの落雷の音の響きが聞こえ、雨による冷ややかな風が私の頬に触れたことにより正気が取り戻されていく。私に触れるのをやめたそれは、震えているように感じた。だがそんなことはどうでもいい。意識がハッキリとした今こそここを離れなければ。私は一目散に駆け出した。外は強い雨が降っており、逃げられたという解放感に任せて走り抜く私に降り注ぐ。


 周りにいる人物や車、時間などを気にしていられなかったが、雨音と雨が服に染み込んでいく感覚だけは正確に伝わってきた。服が少しずつ重くなってゆくのが鬱陶しくなり、この鬱陶しさが消え去ることを願いながら走る。途中誰かにぶつかったが、今の私の姿を見られたくないという気持ちと、少しでもあの場所から離れたいという気持ちから、小さく謝りながら止まらず走り続けた。その誰かから一瞬、先程洞窟で嗅いだ匂いと同じ匂いがした気がするのは、私の思い違いだろうか。


 ふと疲れからある程度落ち着きを取り戻し辺りを見渡すとコンビニが見えたので、コンビニの外でタクシーを呼ぶことにした。通学カバン等の荷物を学校に置き、貴重品だけポケットにいれ身に付ける形にしてよかったと今更ながらに思う。まだ身体が疲れているとしか情報が入ってこず、運転手に行き先を伝えると家に着くまで寝てしまった。


 タクシー代を払い、家にはいって洗面所へと向かう。鏡を見ることにより、ようやく今の私の姿を理解する。服は乾いており、開名寺へ行く前と同じ姿をしていて、まるで雨に降られていたなんて信じられない格好だ。タクシーの中で乾いたのかと思ったが、そんな短時間で乾く程の雨ではなかった気がする。頭が再び混乱仕掛けたが、唐突になったスマホから鳴る着信音に意識が向いた。


「はい、もしもし」

「瀬里?! 大丈夫? 今何処にいるの!」


 電話の相手は柚であり、内容は私の居場所を把握するためのものだった。勢いに任せて帰ってきてしまったのだから、私が家へ帰ったことを知らないのも無理はない。


「ごめん。実はもう家に帰っちゃったんだ。柚は何処にいるの?」


 そう答えると、柚は学校の最寄り駅にいると教えてくれた。途中、私を心配するような言葉を色々と言われたが、内容はあまり頭に入ってこない。その後、少し話して柚のあの後の行動を聞く。逃げた後引き返そうとも考えたらしいが、怖くて行けなかったと話し、謝り始めた。


「大丈夫だよ。誰だって怖いものは怖いし」

「本当にごめんなさい。……あの後どうなった?」


 そう聞く柚の声は何処か不安そうにしていた。電話できているのだから、私が無事ということは分かっていると思うのだが。


「思いっきり蹴飛ばして逃げてきたから大丈夫だったよ。まあ慌てて逃げちゃったんだけど」


 私は嘘を話した。それに、最後は間違ったことを言っているわけではないので問題ないだろう。これ以上会話を長引かせたくなかったし、余計な心配をかける必要なんてない。柚は改めて私が無事だと思えたのか、"無事でよかった"と声を洩らしていた。


 通話が終わると、私はまた眠気に襲われた。先程タクシーの中で寝たはずなのにだ。これから勉強しなくてはいけないというのにこれでは身が入らない。仕方なく仮眠をすることに決め、自室へ向かう。カバンは学校に置きっぱなしであるが、何も家に教材が無いわけではない。しかし単語帳等は無いので短時間の勉強が出来ない。今の疲れた私にとっては損害だ。


 三十分タイマーをかけ横になると直ぐに眠りに落ちた。目を開けると私は何も無い、地平線の広がる場所にたっていた。直ぐにここが夢の中だと悟る。夢なんて久し振りに見たなと思いながら試しに一歩前へと進むと、地面が波打つ。どうやらここはとても浅い水上のようである。先に行けば何かあるのではと思い、地面と天井以外なにも見えない場所を歩いていく。夢だからか疲れはない。しかし終わりがないというのは私の足を止める十分な原因となった。


 来た道へ視線を戻してやると、相当遠くではあるが何か黒いものが見えた。一体なんだと思うも近付く気にはなれずその場に佇んでいると、黒いソレは段々とこちらへ距離を縮めていっていることに気付く。それから数分たち、やっと黒いソレの形が分かるか分からないかの距離まで来た時、私は現実へと引き戻された。


 私を起こすために鳴り響くタイマーを止め、先程の夢を思い出す。三十分にしてはとても濃い夢であり、睡眠を取ったのにも関わらず疲れが残ったままであった。下手したらもっと疲れたかもしれない。睡魔だけは消え去ったのでかろうじてよしとするしかない。たかが夢一つでどうこう言うのも無駄に思えてくるので勉強するために身体を机まで動かした。


 今日はなんとも言えぬ目覚めだった。特別良いわけでも、悪いわけでもない。そんな感じであった。ただ、あの仮眠の時よりは疲れが取れた。簡単に身支度を済ませ、既に誰もいない部屋でトーストを焼いて食べる。いつもいつも朝は同じものだが、別にこだわり等無いので特に気にしてはいない。


 食べ終わったら冷凍食品をレンジで温めてお弁当につめる。最近の冷凍食品は種類が多いので飽きはしないが、たまには自炊もした方がいいのだろうか。いつもの荷物の入ったカバンは学校に置きっぱなしなので、少し小さめのカバンに必要なものを入れる。今日の教科が昨日とほぼ同じなのは不幸中の幸いといったところだろうか。荷物が軽い。


 いつもより遅く家を出たため混み合っている電車に乗って学校へ向かう。教室は賑やかであり、いつもより遅くきたせいかと思えば、どうやら違ったようである。それが分かったのは騒がしい原因である男子生徒が私にこういったからである。


「聞いてくれよ神出。俺、今日の朝死体の第一発見者になったんだ!!」

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