第一章 ようこそ、近未来都市へ Smart city

第03話 天才少女の嫌な予感


     1.


「よくないですわね」

 オリオン・サイダーは呟いた。

 その小言を聞き逃さなかった鳩原は訊ねる。

「何がですか? 僕と一緒にいることがですか?」

 オリオン・サイダーの長い髪はポニーテイルにまとめられている。『円』の一件で負傷し、切断を余儀なくされて左腕は袖の長い服を着ているので見えない。気品のある佇まいや、人を値踏みするような視線は相変わらずである。

 鳩原とオリオン・サイダーのふたりは今、飛行機に乗っている。ついさっき離陸してようやく落ち着いたところである。臨時の課外学習として近未来都市『スマートシティ』に向かうためである。もうひとり、ダンウィッチも向かうわけだが、彼女には国籍どころか戸籍さえ存在していない。だから『別の方法』で現地に向かうことになっている。

 一緒に乗っていることを不満に思っているならば、もはや手遅れである。

 過ぎたことをわざわざ口に出して言うなんて、嫌味な人だと鳩原は思った。飛行機に乗ると体調が悪くなる。まだ出発したばかりなので大丈夫だけど、そうかからないうちに気持ち悪くなってくるだろう。そのことを考えると既にストレスである。

 機嫌が悪かったこともあって、オリオン・サイダーの言葉に対して突っかかるような返答をした。

「……いえ、それも確かにそうですが」

 オリオン・サイダーのほうはそんなつもりで言っていなかったのに、突っかかられて考えを改めた。うんざりするように溜息を吐きながら、

「チャールズ・ヴィクター准教授のことですわ」

 と言葉を続けた。

「知っている人なんですか?」

「いえ、知らないわ。でも、准教授っていうくらいですからね。調べたら少しわかりましたわ」

「どんなことがわかったんですか? いい噂を聞かない人なんですか?」

「いえ、いい噂を聞きますわ。三十年くらい前に地方で感染症が流行したとき、躍起になって治療に取り組んだ医師のひとりだったようですわね。開業医になったあとに大学に戻った。そのときに一緒に開業していた人物、ハーバード・ウェストという人物が教授を務めているみたいですわね」

「ふうん……」

 元お医者さんだったわけか。

「……それのどこに不安要素があるんですか?」

「ミスカトニック大学関係者ってこと以上に不安なことがありまして?」

「そりゃそうですけど……」

「察しが悪いですわね」

 オリオンはまた溜息を吐いた。

「わたくしはともかく、チャールズ・ヴィクター准教授はわたくしや鳩原さんではなく、ダンウィッチ・ダンバースを指名していたのでしょう? それに何も感じませんでしたか? わたくしはとてもよくないと思いますわ」

「よくない……」

唯物論者マテリアリズムと言っていたのですよね。まあ、元々が医師ですから、そういうのも珍しくないでしょうけれど……。ダンウィッチさんを指名したというのが、どうにもせない感じですわね。もしかしたら、わたくしたち以上にあの『円』のことや、ダンウィッチさんのことを知っている――いえ、勘づいているのかもしれませんわね」

「勘づくって……、オリオンさんみたいな頭痛に悩まされることになるものじゃないのか?」

「さあ、どうなのでしょうね。、なんてこともないのではなくて?」

「それは、あのヴィクター准教授がマッドサイエンティストかもしれないってことですか?」

 マッドサイエンティスト。

 狂気の沙汰。もし、最初からそうであったのであれば、違うのかもしれない。正気が保っていられなくなるのは正気だから。最初から壊れていたら……。

「そういえばフランケンシュタインを作り出した博士もヴィクターというお名前でしたわね」

 フランケンシュタイン。死体を集めて繋ぎ合わせて作り出された怪物。それを作った科学者の名前をヴィクター・フランケンシュタインという。

 オリオン・サイダーの言動に少しびっくりした。

「そんな怪物を見るような目で見ないでください。ちょっと冗談を言っただけではありませんか」

「ああ、ごめんなさい」

 反射的に謝った。

 彼女の以前を知る者としては、あまりイメージがつかない、こんなふうに冗談を言うなんて。『以前みたいに頭が回らなくなった』『考えていることが途中で途切れるようになった』と前に言っていたが……。

(最初からどうにかなってしまっていれば……か)

 オリオンの言葉を心の中で復唱する。

 チャールズ・ヴィクター准教授のことを思い出す。

 怪しいと言われたら怪しいけど、大人なんて大体怪しいものだ。何を考えているかわからないのだから。でも、正気じゃないというふうには見えなかった。ぱっと見ではそんなふうに見えなかった。

(でも……)

 どうにかなってしまうのは人間の内側で起きることだ。

 ぱっと見や、一時間に満たない会話で見抜けるとは思えない。

「まあ! ミスカトニック大学にいる方々なんて、誰も普通じゃありませんわ」

「随分と尖った言い方をするんですね」

 ミスカトニック大学は西暦以前の文化を研究している組織である。

 物事を偶像的ではなく、抽象的に捉えて、概念を概念として掴もうとする。人間の文化によって構成された物事の見え方を抜本的に見直している……らしい。

 鳩原としては言おうとしていることはわからないでもないが、ひと言で言えば『よくわからない』だ。よくわからないから周知されず、内向的なものになってしまっているのかもしれない。

 オリオン・サイダーに限らず、ミスカトニック大学を『普通じゃない』と言う人物は多い

 それでも、研究機関としては有名ではある。『普通じゃない』なんて言われ方をしているのは、そこにいる人物、あるいはいた人物が遺した逸話のせいではないかと思う。

 降ってきた隕石を研究してその周辺地域を灰塵かいじんにしてしまった者がいるとか、南極を調査して前時代文明を生きていた種族の化石を発掘した者がいるとか、脳波を同調させて夢の内容を盗聴する心理学者がいるとか……そういう噂なら鳩原でも耳にしたことがある。

 これが本当なのかどうか、それはわからない。

「でも、どうして鳩原くんはこの話を呑んだのかしら?」

「そりゃあ、断れなかったからですよ」

「それもあるでしょうけど、わたくしには少し楽しそうにしているように見えるわよ?」

「それは気のせいですよ」

 とは言ったものの、オリオン・サイダーはよく見ている。

 鋭い、と思った。鳩原には明確な目的がある。魔法という分野で手に職をつけることはとても困難だ。

 正直なところ、鳩原にはできるとは思わない。思っていない。

 近未来都市『スマートシティ』の学校は、研究機関附属学校みたいな位置づけだと聞いた。だから、そこで『これからの将来にできること』を見つけたいと思っている。今までにあまり学んだことのない科学に関することを学びたいと思っている。

 学校には学びたいことがあるから行くんだ。



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