第七章 円 The Key and the Gate
第39話 瘴気(1)
1.
「――――あ、気がついた」
そんな声がしたとき、鳩原のほうはまだぼんやりとしていた。
鳩原が目を覚ました場所は、保健室だった。
簡単なベッドに寝かされていて、その傍らにいるのは霞ヶ丘ゆかりだ。
「私だよ、わかる?」
「……ええっと、霞ヶ丘さん?」
「そうだよ、何があったか憶えてる?」
「ええっと……、ええっと……、あのあと…………」
記憶を振り返る。
確か、オリオンの箒に乗っていたような……。そのあと、図書館を飛び出した辺りで……その辺りから記憶が曖昧だ。
何があったか思い出せない。
身体をベッドから身体を起こそうとしたら、全身が痛かった。寝かされているけど、服装は『遺物管理区域』に這入ったときと同じだ。制服はボロボロだ
そこまで気づいて、
「うっ……何、この臭いっ」
異臭に気づいた。
腐った肉のような臭いだった。
「窓の外を見てみて」
霞ヶ丘に言われて、口元を覆いながら外を見る。
眼前から見えるはずのアラディア魔法学校の敷地内を見て、鳩原はこう言った。
「あれはなんですか?」
「わからない」
霞ヶ丘は即答した。
眼前に広がるのは火災と破壊。
さっきまでいた図書館は影も形も見当たらず、そこを始発として破壊と黒煙の軌跡が続いている。
その先にいる――『何か』が、何なのかわからないものだった。
そこにいるのは、ざっと百メートルを越える肉塊だった。それには四肢とも思えるものが生えていて、それでようやく人型をしているのだとわかる。
悪臭を振りまいているのはあの塊だ。その塊は四つん這いで移動している。
「…………! そうだ、ダンウィッチは?」
霞ヶ丘は首を横に振った。
「オリオンはあのとき助けられたのは鳩原くんだけだって言っていた」
「…………」
鳩原は俯いた。
彼は見た。
ダンウィッチが『鍵』を手にした瞬間に、その周囲の三メートルの範囲のあらゆる物質と共に消滅する瞬間を。
(なんて呆気ないんだ)
なんて容赦ないんだ。
あの『円』が出現する瞬間の熱みたいなもので、一瞬にして蒸発した。
人類文明は感情の上に成り立っているものだが、あくまで世界を支配しているのは基本法則である。どんな状況にあろうと、基本となる法則は常に平等に生命に降り注ぐ。
言葉を詰まらせて、外を見る。
その四つん這いの肉の塊は、全身を引き摺りながら、校舎を破壊して進んでいく。通った跡には真っ黒な粘液に塗れた肉片や骨細工に臓器が散らばっている。
加えて、粘り気のある黒い油状の液体が溢れ出している。まるで
(これは、何が起きている?)
わからない。
わからないけれど、これがあの『鍵』に関することで起きているのだということはわかる。
あのときに出現した『円』。
あれがダンウィッチの言う『門』だったのだろうか。
(ダンウィッチが成功したのか失敗したのか)
『円』の出現時に起きた『消滅』は、あくまでこちらから見れば『消滅』だが、もしかしたらあの三メートルほどの範囲内にいることが『門』に潜るための条件だったかもしれない。
ダンウィッチは今――『門』の奥に突き進んでいるかもしれない。
だけど。
『鍵』は、宙に留まったままだった。
こんな状況を見て、とても成功しているようには思えない。
(だから、恐らく……)
ダンウィッチは助かっていなくて、あのときに消滅している。
なんというか。残念だな。
ダンウィッチの夢、それに届くための第一歩。
それが、こんなことになるなんて……。
「大丈夫? やっぱり寝てたほうがいいよ」
「いえ」
ぱちん――と顔を両手で叩く。
「……よし。大丈夫です」
ひとまずは切り替える。
どこからでも目視で確認できるほどの、その肉の塊を見上げる。
これの見た目はあまりにも
これから、ダンウィッチの『泡』に似たものを感じる。
「霞ヶ丘さん、僕はどれくらい気を失っていたんですか?」
「一時間くらいね」
窓の外では箒で飛んで避難誘導をしている生徒の姿が見える。
「私たちは今、あれは『
建造物を薙ぎ倒しながら進んでいる肉塊を指して言った。
「何が起きたんですか?」
そこから聞いたのは、鳩原が一時間ほど意識を失っているあいだの出来事だった。
図書館全体を巨大な泡が包み込んだ。
その後、その泡は破裂し、内側からどす黒い粘液の塊が出現した。
それは軟体動物のように動き始めて、次第にその体躯は肥大化して、今に至るとのことだった。
「そろそろ僕も話に混ぜてもらってもいいかな?」
と、ひと通りの話を聞き終わったとき、別の声がした。
保健室の外側からそんな声が聞こえた
ウッドロイ・フォーチュンだった。
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