第二部 スマートシティの呼び声 The Call of Nightmare

序章 ミスカトニック大学からの来客 The day before

第01話 ミスカトニック大学からの来客(1)


     1.


鳩原はとはら那覇なはくん、きみは科学に興味はないですか?」

 鳩原は目の前にいる人物を見る。

 亜麻あま色の髪、銀縁の眼鏡の奥には薄い青色の眼、色白で小柄、随分と若くは見えるが、手元を見ると、そんなに若くないことがわかる。老いは手に出ると聞いたことがある。ぱっと見は四十代……あるいは五十代くらいだが、ひょっとするともっと年齢は上かもしれない。

 チャールズ・ヴィクター。

 ミスカトニック大学でじゅん教授きょうじゅをしているというその人物はそう名乗っていた。

 鳩原が今いる場所はアラディア魔法学校の新設校舎にある応接室である。午後からの授業が始まろうとしていたとき、学年担任が呼びに来て、連れられてきた場所がこの応接室だった。

 ふたりっきりになって、差し障りのないやり取りが何度か行われてから、チャールズ・ヴィクターはそんなことを聞いていた。

「科学ですか……」

 鳩原は言葉をただ繰り返した。

「おっと、誤解しないでくださいね。僕は別に魔法を否定するつもりはないんですよ」

 穏やかな口調で、物静かに話す。

「先ほど、成績のほうを拝見しました。とても勤勉ですね。魔法のは結果に振るわれていないようですが、とても素晴らしい。わざわざ日本語を勉強して来なくてもあなたとはお話できましたね」

「いえ……、まあ、ありがとうございます」

 なんて言っていいかわからない。

 とりあえずは褒めてくれているみたいだから、戸惑いながらも頷いてみせる。

「こちらの学校でも科学を教えているみたいですが、専門ではありませんからね。もう少し詳しく学んでみようという気持ちはありませんか?」

「それは……この学校を辞めたほうがいいってことですか?」

「まさか、とんでもない。僕はそういう人の未来を決めるのが苦手なんですよ。本心で言えば、進路相談にだって関わりたくないし、友達の恋愛相談にも乗りたくないくらいですよ」

 と、冗談を交えて話すヴィクター准教授。そんな冗談に鳩原は少しだけ気が緩みそうになったが、ぐっと警戒心を強く持ち直す。

(なんたってミスカトニック大学と名乗ったんだ――)

 正直、その名前を聞いて、察していることもある。

 チャールズ・ヴィクター准教授は単刀直入に本題に入ったかのように見えるが、これは随分と遠回りをしている……と思う。きっと本題は科学がどうこうじゃない。

(半年前のハロウィンでの一件……)

 あの辺りに本題があるに違いない。

 少なくとも鳩原はそう睨んでいる。

 なんとなく有耶無耶うやむやになったけれど、それはこの学校もてんてこ舞いになっていたからである。校舎も新設され、設備も随分と新しくなって落ち着いた今となっては、落ち着いてあの騒動を振り返ることもできる。

 鳩原もちゃんとしたことはわかっていないが、あの現象――『円』は、紀元前以前に存在していた『遺物』から引き起こされた現象だ。

 紀元前以前の文化。

 それを蒐集しゅうしゅうして研究しているのがミスカトニック大学である。つまりは……当事者である鳩原たちよりも詳しい人物である。この温厚そうで、美少年と呼ばれていた頃もあっただろうと思わせる顔立ちをしているチャールズ・ヴィクター准教授が、どうしてわざわざこの学校にまでやってきたのか。その意図はわからない。

 わからないが……想像できる範囲で言えば、『円』の一件に関して詰問きつもんされるのではないだろうか……。もしくは、そのことで怒られるとか……。

 ヴィクター准教授との会話で煮え切らない反応しかできないのは警戒心から来るものだが、怒らわれるかもしれないと思うと気も滅入ってくる。昨今の若者は怒られることに臆病だと言われることもあるが、昨今の若者に限らず怒られるのは誰だって嫌なはずだ。

 とはいえ、さすがに決心を決める。取り繕うとしても、どうせある程度のことはバレているだろうし、下手な嘘は吐かないほうがいい。もし、怒られるようならそこは正直に話して怒られよう。

 迷ったとき、鳩原はこんなふうに決心するのが早い。

「うーん……。どうにも上手く話せませんね」

 ヴィクター准教授は腕を組んで、少しだけ迷うように唸った。

「わかりやすく話をしようと思うけど、構わないですか?」

 と言った。

「はい。そのほうが助かります」

「そうか、それはありがたい」

 にこりと作り笑いを浮かべて頷いた。その眼鏡の奥にある青い眼はこちらを見た。

 いよいよ詰められる。怒られるんだと覚悟を決める。


「ハロウィンでの出来事について聞かれると思ってるでしょ?」


 見透かしたようなことを言われた――いや、見透かされた。

「……違うんですか?」

「違うよ。まったく無関係ってわけじゃないけどね」

 ヴィクター准教授はおかしそうに笑いながら肩を竦めた。

「この学校で保管されていた『鍵』が引き起こした『円』という現象について、鳩原くんはどんなふうに考えている? 今、思っている範囲でいいから聞かせてほしい」

 なんと言おうかと少しだけ考えて、

「あんまりちゃんと考えないようにしています」

 と正直に答えた。

「僕なりにいろいろと調べられる範囲で調べてみましたけど、よくわからないです」

「それでも思うところはあるだろう? あの『円』はなんだと考える?」

 同じことを繰り返して聞かれた。思うところ……。論理的な考えではなく、どんなふうに感じたのかを聞こうとしているのだろうか……。そう思い直して、目を閉じた。

 目を閉じて、あのときの光景を思い出す。眼前に『円』があるときのことを思い出す。目の前にあるようでいて、どこまでも深く、深く、永遠が続くようなあの光景を思い出す。呑み込まれそうになるのを思い出す。

 ずきり、と痛みを感じた。

 あの『円』が何なのか。あの中から出現した『存在』に関してもわかっていない。まさか、目の前にいるこの人物は――チャールズ・ヴィクター准教授はわかっているというのだろうか。

(いやいや……)

 だとしたら無事でいられるはずがない。この学校にいる教員のひとり、フレデリック・ピッキンギル先生も騒動当日、何かに気づいて、意識を失っている。一命は取り留めたというが、未だに入院している。

「僕はあれを外なんだと思います」

「外?」

「イメージの話ですけど、風船の中にいるのが僕たちで、そこに針で穴が空けられていて、そこから見える外が、あの『円』の向こう側なんじゃないかって……そう思っています」

 何も言わずにヴィクター准教授は、じっと鳩原の目を見た。少しだけ口角を上げた。その反応が意味するところを鳩原にはわからない。

「聞かせてくれてありがとう」

「ヴィクター准教授さんは、どう考えているんですか?」

「さあね。わからないのは僕も同じだよ。答えてくれたから僕も答えるよ。僕はね、唯物論者マテリアリズムでね。すべてのものは物質によって構成されている――少なくとも僕はそう考えている。人類はあらゆる方法でそれらを見つけてきた。だけど、ある一定以上はわからなくなってくる。小さ過ぎたり、大き過ぎたり、遠くにあり過ぎたりするとね。ある一定以上の先にある概念ものがあの現象の正体だと考えているよ」

「ええっと……」

 言っていることを頭の中で繰り返して飲み込む。

「……それって僕が言ったことと同じことを言っていませんか?」

「そうだね、これはきみの言ったことを小難しく言っているだけだね。でも、今わかることはこれくらいしかないんだよ。これより先を考えようとすると想像の域になってくる」

 そうだ。鳩原の頭痛もこんなふうに理路整然と考えているときは起きない。そこから想像を膨らませて、『円』の向こう側を見ようとすると頭が痛くなってくる。気が触れそうになってくる。

「そこが魔法と科学の境目だろう」

 ヴィクター准教授は言う。

「僕が生まれた頃はまだまだ魔法が根強くてね。もっとほうきで空を飛んでいる人がいたものだよ。僕もある程度の魔法は使えるが、それでも得意ではなくてね。箒で空を飛ぶのも怖くて仕方ない。免許は持っているが、今飛ぼうとすればきっと怪我をするね。そういう飛んでいる自分がちゃんと想像できなければ失敗する。それは魔法に限らず運動するときも一緒だけどね」

 少しわかるような、わからないような例えだった。ああ、でも、小学生のときみたいにあっちこっち飛び降りたり走って登ったりしたらきっと怪我するんだろうなとは思う。こういうことを言っているのかな? と鳩原なりに解釈してみる。

「科学のほうがはっきりとしていていい」

 ヴィクター准教授は、机の角を手のひらで撫でた。その輪郭を実感として確かめるように。

 ここにきて鳩原は、ヴィクター准教授の口調が変わっていることに気づいた。

 そして、ヴィクター准教授はこう続けた。

「鳩原那覇くん、きみは科学に興味はないかな?」




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