第02話 ミスカトニック大学からの来客(2)


     2.


 鳩原が魔法の分野を選んでいることに彼の意志はほとんど存在しない。両親――正確には母親の意向が強い。鳩原はとはら那覇なはという少年にその意志を拒むことができなかった。できるような家庭環境ではなかった。

 魔法という分野で勉強をすればするほどに、目まぐるしく発展を続ける科学という分野のことを意識していた。

 科学に興味がないわけではない――ないわけがない。

「改めて言っておきたいのは、僕は断じてきみに編入や転校をすすめているわけではないよ」

 念を押すようにヴィクター准教授は言う。『きみならばそちらでも十分にやっていけるとは思うよ』と言ったのは、どれくらい社交辞令で言っているのか、鳩原にはわからなかった。

「近未来都市『スマートシティ』を知っているかな?」

「はい、知っています」

 それは技術方面で先進的に発展を遂げている地域のひとつである。何十メートルという高層ビル群が並んでいる光景や、街中のあらゆる場所に液晶があったり、ビルの表面に映像が映し出されていたり、見たこともない自動ロボットが清掃していたり、そういうのをテレビや雑誌で見たことがある。

「僕はある用事があってそこに行くんだ。そこに臨時の課外学習として行ってみないかい?」

「どうして僕なんですか? 別にそういう科学のことに詳しいわけじゃないんですけど……」

「子供は誰だって詳しくないものだよ。みんなそんなに変わらないさ」

 笑いながら言った。

 ヴィクター准教授のその言葉は大人であるからこそ出てきた言葉である。『子供なんだからそう簡単に決めるべきじゃない』『まだどうにでもなるよ』みたいな、長い人生を生きてきたから出てきた言葉である。その言葉は、まだ十七歳の少年である鳩原那覇には、いまいち理解できない言葉だったし、なんだかその言葉が気に入らなくて、少し苛立ちもした。

 何を知ったようなことを……。

 こんなふうに言われるとあまりよくない考え方をしてしまう。

 やっぱり遠回しな退学を推奨されているのだろうか? 今からでも遅くない、将来性のある科学の分野に足を踏み入れるべきだ――と。まあ、退学にしても編入にしても、鳩原一個人の判断では進められない。鳩原は未成年であり、保護者がいるのだから。保護者が最終的な判断を下すことになるのだから。

 その保護者が、鳩原少年の意見や意志を尊重するとは限らない。

「きみは非常に勤勉な人物であると聞いている。だけど、魔法の分野だけでは、それだけではわからないこともあるだろう? そういうことにも視野を拡げられるチャンスだと思わないかい? さっきも言ったけど、僕は『スマートシティ』のほうに用事があるんだ。そのために何人か同行する人間を探しているんだ。期間は二週間くらいを予定している」

「…………」

 どうにも話の意図が見えてこない。肝心なことを黙っているというのもあるかもしれないけど、何も意図が見えてこない。

?)

 用事。それがチャールズ・ヴィクター個人としての用事なのか、ミスカトニック大学の職員としての用事なのかはわらかない。どちらにしても――アラディア魔法学校の凡人も凡人の生徒を選ぶ必要はない。

 それこそ、自分のところの学部の生徒でもいいはずだ。

(いやいや、こういうときは……)

 こういうときは最初に抱いた感覚みたいなものが大事だ。このチャールズ・ヴィクター准教授のことを聞いてどう思った? 半年前の一件を追求されると感じたはずだ。ヴィクター准教授は恐らく鳩原のことを詳しく知っている――内面的なものではなく、ここ最近の動向や経歴や成績などを。加えて、去年の出来事も。

「……目当てはダンウィッチ・ダンバースですか?」

「おや」

 目を見開いた。ここまで作り笑いというか、そういう立ち回りの振る舞いだったが、ここで明確に素の反応らしいものを伺えた。

「素晴らしいね。洞察力……いや、必要な情報の取捨選択というべきか。鋭い反応だ」

 ぱちぱち、と手を軽く叩く。褒められたみたいな感じで少し嬉しいが、ぎゅっと心を引き締める。目の前にいるのはアラディア魔法学校の先生ではなく、ミスカトニック大学の職員である。具体的に『どう』ではなく、ただ危険だ。

「確かにきみの読み通り、僕はダンウィッチ・ダンバースという少女に同行をお願いしたいと思っている。だけど、誤解しないでほしいのは、それは鳩原那覇くん、きみも含めて言っているんだ」

 ヴィクター准教授は手のひらを拡げた。

「五人を予定している。そのうちのふたりが鳩原くんとダンウィッチくん。あとの三人はこれから人選を決めようと思っている」

「まるでもう僕が同行することを前提に話をしていますね」

「しているよ。僕はきみに同行してほしい」

「僕には選択肢はないんですよね」

「ないとは言わないよ。無抵抗にこちらの都合に合わせてくれると、すごく都合が良くてお互いに手間がかからないとは思う。聡明そうめいなきみのことだから、この提案は呑んでくれると信じている」

 それは、きっとそうだろう。

 天井を見上げる鳩原。目を閉じて考える。それは話を受けるか断るかの判断ではなく、自分の気持ちを落ち着かせるようなものだった。覚悟を決めると言えば潔いが、どちらかと言えば諦めるという感覚である。

「……ダンウィッチ、どうする?」

「行きますよ」

 返事があった。

 ダンウィッチの声が聞こえた。

 天井を見上げている顔を戻すと、ヴィクター准教授のすぐ隣に、その少女はいた。

 悪魔の角みたいに尖った大きな帽子と、サイズの合っていない真っ黒なローブを着ている少女だった。それはサイズが大きいというよりも不健康だと思うくらいに痩せているからであって、髪はその辺りにある刃物で適当な長さで切り揃えられたという仕上がりである。

 ダンウィッチ・ダンバース。

 友好的なときは挨拶から入る彼女が、じっと見つめるという手段を取って、ヴィクター准教授の隣にいる。そんな彼女からの隠せない敵意に曝されて、両手を開いて腕を少し上げた。降参するみたいに。

「僕には敵意がないんだから、そんな物騒なのはやめてほしいな」

 ヴィクター准教授は失笑して言った。

「今の返事で承諾だとさせてもらうよ。僕はさっそくその手続きをしてこよう」

「その前に、もう少しだけ具体的な話を聞かせてください」

 今にもこの応接室を立ち去りかねないヴィクター准教授を呼び止める鳩原。

「近未来都市『スマートシティ』には何をしに行くんですか?」

「僕のほうかい? それともきみたちのほうかい? どちらにも答えよう。僕のは僕個人の研究とミスカトニック大学の職員としての用事、その両方を兼ねた現地調査だね。きみたちには現地の学生と交流してもらいたいと思っているよ」

「交流、ですか?」

「あくまで用事は僕のものだからね。別に戦争に行こうというんじゃない。きみたちは近未来都市『スマートシティ』を観光と勉強を二週間してくれるだけでいい。そこで感じたことや思ったこと、疑問などを僕に話してほしいし、僕がそういう話をしたときは聞いてほしい。何でも意見がほしい。ただの学生であるきみたちにそれ以上のことは求めていないよ。ただ、きみたちの経験は買っている。これでどうかな?」

「……わかりました」

「現地での宿泊費からある程度の私用の費用までは負担するが、常識の範囲内で常軌を逸しない範囲であればいいよ。何せ、五人分の費用の負担だからね。大学側からもお金は出るが、すべてがそれで賄えるわけじゃない。僕のポケットマネーからも出すからね。人よりはお給料をもらっているが、湯水のように使えるわけじゃないからね」

「……ひとつ、お願いしてもいいですか」

「呑めるものは吞もう。どんなお願いだい?」

「ええっと……その五人の枠のひとつ、僕から推薦したい人物がいるんです」



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